心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
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ふふふ、これを早くアップしたくて前作を焦って書いたのでした。
季節の設定が梅雨なので、どうしても今じゃないとまずいんです。
相変わらず渋い話ではありますが、趣味に走りすぎず、短編としての面白さは何とか保っているのではと思います。
季節の設定が梅雨なので、どうしても今じゃないとまずいんです。
相変わらず渋い話ではありますが、趣味に走りすぎず、短編としての面白さは何とか保っているのではと思います。
So fragile, so strong
事の始まりは、ある病院での慰問演奏だった。
夏の気配を色濃く感じる日曜日のこと、然也たちオカリナ工房の演奏メンバーは、病院関連施設が集まるドームを訪れた。
いくら医学が発達しても、治療しきれない病はある。かつて難病だとされたり、死亡率が高かった病も今ではほとんど治るようになっているが、それと入れ替わるようにして新しく不治の病が現れる。
然也たちが訪れたのは小児科病棟で、その中でも長期の入院治療が必要な子どもたちのいる病棟だった。
病院の受付で用向きを告げると、ブースの中の事務員はにこやかにカード形のナビゲーションを差し出した。目的地は入力してありますからガイドに従って進んで下さいね、院内地図はここを押せば表示されます、と。
院内は予想以上に明るく、開放的な雰囲気がする。然也の記憶の中の、暗く閉塞したイメージとはずい分違う。それは、部外者だからそう感じるだけかもしれないし、小児用ということで特に暗さをイメージさせない作りになっているためかもしれない。
病棟は大きな中庭を囲むようにしてコの字型に建っていた。窓から見える緑に誘われ、少しばかり寄り道して外をのぞくと、庭園と言うよりは自然公園のような中庭が見下ろせた。本物の野山に似せて木や花が植えられ、そのすき間を縫うように歩道が整備され、小さいながらスイレンが咲く池もあったりする。確かに安らぐ風景ではあった。
しかし、実際には害虫はおろか目に見えない雑菌類までコントロールされているであろう空間だ。言い換えれば、人間の手で人間に都合よく作られた自然の模造品だった。その中を人々が思い思いに散歩している。ここの患者であったり付添人であったり。模造品だとしても今の彼らには必要な空間に違いない。
「然さーん! こっちですよ」
桂介が恥ずかしげも無く大きく手を振り、然也はまわりの視線を避けるようにして、小走りに彼らのところへ向かった。
「では、こちらで演奏をお願いできますか。皆さん、本物のオカリナを聴くのは初めてだから楽しみにしているんですよ」
と病棟のスタッフから示されたのは、小さなホールと言っていいぐらいのロビーだった。50人分ぐらいの席が用意されていたが、ほとんど満席で立ち見客までいる。立っているのは、服装からして病院のスタッフや介助者だろう。本物のオカリナを見聞きするのが珍しいらしく、予想以上に人が集まったのだとそのスタッフは言った。
本日の主賓とでも言うべき子ども達は最前部にいた。半分くらいが車椅子に座っていて、その車椅子も本人の病状によって少しずつ形態が違っている、中には寝たきりに近い子もいて、傍目には痛々しくうつる。工房の仲間たちが、同情の混じった視線で、ちらちらと子どもたちを見ているのがわかる。
