心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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昨日は宴会だった。同人誌で活動している仲間が、ある公募で大賞をとったので、そのお祝い。
佳作や奨励賞ならともかく、大賞をとるって大変なことなんだなあと実感した。本人の努力や運は言わずもがなで、驚いたのはお祝いのしかた。
本人よりむしろ周囲がすごい騒ぎで、お祝いのプレゼントは当然だし、予定外に宴会を開くことになるし、幹事を引き受けた人の働きぶりは素晴らしいというほかなく。受賞されたご本人も、宴会の席ではお返しの品を用意していたりして、すごい気遣いの嵐だと、自分はドラマでも見ている気分でことの成り行きを見ていた。
万が一にも自分が何かの賞を取ることがあったら、できるだけ内緒にしておきたいなあと思う。まあ、こういうのを、取らぬタヌキの何とかと言うんだけど。
佳作や奨励賞ならともかく、大賞をとるって大変なことなんだなあと実感した。本人の努力や運は言わずもがなで、驚いたのはお祝いのしかた。
本人よりむしろ周囲がすごい騒ぎで、お祝いのプレゼントは当然だし、予定外に宴会を開くことになるし、幹事を引き受けた人の働きぶりは素晴らしいというほかなく。受賞されたご本人も、宴会の席ではお返しの品を用意していたりして、すごい気遣いの嵐だと、自分はドラマでも見ている気分でことの成り行きを見ていた。
万が一にも自分が何かの賞を取ることがあったら、できるだけ内緒にしておきたいなあと思う。まあ、こういうのを、取らぬタヌキの何とかと言うんだけど。
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年のせいか、この春からいろいろな役目が降ってきて、脳みそがオーバーヒートを起こし、ネジが数本吹っ飛びそうな日々が続く。
試しに「お仕事」を数え上げて見ると……
(ここから先はいくぶん退屈な日常の話です)
試しに「お仕事」を数え上げて見ると……
(ここから先はいくぶん退屈な日常の話です)
締め切り直前にどうにかラストまでたどりついた。<セミナー用作品
でも、実験をしてみたかったとはいえ、もともとの作品をすっかり破壊してしまったような気がする。
一連の出来事を二人の少女が互い違いに語るという手法に気をとられすぎて、クライマックスが手抜きに。
うまく書けたらどこかの公募に出そうかと思ったけど、これじゃ無理だ。_| ̄|○
セミナーでもきっとぼろくそに言われるんだろうな。ま、習作を出す場だからいいんだけど。
でも、実験をしてみたかったとはいえ、もともとの作品をすっかり破壊してしまったような気がする。
一連の出来事を二人の少女が互い違いに語るという手法に気をとられすぎて、クライマックスが手抜きに。
うまく書けたらどこかの公募に出そうかと思ったけど、これじゃ無理だ。_| ̄|○
セミナーでもきっとぼろくそに言われるんだろうな。ま、習作を出す場だからいいんだけど。
↓でつぶやいていた、某児童文学セミナーに出す作品に取組中。
結局新しく話を組み立てるのは止めにして、昨年の同人誌に出したものを改稿して提出する予定。
改稿といっても、やってみたらずい分な大手術になった。
もともと1人称語りだったのを、主人公を完全に2人立てて、1人称×2にする。1章ごとに語り手が入れ替わる形式にしてみた。
これ、もともとは、江國香織の「神様のボート」がヒントになっている。ところが、アメリカの児童文学とかヤングアダルトを見ていると、複数の1人称語りって結構使われているんだよね。
価値の多様化を認めるという視点から見ても、時代はシンフォニー→ポリフォニーかしらん?
結局新しく話を組み立てるのは止めにして、昨年の同人誌に出したものを改稿して提出する予定。
改稿といっても、やってみたらずい分な大手術になった。
もともと1人称語りだったのを、主人公を完全に2人立てて、1人称×2にする。1章ごとに語り手が入れ替わる形式にしてみた。
これ、もともとは、江國香織の「神様のボート」がヒントになっている。ところが、アメリカの児童文学とかヤングアダルトを見ていると、複数の1人称語りって結構使われているんだよね。
価値の多様化を認めるという視点から見ても、時代はシンフォニー→ポリフォニーかしらん?
