心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
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〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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タイトルが前の話とそっくりですが、今回の更新は新エピソードです。今後に向けての前フリというか、ちょっとした伏線を散りばめつつ、杏樹がオカリナ工房を訪ねる話を書いてみました。
Funky Sunset
「へぇ、こんなに綺麗な建物だったんだ」
一月最後の木曜日、杏樹はオカリナ工房の前まで来て立ち止まった。目の前には洒脱なつくりのポーチがあって、来訪することはすでに伝えてあるので、あとは階段を三つ上ってドアを開けるだけだった。が、何となくためらいを感じて自然と足が止まった。
杏樹がここまで足を運んだのは、あくまで勉強のためだ。学年末の試験に加えてレポートも提出しなくてはならず、その取材だ。取材もきちんと計画書と報告書を出せば授業に出たのと同じ扱いになる。テーマは自由に設定できたので、彼女は迷わず「音と癒し」にした。他には思いつけなかった。
ちょうど昨年の今ごろだった。然也に出会い、生の音楽をすぐそばで聞かせてもらったのは。あれから杏樹は音に関わる仕事がしたいと意気込み、姉の心配をよそに色々調べてまわった。すると、楽器を演奏したり作ったり、というアプローチもあるけれど、「音」というものをもっと大きく捕らえて、人の暮らしの中でどう役立てるかを研究する仕事もあるのだとわかった。「これだ!」と杏樹は思った。この方面の研究をするには、心理学はもちろん数学や物理の知識も必要だったが、幸い杏樹は理系の科目に強かったので、迷うことはなかった。
杏樹は今一度ポーチを見上げた。
「うーん、やっぱり緊張する……」
前に来た時は桂介がいっしょだったし、夕方を過ぎて他に人がいないことはわかっていたので気楽に中へ入れたのだが、こうして改めて訪れてみれば、明るく穏やかな日差しの下で白いモルタル造りの工房は独特の存在感を放っている。
土地の限られたドームでは、人の暮らす建物はたいてい4階建以上なのに、ここは2階までしかなく、西と北側は建物で塞がれているものの、東側は敷地ギリギリまで自然公園の林がせまっていて、ときどき木枯らしが木々を鳴らすのが聞こた。町の喧騒とは無縁の場所だ。
「最高の環境だよねぇ……。普通ならこんなところに工房なんか作れないのに」
後から工房の主から聞いた話によると、この土地は市有地で、古い資料館を壊そうとしていたのを、建物ごと借りて改修して今の工房になったのだという。
この中で桂介や然也たちがオカリナを形作り、焼き、音を試すことを繰り返してるんだと思うと、胸のあたりが温かくなって、杏樹はようやくドアを開ける気力がわいた。
杏樹は階段を上がり、少々レトロな木製風のドアを押し開けた。チリンと可愛らしいドアチャイムが鳴った。まるで「いらっしゃい」と優しげな女の人に出迎えてもらったみたいだ。
中には受付みたいなカウンターとドアがいくつか。トントンとリズミカルな足音がしたかと思うと、正面つき当たりのドアが開いた。すらりと背の高い男性が姿を現した。彼の後ろはどうやら2階へ続く階段になっているようだった。
「ようこそ、杏樹さん」
音無が笑みを浮かべて立っていた。丸いふちなしのメガネをかけていて、くせのない長髪を後ろでひとつにまとめてある。声のひびきは柔らかく、何があっても動じなさそうな落ち着きがあって、さすがに工房の主だなあと、杏樹はたちまち尊敬したくなった。
「あの、今日はお忙しいところにお邪魔してすみません。お世話になります」
杏樹はぺこりと頭を下げた。音無は、全然構わない、むしろ取り上げてもらって嬉しいと答えた。
「お姉さんは、お元気ですか」
「え、はい、たぶん元気だと思います」
本当のところ、正月に帰ってきた姉はなんだか忙しそうで、ゆっくり話す暇もなく仕事に戻ってしまったので、少なくとも体は壊してないらしいと、それだけしかわからなかった。