その視線を苦々しく思う一方で、然也は珍しくホールでの演奏会より緊張していた。果たして彼らの心に届く音が出せるだろうか。もし少しでも退屈に感じたらなら、すぐに顔や態度に出るだろう。子ども特有の、何も飾るところの無い率直さが恐くもあった。
だが、いざ演奏がはじまると、ざわついていたロビーが恐ろしいほどに静まりかえった。柔らかなオカリナの調べだけがひびく。前に並ぶ子どもたちの目が輝きはじめた。すると曲もそれに応えて、生き生きと歌う。いい手応えだった。
あっと言う間に最後の曲になり、ワルツが始まった。まるでおとぎ話のハッピーエンドをしめくくるかのような軽快で華やかなワルツだ。 すると、目の前で特に熱心に聞き入っていた女の子が、車椅子から立ち上がった。6~7才とおぼしきその子が身体全体をゆらして踊り出すと、驚きの声とともに拍手が起こった。
じゃ、もう一回繰り返すか、と然也が仲間に目配せした時だ。不意にその子の動きが止まった。ぐったりとその場に崩れ落ちる。そばにいた母親らしき女性があわてて抱き起こし、たちまち看護師がかけつける。すぐにストレッチャーがあらわれ、彼女は運ばれていった。演奏会はそこで打ち切りになった。
翌日、然也が工房に顔を出すと、音無が声をかけてきた。
「昨日はご苦労様でしたね。ああいう経験も悪くないでしょう」
しかし然也は冴えない顔で工房主を見返す。
「ちょっとハプニングがありましてね」
「実はそのことで、君に病院から連絡が来ているんですよ」
「オレに?」
話によると、例の倒れた女の子の母から連絡があり、もう一度オカリナの演奏を聞かせてもらえないかという。昨日のように、ミニコンサートの形式でなくていいという。どことなく嫌な予感がした。
女の子本人の希望によれば、「一番左のはしに立っていたお兄さん」――つまり然也の音が聞きたいというのだった。
――何だってよりによってオレなんだ?
女の子の無事にほっとし、同時に唖然とした然也の気持ちを知ってか知らずか、音無は淡々と話し続ける。
「ご両親の要望が強いのですよ。難病と闘う娘さんのために、できるだけのことをしてあげたいそうです」
「病気と闘う、ですか……」
気乗りしない然也を、音無は軽く目を細め、眼鏡越しにながめた。
「『オレに何ができる?』て顔してますよ」
然也は思わず横を向く。だからその視線は勘弁してくれと思いつつ。
「わかりました。とにかくオカリナ持ってそのお嬢さんのところへ行けばいいんですね」
音無は微笑んだ。
「明日の仕事は午前中で切り上げていいですから」
つまり明日にでも行って来いという意味だった。
女の子の名前は鳴沢歌音(かのん)といった。名字はともかく、下はありがちな名前だなと、然也は病室の前で思う。個室を利用しているところを見ると、よほど病気が重いのか、金持ちなのか。あるいは両方なのかもしれない。
ノックして入ると、満面の笑みで迎えられた。
「昨日のお兄さん!」
然也は面くらいつつ、彼女の勢いにつられて笑顔を作る。
「もう、大丈夫なのか」
「うん!」
そう答えた歌音の細い右腕には点滴が刺さっていた。顔色は白いのを通り越して青いぐらいだ。興奮してピンク色に染まった頬がやけに目立つ。痛々しくて目をそらすと、ベッド脇で待機していた歌音の母とおぼしき人物と目が合い、あわてて会釈する。向こうもわざわざ然也に来てもらったことを多少なりとも心苦しく思っているらしく、丁寧な挨拶を返された。
母親の話によると、歌音は、原因不明のまま運動神経が破壊され、最終的には死にいたる病にかかっているのだという。発見され、命名されてから10年ぐらいしかたっておらず、決定的な治療法が見つかっていないらしい。