・いつもの洗濯+昨日使った子供たちの浴衣の洗濯
・昨日のエレクトーンフェスティバルで使った小道具の片付け
・子供がちからしたままの玩具の片付け
・ダンナが使ったまま置きっぱなしにしてあるカメラや本の片付け
・ストーブはしまったのに、まだ出したままだった灯油缶の片付け
・ためこんであった資源ごみを、びん、かん、不燃ゴミ、紙資源に分けて処分。
・洗面台と洗濯機のすき間を掃除。(何ヶ月ぶり?)
・風呂場の天井に現れたカビをようやく退治。
・すっかりにごった金魚の水槽の水かえ。
要するに、ひたすら掃除。
試しに、書きかけの原稿に手をつけてみたが、まるで文章が進まないので、メモ帳を閉じ、掃除再開。
自分でもどうしてそうなのかはわからないが、時々、散らかった机の上とか、部屋の中がものすごく気になって我慢できずに、やおら片付けを始めることがある。時間はないのにじっくりネタを練らなくてはいけない時や、やることが多すぎてイライラする時に、その傾向が強いらしい。
学生のころはテストが近づくときまって机の引き出しの整理をしたくなった。これは完全に現実逃避。まだPCが普及する前の話。
・昨日のエレクトーンフェスティバルで使った小道具の片付け
・子供がちからしたままの玩具の片付け
・ダンナが使ったまま置きっぱなしにしてあるカメラや本の片付け
・ストーブはしまったのに、まだ出したままだった灯油缶の片付け
・ためこんであった資源ごみを、びん、かん、不燃ゴミ、紙資源に分けて処分。
・洗面台と洗濯機のすき間を掃除。(何ヶ月ぶり?)
・風呂場の天井に現れたカビをようやく退治。
・すっかりにごった金魚の水槽の水かえ。
要するに、ひたすら掃除。
試しに、書きかけの原稿に手をつけてみたが、まるで文章が進まないので、メモ帳を閉じ、掃除再開。
自分でもどうしてそうなのかはわからないが、時々、散らかった机の上とか、部屋の中がものすごく気になって我慢できずに、やおら片付けを始めることがある。時間はないのにじっくりネタを練らなくてはいけない時や、やることが多すぎてイライラする時に、その傾向が強いらしい。
学生のころはテストが近づくときまって机の引き出しの整理をしたくなった。これは完全に現実逃避。まだPCが普及する前の話。
本当は今頃、棒セミナー用の中編を書いているはずなんだけどなー。
もの書きの神様はどこかで昼寝中らしく、ネタ帳を開いてあれこれ考えても全然話がまとまらない。
根本的な問題は、「面白い話を書かないと目を引かないし」vs「面白ければそれでいいってもんじゃないし」に始まり、「面白いって何だ?」という迷路にはまり込み、話の舞台設定が全然まとまらないことにある。
ホタルのシーズンなのに、「螢」のお題が全然すすまないのも同じような理由。どんな方向の話にしようか迷いつづけて2週間。主人公を小学生にするのか、大学生にするのか、親子にするのか。うーん。
せっかく、今週は時間があるのになぁ。
もの書きの神様はどこかで昼寝中らしく、ネタ帳を開いてあれこれ考えても全然話がまとまらない。
根本的な問題は、「面白い話を書かないと目を引かないし」vs「面白ければそれでいいってもんじゃないし」に始まり、「面白いって何だ?」という迷路にはまり込み、話の舞台設定が全然まとまらないことにある。
ホタルのシーズンなのに、「螢」のお題が全然すすまないのも同じような理由。どんな方向の話にしようか迷いつづけて2週間。主人公を小学生にするのか、大学生にするのか、親子にするのか。うーん。
せっかく、今週は時間があるのになぁ。
先日読んだ「やさしさの精神病理」をもとに、いろいろ考えてみた。
現代の「やさしさ」の特徴としては、次のようなことが挙げられていた。
まず、内面に踏み込まれることが大嫌い。踏み込むのも嫌い。
