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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
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〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

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びおら弾きの微妙にズレた日々
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昨日、伊藤計劃の「ハーモニー」を読み終えて面白かったと感想を書いた。→http://violafreak.blog.shinobi.jp/Entry/978/

そこから派生した、横道にそれた感想をここに記してみる。

ヒロインのひとり、高校生の御冷ミァハが「この身体は全部わたしのものだって証明してみせる」と友人たちに向かって宣言する。その証明手段は栄養の消化吸収を妨げる錠剤を飲むこと。
彼女たちのいる社会では身体の管理は専門家やコンピューターを介して行われるものであり、不摂生はしたくてもできないどころか、あらゆる病気が予防される、あるいは兆候が発見されると同時に治療されてしまう場所だった。人々はすべて健康であることを強制される社会。だから自分で自分の身体を傷つけられるという証明=自由の証明となる。

自分がまだまだ青くて若かった頃をちょっと思い出した。あの頃はずいぶんと自虐的傾向が強かった。拒食や過食、リストカットには及ばなかったけれど、憧れは感じていたし、なぜか小さなころから何かに集中すると、無意識のうちに爪をかむとか髪の毛を一本ずつ引っ張ってはぬくとか、鉛筆のおしりをかじるとかやっていたから、もともとその傾向を持って生まれたにしても、自分で自分を傷つけたくて仕方なかったのは、やっぱり周囲に対する反発だったんだろうなぁ。その気持ちが外に向けば悪さをして学校に呼び出されただろうし、内側に向けばさまざまな形の自傷行為だ。
でも、こんなの誰もが通過する道だよねぇ。

今は、学校も親もすっかりゆるくなっちゃって、子どもたちは反抗する対象すら持てない。ある子はパワーだけを持てあまし、ある子はとんでもないところへぶつかりにゆき、またある子は反抗することを放棄する。

御冷ミァハの最終目的は社会への反抗ではなかった。反抗しなくてはいけない社会のあり方、あるいは人の心のあり方がヘンだと気づいたのだった。彼女は完璧な「ハーモニー」が欲しかった。自分を社会に無理やり一致させなくても、自動的に「そうあるべき姿」と一致を見る世界。もうほとんど彼岸だよね。そんな「ハーモニー」の世界に行ったら、悩みも悲しみも苦しみもすべてが意味のないもの、存在しないものになる。ある意味、死と同じ。

実は「死」そのものは全然恐ろしいものではなく、本当に恐ろしいのは死に至る過程なんだと思う。それに気づいた人々が自殺を思いとどまっていられるのは、「死は恐ろしい」という強い刷り込みと自殺を禁じる宗教のおかげなんじゃないかな。

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