「最近はもうほとんど歩けなくて、車椅子にすわりっぱなしだったんですよ。それが昨日、急に立ち上がったものですから、嬉しくて。でもやはり体はついてゆけなかったのでしょう。もう今はとても立ち上がれなくて……」
「でも、だいじょうぶだもん」
娘の返事に、歌音の母は泣いているのか笑っているのか分からない顔になった。然也は引き上げようと椅子から立ち上がりかけた。こういう場面はどうにも苦手だ。すると歌音の声が彼を引き留めた。
「お兄さん、オカリナ聴かせてよ。昨日はとっても楽しかったんだよ。わたし、あのあと夢を見たんだ。元気になってすてきなダンスを踊る夢。もっと聞いたらもっと元気がわいてきて、病気だって治せるよ。だからお願い」
然也は迷った。正直言って今は吹ける気になれない。
「悪い。今日はオカリナ持ってきてないし……」
歌音は見るからにがっくりとする。でもあきらめようとせず、然也を見て言った。
「でも、また来てくれるよね」
「ああ……そうだな。来週あたりに」
適当にお茶を濁しつつ、母親に挨拶しつつ、どうにか病室を出た然也だったが、できれば断われないかものかと、帰る道すがらずっと思っていた。
「希望はね、万能薬みたいなものよ」
桃香は言う。
「だとしたら、失望は毒薬か」
「もう、然さんたら!」
その週末、二人は自然公園の展望台にいた。然也の隣では、桃香が手すりにもたれかかるようにして、手入れの行き届いた雑木林と水鳥の遊ぶ池を眺めていた。合成された日光が上から照りつける。気温も湿度も高く、時おりゆるゆると風が吹く。
相変わらずねとばかりに、桃香は苦笑を然也に向けた。
ああ、まただと然也は感じた。こうして彼女といると、ふとした瞬間に奇妙な感覚に襲われる。出会ってから4ヶ月しかたっていないのに、もっと長い間いっしょにいるような錯覚に陥るのだ。まるで生まれる前から彼女の存在を知っていたかのような、不思議な気分だった。
「昔はね、今の季節は一年で一番嫌われていたそうよ」
再び桃香の声がした。然也は現実に引き戻される。
「へぇ」
「こんなドームが作られる前、今の季節は毎日のように雨が降って、気温も高いから蒸し暑くて、食べ物なんかはすぐに傷んでしまったっていうわ」
「たまには偽物の自然にも感謝、ってことか。。毎日のように雨が降るだなんて、気が滅入ってかなわないや」
そう言う然也本人は、明るい陽射しの下で、どうにも浮かない顔をしている。桃香が小さくため息をついた。
「だから、さっきも言ったでしょ。心と身体はつながっていないようでしっかりつながっているの。その子が希望を持てるんだったら、吹いてあげた方がきっと身体もよくなるはずよ」
「むしろ残酷じゃないのか? 治る見込みが無いのに、希望だけ与えるなんて」
「然さん?」
桃香は然也の方に完全に向き直った。瞳が強い輝きを帯びている。
「今の言葉、本気? 治る見込みがないから100パーセント助からないってあきらめてるわけ?」
然也は何も答えず、桃香から目をそらす。
「じゃ、聞くけど、どうしてあなたはドームの外へわざわざ出かけるの? 灰色の空を見るため?」
「それは……」
「信じてるからでしょ。荒れた大地がいつか回復して青空も戻ってくるって」
「そんな夢、まともに信じてるわけじゃない」
すると桃香は悲しげに眉を寄せた。しまった、また口がすべったと後悔した瞬間、彼女は然也の耳もとでささやいた。
「きっと恐いのね。その子が死んでしまうかもしれないって可能性が」
「え?」
「希望が絶望に変わるのを恐れているのは、あなただわ」
認めたくないが、図星だった。ここまで見事に言い当てられたら笑うしかない。