あまりにも正直な答えに、音無はほんの少し苦笑したが、変わらず穏やかに続けた。
「これから音と環境について専門的に勉強されるとお姉さんから伺いましたが、すると、私と同じ道を目指していることになりますね」
杏樹はびっくりして目を見開くどころか口まで開きそうになった。姉は相変わらずお節介というか何と言うか……。それより「私と同じ道」という言葉に反応した。
「あの、音無さんはずっとオカリナに関わってきたのだと思ってましたけど、違うんですか」
「ここを開いたのはほんの6年ほど前です。それ以前は音響アドバイザーの仕事をしていましたから」
たちまち杏樹の目が輝いた。
「じゃ、そのお話もあわせて、ぜひお願いします!」
音無はメガネの奥の目を細めて微笑んだ。ほんの一瞬、その笑みに陰を感じた杏樹だったが、気のせいだろうと思って深く考えないことにした。
それからの数時間は、杏樹にとって学校の授業の何倍も楽しく充実していて、あとで要点をかいつまんで文章化するのが大変なほどだったのだ。
「ねぇ、本物の夕焼けを見に行こうよ」
工房からの帰り道、杏樹は機嫌よく然也に話しかけた。話を聞き終わったころには外はすでに薄暗かったので、音無は然也を呼んで、杏樹を近くのバス亭まで送るようにと指示したのだった。
「おいおい、いったい何を言い出すんだ。工房を出たらまっすぐ帰るはずだろ」
「少しぐらい大丈夫だよ。ここからなら西の〈扉〉まですぐだし」
ドームには大きさにもよるが、たいてい東西南北にひとつずつ、計4つの〈扉〉があってドームの外に出られるようになっている。
然也は勘弁してくれよとばかりに口を開いた。
「『少しぐらい』って言ってもな、確かに近いが、もし君に何かあったら桃さんに合わせる顔がない」
「ふうん。姉さんとなら良くて、わたしとじゃだめなんだ」
「なんでそういう流れになる?」
然也はあきれて杏樹を見下ろした。
「だって、わたし知ってるんだよ。姉さんが時々然さんといっしょに外へ出てること」
「だから何だ?」
取り付く島もない言い方に、杏樹は肩をすくめた。
「つまんないの。いいよ、一人で行くから。然さんはわたしをバス停までちゃんと送っていったことにすればいいし」
杏樹は一人で駆け出した。だいたいの方角はわかっているつもりだったが、三叉路に行き当たって、立ち止まった。どっちへ行こうか迷って適当に足を踏み出すと、然也の声がした。
「そっちじゃない」
杏樹はへへっと笑って、追いついた彼を見上げた。
「笑ってる場合じゃないだろ。世話の焼けるやつだな」
「とにかく窓から西の空が見えればいいんだ」
「大したもんは見えないぞ」
「それでオッケー。外に出たいなんて絶対に言わないから」
杏樹は目を輝かせて然也を見つめた。やがて彼の大なため息が聞こえた。
「わかった。わかったけど夕日も夕焼けも期待するなよ」
「うん」
杏樹は無邪気に微笑む。
「……まったく、なんで今日に限ってあいつがいないんだ」
「そういえば、桂介さん、今日はいなかったよね」
「風邪をこじらせて寝込んでるんだ。まったくツイてない」
「ふうん。早く治るといいね」
ツイていないのはいったい誰なのか気にしながらも、杏樹は然也のあとについていった。
それからしばらく、杏樹たちは無愛想な庁舎が立ち並ぶ一角を歩いた。このドームの大部分は自然公園だが、残りのスペースには市庁舎をはじめ、行政機関の建物が入っている。つまり、基本的に公のためのドームで、こんな場所に個人の工房があるのは、ずい分と例外的なことだった。
壁のスクリーンから夕日が消え、街路灯の光が目に付くようになったころ、ドームの端が見えてきた。まるで作り物であることを隠すかのように、ドームの壁際にはぐるりと木が植えられている。外への扉へ続く出入り口だけがぽっかりと姿を現す様子は、東であろうと南であろうと、どの出入り口も変わらない。
ドアを押し開けると、そこは病院の廊下みたいな通路があった。白々と明るいくせに暗い感じがする。この通路はドームを囲んで一周していて、ドームの保守に使用されるほかに、二重窓と同じような働きをしてドーム内の温度を保持するのにも役立っていた。
杏樹は強化ガラスの巨大な窓に駆け寄った。外はもうほとんど暗くて、空を見上げてもわずかに濃紺のグラデーションがわかる程度だ。
「だから言っただろ。期待するなって」