身内だけでなく、顔を知っているだけの他人にも「やさしい」気づかいをしようとする。
「やさしい」相手に愚痴をこぼすのは禁物。相手を嫌な気分にさせてしまうから。(だから精神科へ悩み事相談に来る)
理想の恋人は、同じ空間にいても、互いに気を遣わず別々のことができる相手。
で、今時のやさしさは、本質的には自分の心を傷つけないようにするための防御システムであるらしい。著者によれば、今の若者の心が恐ろしく傷つきやすいそうだが、それは、アレルギーにも似て、外界からの刺激に対して過剰に反応してしまうせいではないだろうか。
たとえば、花粉アレルギーは抗体が攻撃する相手を間違えてしまったがために起きる反応だ。その原因はいろいろあるが、一説によれば、寄生虫が駆除されるようになってから花粉症が増えたとか。(逆に寄生虫を飼えば、抗体の働きが正常になって花粉症がなくなるというが、さすがに実験する気になれない。)
親世代が子供の心をなるべく傷つけないようにと育ててきた結果、それこそちょっとしたことで傷ついてしまう若者が増え、その結果として、傷つきやすい者同士の人付き合いのマナー、すなわち今時の「やさしさ」が現れたのではないかと思う。
それはそれでいいんだけど、心をぶつけ合って切磋琢磨してきた、昔の人間には理解しづらいだろうな。
ちなみに、自分の場合を考えて見ると、やさしさの使い方においては、今時の若者に近いものがある。ただ、それをやさしさとは認識せず、人付き合いの緩衝材または自己防衛または逃避とはっきり自覚はしている。
現代の「やさしさ」の特徴としては、次のようなことが挙げられていた。
まず、内面に踏み込まれることが大嫌い。踏み込むのも嫌い。
身内だけでなく、顔を知っているだけの他人にも「やさしい」気づかいをしようとする。
「やさしい」相手に愚痴をこぼすのは禁物。相手を嫌な気分にさせてしまうから。(だから精神科へ悩み事相談に来る)
理想の恋人は、同じ空間にいても、互いに気を遣わず別々のことができる相手。
で、今時のやさしさは、本質的には自分の心を傷つけないようにするための防御システムであるらしい。著者によれば、今の若者の心が恐ろしく傷つきやすいそうだが、それは、アレルギーにも似て、外界からの刺激に対して過剰に反応してしまうせいではないだろうか。
たとえば、花粉アレルギーは抗体が攻撃する相手を間違えてしまったがために起きる反応だ。その原因はいろいろあるが、一説によれば、寄生虫が駆除されるようになってから花粉症が増えたとか。(逆に寄生虫を飼えば、抗体の働きが正常になって花粉症がなくなるというが、さすがに実験する気になれない。)
親世代が子供の心をなるべく傷つけないようにと育ててきた結果、それこそちょっとしたことで傷ついてしまう若者が増え、その結果として、傷つきやすい者同士の人付き合いのマナー、すなわち今時の「やさしさ」が現れたのではないかと思う。
それはそれでいいんだけど、心をぶつけ合って切磋琢磨してきた、昔の人間には理解しづらいだろうな。
ちなみに、自分の場合を考えて見ると、やさしさの使い方においては、今時の若者に近いものがある。ただ、それをやさしさとは認識せず、人付き合いの緩衝材または自己防衛または逃避とはっきり自覚はしている。
最近蜂が多い。ただ飛び回っているならいいが、家のまわりに巣を作る。庭のテラス下、2階のベランダ、車庫の中、サッシ窓枠の上、などなど。今年になってから、巣を作ろうとしているアシナガバチを、5匹退治した。きれいな八角形の巣を作りかけいて、中にはもう卵を産みつけてある部屋もあったが、わが身の安全のためには仕方ない。殺す作業そのものは、殺虫剤を吹きかけるだけだから簡単だが、殺すたびに後ろめたい気分になるのをどうにかしたい。