「まったく、桃さんにはかなわないな」
三日後、然也は歌音の病室にいた。歌音の顔色は前より良くなっていた。歌音の母親は然也と入れ違いで買い物に出かけていた。
「お兄さん、今日はオカリナ聴かせてくれるんでしょ。楽しみにしてたんだよ」
歌音は屈託のない笑みを浮かべている。然也は気持ちが軽くなるのを感じ、つい苦笑する。こっちが元気づけられていたんじゃ、立場が逆だと。
然也はわざとこんな提案をしてみる。
「オレは楽しい曲はそんなに得意じゃないんだ。こんなのでよければ」
と、自作のオカリナを取り出した。歌音は期待半分、不安半分の顔で然也とオカリナを見守っている。
流れ出した音は切なく、悲しげだった。真っ青な湖に、たった一羽白鳥が取り残されて漂うイメージがぴったりだった。
歌音は耳を澄ませて聞き入った。然也は吹くことに夢中になった。ふと気がつくと、歌音の目じりから涙があふれ、次から次へとほほを伝って落ちていく。然也はあわててオカリナを下ろした。
「悪い、泣かせるつもりはなかったんだ」
「ううん。いいの」
歌音はパジャマの袖で涙をぬぐった。
「泣くって気持ちいいね。泣けるまではとても悲しくて苦しいのに、涙が出るともやもやの気持ちがすーっと消えるよ」
然也は驚いて歌音を見た。
「わたし、泣いたら病気に負けちゃう気がして、いつも我慢してたの。するとね、頭や胸の中がもやもやして眠れなくなっちゃう。恐いことがいっぱい浮かんできて、でもママやお医者さんの言うようになるべく考えないようにして、そのうちくたびれてやっと眠るの。でも、悲しい曲を聞いて泣くならいいよね。病気と関係ないもん」
然也は歌音をしみじみながめた。この子は小さな体にどれだけの不安と恐怖を詰め込んでこらえてきたのだろう。
「よしっ」
腹を決めた然也は、歌音の頭にぽんと手を乗せた。
「悲しい曲でも楽しい曲でも何でも注文するといい。君がもういいというまで吹きに来るからな」
「やったあ! ありがとう、お兄さん」
歌音はきらきらした瞳で然也を見上げた。
「あ、踊りたくなる曲は勘弁な。この前にみたいに倒れてもらうと困る。それとオレのことは『然さん』でいい」
と言いつつ、然也が吹き始めたのはこの間のワルツだった。歌音はクスクス笑い、身体をわずかにゆらして聴き入った。
「わたしね、ぜったいに良くなって、本当に踊れるようにする!」
「そのときは人数集めて、すごい伴奏つけてやるからな」
歌音は心底嬉しそうに笑った。その笑顔に勇気づけられたのは他ならぬ然也だった。
事の始まりは、ある病院での慰問演奏だった。
夏の気配を色濃く感じる日曜日のこと、然也たちオカリナ工房の演奏メンバーは、病院関連施設が集まるドームを訪れた。
いくら医学が発達しても、治療しきれない病はある。かつて難病だとされたり、死亡率が高かった病も今ではほとんど治るようになっているが、それと入れ替わるようにして新しく不治の病が現れる。
然也たちが訪れたのは小児科病棟で、その中でも長期の入院治療が必要な子どもたちのいる病棟だった。
病院の受付で用向きを告げると、ブースの中の事務員はにこやかにカード形のナビゲーションを差し出した。目的地は入力してありますからガイドに従って進んで下さいね、院内地図はここを押せば表示されます、と。
院内は予想以上に明るく、開放的な雰囲気がする。然也の記憶の中の、暗く閉塞したイメージとはずい分違う。それは、部外者だからそう感じるだけかもしれないし、小児用ということで特に暗さをイメージさせない作りになっているためかもしれない。