然也の声に、杏樹は振り返った。
「本当はさ、夕焼けを見たかったわけじゃないんだ」
「何だって?」
然也の目つきが険しくなった。
「じゃ、何しに来たんだ」
声にトゲが混じる。剣呑な空気を感じて、杏樹はあわてて言い訳を始めた。
「そ、そんなに恐い顔しないでよ。実はさ、音無さんと話してて気になることがあって、ちょっとその辺の話を聞いてみたいなーなんて思ったの」
「そんなの歩きながらでも話せるだろ」
「うーん。それだとなんか落ち着かないし」
然也はそれ以上言葉を返すことなく、腕を組んで強化ガラスの窓にもたれかかった。話したいことがあれば早くしろと、視線で杏樹をうながす。杏樹は緊張して最初の言葉がのどにひっかかりそうになった。
「えっと、どうして音無さんてオカリナ工房を建てたか知ってる? ずっと音響デザイナーをやっててもよさそうなのに」
「それを直接本人に聞いたのか」
「うん」
すると然也は興味深そうに目を光らせ、身体をまっすぐに起こした。
「で、どうだった?」
「かわされちゃった。『その話は無駄に長いので時間がもったいないだけですよ。いずれ機会があれば』って。そんなことされたら、かえって期待するよね? ドラマみたいな事情がからんでるんじゃないかって」
然也はふっとため息みたいな笑いをもらしてから口を開いた。
「実はオレも知らないんだ」
「なーんだ」
杏樹はがっくりと肩を落とす。
「あの人、なぜかその話はしようとしないんだな。オレだけでなく工房の連中は誰も聞かされてないと思う」
「そっか……」
杏樹は腕組してしばらく考え込んだ。
「そうだ、もしかして、極悪なことに手を染めて警察にバレそうになってあわてて逃げ出したとか!」
「は?」
それから沈黙の5秒が過ぎ、然也がいきなり笑い出した。
「ど、どこからそんな発想が出てくるんだよ……!」
「ここ」
と、杏樹は自分の頭を指して見せる。
「だからその脳みそのどこにそんな馬鹿げた考えが詰まってるのかって聞いてるんだ」
「だって、音無さんてさ、話をしてるとほんの一瞬、よく見てないとわからないぐらいの変化だけど、ふっと暗い顔するんだ」
「それで?」
「だから、表ではものすごくいい人の顔してるけど、裏では何やってもおかしくないかもって」
然也はまた笑い出した。
「あれは『いい人』なんてもんじゃないぞ」
工房の主に向かっていくらなんでも「あれ」扱いはないんじゃ……と思った杏樹だったが、それは胸のうちにしまっておいた。
笑いを収めた然也は、不意に真顔で言った。
「確かにあの人が殺人罪で捕まったとしてもオレは驚かないね」
杏樹はごくりとつばを飲み込んだ。
「ま、それでも当分はあの人についてくけどな」
さらりと然也は告げた。その目は外の暗闇に向けられていた。
ぼんやりとその横顔を見ていた杏樹だったが、しばらくしてぽつりとつぶやいた。
「然さんは音無さんと逆だね」
「どういう意味だ」
「ヤなやつの顔して本当はいい人なんだ」
「お、おいっ。冗談も休み休み言えよ」
うろたえる然也を杏樹は少々意地の悪い微笑みで見守る。
「……まったく、桃さんも結構変わってると思ったが、君も相当なもんだな」
すると今度は杏樹が吹き出した。
「そんなにおかしなことを言ったか?」
「だって……だって、姉さんが……!」
笑いが止まらず、杏樹はいちど言葉を切った。
「姉さんは他人から見たらごく普通の真面目なお嬢さんなのに、それを『変わってる』なんてさ、そんな面白くて本当のこと言うのって、然さんくらいしかいないよ」
「そ、そうか?」
然也は照れくさそうに頭をかく。
「いやでも、そのくらいわかるだろ。普通に付き合っていれば」
突然杏樹は切なくなった。少なくとも彼は姉のことをそこまで理解しているのだし、お堅い性分の姉も彼の前では素直に自分を出しているのだ。
――あーあ、わたし、全然ダメじゃん。割り込む余地、まるで無し。
杏樹は窓の外に目を向けた。何も見えないどころか情けなさそうな自分の顔が写る。イライラが余計に募る。
ゴツン。
鈍い音がした。杏樹は額を強化ガラスに思いっきりぶつけていた。
「いててて……」
思わず額をさすると、然也が驚いてのぞきこんできた。
「大丈夫か? 本当にひとりじゃ危なかしくて放っておけないんだよな」
――もう、誰のせいだと思ってるのよ!