病棟は大きな中庭を囲むようにしてコの字型に建っていた。窓から見える緑に誘われ、少しばかり寄り道して外をのぞくと、庭園と言うよりは自然公園のような中庭が見下ろせた。本物の野山に似せて木や花が植えられ、そのすき間を縫うように歩道が整備され、小さいながらスイレンが咲く池もあったりする。確かに安らぐ風景ではあった。
しかし、実際には害虫はおろか目に見えない雑菌類までコントロールされているであろう空間だ。言い換えれば、人間の手で人間に都合よく作られた自然の模造品だった。その中を人々が思い思いに散歩している。ここの患者であったり付添人であったり。模造品だとしても今の彼らには必要な空間に違いない。
「然さーん! こっちですよ」
桂介が恥ずかしげも無く大きく手を振り、然也はまわりの視線を避けるようにして、小走りに彼らのところへ向かった。
「では、こちらで演奏をお願いできますか。皆さん、本物のオカリナを聴くのは初めてだから楽しみにしているんですよ」
と病棟のスタッフから示されたのは、小さなホールと言っていいぐらいのロビーだった。50人分ぐらいの席が用意されていたが、ほとんど満席で立ち見客までいる。立っているのは、服装からして病院のスタッフや介助者だろう。本物のオカリナを見聞きするのが珍しいらしく、予想以上に人が集まったのだとそのスタッフは言った。
本日の主賓とでも言うべき子ども達は最前部にいた。半分くらいが車椅子に座っていて、その車椅子も本人の病状によって少しずつ形態が違っている、中には寝たきりに近い子もいて、傍目には痛々しくうつる。工房の仲間たちが、同情の混じった視線で、ちらちらと子どもたちを見ているのがわかる。
その視線を苦々しく思う一方で、然也は珍しくホールでの演奏会より緊張していた。果たして彼らの心に届く音が出せるだろうか。もし少しでも退屈に感じたらなら、すぐに顔や態度に出るだろう。子ども特有の、何も飾るところの無い率直さが恐くもあった。
だが、いざ演奏がはじまると、ざわついていたロビーが恐ろしいほどに静まりかえった。柔らかなオカリナの調べだけがひびく。前に並ぶ子どもたちの目が輝きはじめた。すると曲もそれに応えて、生き生きと歌う。いい手応えだった。
あっと言う間に最後の曲になり、ワルツが始まった。まるでおとぎ話のハッピーエンドをしめくくるかのような軽快で華やかなワルツだ。 すると、目の前で特に熱心に聞き入っていた女の子が、車椅子から立ち上がった。6~7才とおぼしきその子が身体全体をゆらして踊り出すと、驚きの声とともに拍手が起こった。
じゃ、もう一回繰り返すか、と然也が仲間に目配せした時だ。不意にその子の動きが止まった。ぐったりとその場に崩れ落ちる。そばにいた母親らしき女性があわてて抱き起こし、たちまち看護師がかけつける。すぐにストレッチャーがあらわれ、彼女は運ばれていった。演奏会はそこで打ち切りになった。
翌日、然也が工房に顔を出すと、音無が声をかけてきた。
「昨日はご苦労様でしたね。ああいう経験も悪くないでしょう」
しかし然也は冴えない顔で工房主を見返す。
「ちょっとハプニングがありましてね」
「実はそのことで、君に病院から連絡が来ているんですよ」
「オレに?」
話によると、例の倒れた女の子の母から連絡があり、もう一度オカリナの演奏を聞かせてもらえないかという。昨日のように、ミニコンサートの形式でなくていいという。どことなく嫌な予感がした。
女の子本人の希望によれば、「一番左のはしに立っていたお兄さん」――つまり然也の音が聞きたいというのだった。
――何だってよりによってオレなんだ?
女の子の無事にほっとし、同時に唖然とした然也の気持ちを知ってか知らずか、音無は淡々と話し続ける。
「ご両親の要望が強いのですよ。難病と闘う娘さんのために、できるだけのことをしてあげたいそうです」
「病気と闘う、ですか……」
気乗りしない然也を、音無は軽く目を細め、眼鏡越しにながめた。
「『オレに何ができる?』て顔してますよ」
然也は思わず横を向く。だからその視線は勘弁してくれと思いつつ。
「わかりました。とにかくオカリナ持ってそのお嬢さんのところへ行けばいいんですね」
音無は微笑んだ。
「明日の仕事は午前中で切り上げていいですから」
つまり明日にでも行って来いという意味だった。
女の子の名前は鳴沢歌音(かのん)といった。名字はともかく、下はありがちな名前だなと、然也は病室の前で思う。個室を利用しているところを見ると、よほど病気が重いのか、金持ちなのか。あるいは両方なのかもしれない。
ノックして入ると、満面の笑みで迎えられた。
「昨日のお兄さん!」
然也は面くらいつつ、彼女の勢いにつられて笑顔を作る。
「もう、大丈夫なのか」
「うん!」
そう答えた歌音の細い右腕には点滴が刺さっていた。顔色は白いのを通り越して青いぐらいだ。興奮してピンク色に染まった頬がやけに目立つ。痛々しくて目をそらすと、ベッド脇で待機していた歌音の母とおぼしき人物と目が合い、あわてて会釈する。向こうもわざわざ然也に来てもらったことを多少なりとも心苦しく思っているらしく、丁寧な挨拶を返された。
母親の話によると、歌音は、原因不明のまま運動神経が破壊され、最終的には死にいたる病にかかっているのだという。発見され、命名されてから10年ぐらいしかたっておらず、決定的な治療法が見つかっていないらしい。
「最近はもうほとんど歩けなくて、車椅子にすわりっぱなしだったんですよ。それが昨日、急に立ち上がったものですから、嬉しくて。でもやはり体はついてゆけなかったのでしょう。もう今はとても立ち上がれなくて……」
「でも、だいじょうぶだもん」
娘の返事に、歌音の母は泣いているのか笑っているのか分からない顔になった。然也は引き上げようと椅子から立ち上がりかけた。こういう場面はどうにも苦手だ。すると歌音の声が彼を引き留めた。
「お兄さん、オカリナ聴かせてよ。昨日はとっても楽しかったんだよ。わたし、あのあと夢を見たんだ。元気になってすてきなダンスを踊る夢。もっと聞いたらもっと元気がわいてきて、病気だって治せるよ。だからお願い」
然也は迷った。正直言って今は吹ける気になれない。
「悪い。今日はオカリナ持ってきてないし……」
歌音は見るからにがっくりとする。でもあきらめようとせず、然也を見て言った。
「でも、また来てくれるよね」
「ああ……そうだな。来週あたりに」
適当にお茶を濁しつつ、母親に挨拶しつつ、どうにか病室を出た然也だったが、できれば断われないかものかと、帰る道すがらずっと思っていた。
「希望はね、万能薬みたいなものよ」
桃香は言う。
「だとしたら、失望は毒薬か」
「もう、然さんたら!」
その週末、二人は自然公園の展望台にいた。然也の隣では、桃香が手すりにもたれかかるようにして、手入れの行き届いた雑木林と水鳥の遊ぶ池を眺めていた。合成された日光が上から照りつける。気温も湿度も高く、時おりゆるゆると風が吹く。
相変わらずねとばかりに、桃香は苦笑を然也に向けた。
ああ、まただと然也は感じた。こうして彼女といると、ふとした瞬間に奇妙な感覚に襲われる。出会ってから4ヶ月しかたっていないのに、もっと長い間いっしょにいるような錯覚に陥るのだ。まるで生まれる前から彼女の存在を知っていたかのような、不思議な気分だった。
「昔はね、今の季節は一年で一番嫌われていたそうよ」
再び桃香の声がした。然也は現実に引き戻される。
「へぇ」
「こんなドームが作られる前、今の季節は毎日のように雨が降って、気温も高いから蒸し暑くて、食べ物なんかはすぐに傷んでしまったっていうわ」
「たまには偽物の自然にも感謝、ってことか。。毎日のように雨が降るだなんて、気が滅入ってかなわないや」
そう言う然也本人は、明るい陽射しの下で、どうにも浮かない顔をしている。桃香が小さくため息をついた。
「だから、さっきも言ったでしょ。心と身体はつながっていないようでしっかりつながっているの。その子が希望を持てるんだったら、吹いてあげた方がきっと身体もよくなるはずよ」
「むしろ残酷じゃないのか? 治る見込みが無いのに、希望だけ与えるなんて」
「然さん?」
桃香は然也の方に完全に向き直った。瞳が強い輝きを帯びている。
「今の言葉、本気? 治る見込みがないから100パーセント助からないってあきらめてるわけ?」
然也は何も答えず、桃香から目をそらす。
「じゃ、聞くけど、どうしてあなたはドームの外へわざわざ出かけるの? 灰色の空を見るため?」
「それは……」
「信じてるからでしょ。荒れた大地がいつか回復して青空も戻ってくるって」
「そんな夢、まともに信じてるわけじゃない」
すると桃香は悲しげに眉を寄せた。しまった、また口がすべったと後悔した瞬間、彼女は然也の耳もとでささやいた。
「きっと恐いのね。その子が死んでしまうかもしれないって可能性が」
「え?」
「希望が絶望に変わるのを恐れているのは、あなただわ」
認めたくないが、図星だった。ここまで見事に言い当てられたら笑うしかない。
「まったく、桃さんにはかなわないな」
三日後、然也は歌音の病室にいた。歌音の顔色は前より良くなっていた。歌音の母親は然也と入れ違いで買い物に出かけていた。
「お兄さん、今日はオカリナ聴かせてくれるんでしょ。楽しみにしてたんだよ」
歌音は屈託のない笑みを浮かべている。然也は気持ちが軽くなるのを感じ、つい苦笑する。こっちが元気づけられていたんじゃ、立場が逆だと。
然也はわざとこんな提案をしてみる。
「オレは楽しい曲はそんなに得意じゃないんだ。こんなのでよければ」
と、自作のオカリナを取り出した。歌音は期待半分、不安半分の顔で然也とオカリナを見守っている。
流れ出した音は切なく、悲しげだった。真っ青な湖に、たった一羽白鳥が取り残されて漂うイメージがぴったりだった。
歌音は耳を澄ませて聞き入った。然也は吹くことに夢中になった。ふと気がつくと、歌音の目じりから涙があふれ、次から次へとほほを伝って落ちていく。然也はあわててオカリナを下ろした。
「悪い、泣かせるつもりはなかったんだ」
「ううん。いいの」
歌音はパジャマの袖で涙をぬぐった。
「泣くって気持ちいいね。泣けるまではとても悲しくて苦しいのに、涙が出るともやもやの気持ちがすーっと消えるよ」
然也は驚いて歌音を見た。
「わたし、泣いたら病気に負けちゃう気がして、いつも我慢してたの。するとね、頭や胸の中がもやもやして眠れなくなっちゃう。恐いことがいっぱい浮かんできて、でもママやお医者さんの言うようになるべく考えないようにして、そのうちくたびれてやっと眠るの。でも、悲しい曲を聞いて泣くならいいよね。病気と関係ないもん」
然也は歌音をしみじみながめた。この子は小さな体にどれだけの不安と恐怖を詰め込んでこらえてきたのだろう。
「よしっ」
腹を決めた然也は、歌音の頭にぽんと手を乗せた。
「悲しい曲でも楽しい曲でも何でも注文するといい。君がもういいというまで吹きに来るからな」
「やったあ! ありがとう、お兄さん」
歌音はきらきらした瞳で然也を見上げた。
「あ、踊りたくなる曲は勘弁な。この前にみたいに倒れてもらうと困る。それとオレのことは『然さん』でいい」
と言いつつ、然也が吹き始めたのはこの間のワルツだった。歌音はクスクス笑い、身体をわずかにゆらして聴き入った。
「わたしね、ぜったいに良くなって、本当に踊れるようにする!」
「そのときは人数集めて、すごい伴奏つけてやるからな」
歌音は心底嬉しそうに笑った。その笑顔に勇気づけられたのは他ならぬ然也だった。
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