憮然として黙っていると、然也の手が心配そうに額へ伸びてくる。杏樹は泣きそうな思いでその手をどけた。
「大丈夫だから、もう帰ろう。あんまり遅くなると音無さんに何言われるかわかんないよ」
杏樹はさっさと歩き出した。
「そうだな……」
然也も怪訝な顔で彼女に続く。すると杏樹が急に立ち止まり、危うく二人はぶつかりそうになった。
「やっぱり然さんて、中身は凶悪」
「なんだそれ」
「自分に聞いてよ」
「まったく……。女の子はよくわからん」
「わからなくていいから」
その時、杏樹はある計画を胸に抱えていたのだった。
「へぇ、こんなに綺麗な建物だったんだ」
一月最後の木曜日、杏樹はオカリナ工房の前まで来て立ち止まった。目の前には洒脱なつくりのポーチがあって、来訪することはすでに伝えてあるので、あとは階段を三つ上ってドアを開けるだけだった。が、何となくためらいを感じて自然と足が止まった。
杏樹がここまで足を運んだのは、あくまで勉強のためだ。学年末の試験に加えてレポートも提出しなくてはならず、その取材だ。取材もきちんと計画書と報告書を出せば授業に出たのと同じ扱いになる。テーマは自由に設定できたので、彼女は迷わず「音と癒し」にした。他には思いつけなかった。
ちょうど昨年の今ごろだった。然也に出会い、生の音楽をすぐそばで聞かせてもらったのは。あれから杏樹は音に関わる仕事がしたいと意気込み、姉の心配をよそに色々調べてまわった。すると、楽器を演奏したり作ったり、というアプローチもあるけれど、「音」というものをもっと大きく捕らえて、人の暮らしの中でどう役立てるかを研究する仕事もあるのだとわかった。「これだ!」と杏樹は思った。この方面の研究をするには、心理学はもちろん数学や物理の知識も必要だったが、幸い杏樹は理系の科目に強かったので、迷うことはなかった。
杏樹は今一度ポーチを見上げた。
「うーん、やっぱり緊張する……」
前に来た時は桂介がいっしょだったし、夕方を過ぎて他に人がいないことはわかっていたので気楽に中へ入れたのだが、こうして改めて訪れてみれば、明るく穏やかな日差しの下で白いモルタル造りの工房は独特の存在感を放っている。
土地の限られたドームでは、人の暮らす建物はたいてい4階建以上なのに、ここは2階までしかなく、西と北側は建物で塞がれているものの、東側は敷地ギリギリまで自然公園の林がせまっていて、ときどき木枯らしが木々を鳴らすのが聞こた。町の喧騒とは無縁の場所だ。
「最高の環境だよねぇ……。普通ならこんなところに工房なんか作れないのに」
後から工房の主から聞いた話によると、この土地は市有地で、古い資料館を壊そうとしていたのを、建物ごと借りて改修して今の工房になったのだという。
この中で桂介や然也たちがオカリナを形作り、焼き、音を試すことを繰り返してるんだと思うと、胸のあたりが温かくなって、杏樹はようやくドアを開ける気力がわいた。
杏樹は階段を上がり、少々レトロな木製風のドアを押し開けた。チリンと可愛らしいドアチャイムが鳴った。まるで「いらっしゃい」と優しげな女の人に出迎えてもらったみたいだ。
中には受付みたいなカウンターとドアがいくつか。トントンとリズミカルな足音がしたかと思うと、正面つき当たりのドアが開いた。すらりと背の高い男性が姿を現した。彼の後ろはどうやら2階へ続く階段になっているようだった。
「ようこそ、杏樹さん」
音無が笑みを浮かべて立っていた。丸いふちなしのメガネをかけていて、くせのない長髪を後ろでひとつにまとめてある。声のひびきは柔らかく、何があっても動じなさそうな落ち着きがあって、さすがに工房の主だなあと、杏樹はたちまち尊敬したくなった。
「あの、今日はお忙しいところにお邪魔してすみません。お世話になります」
杏樹はぺこりと頭を下げた。音無は、全然構わない、むしろ取り上げてもらって嬉しいと答えた。
「お姉さんは、お元気ですか」
「え、はい、たぶん元気だと思います」
本当のところ、正月に帰ってきた姉はなんだか忙しそうで、ゆっくり話す暇もなく仕事に戻ってしまったので、少なくとも体は壊してないらしいと、それだけしかわからなかった。
あまりにも正直な答えに、音無はほんの少し苦笑したが、変わらず穏やかに続けた。
「これから音と環境について専門的に勉強されるとお姉さんから伺いましたが、すると、私と同じ道を目指していることになりますね」
杏樹はびっくりして目を見開くどころか口まで開きそうになった。姉は相変わらずお節介というか何と言うか……。それより「私と同じ道」という言葉に反応した。
「あの、音無さんはずっとオカリナに関わってきたのだと思ってましたけど、違うんですか」
「ここを開いたのはほんの6年ほど前です。それ以前は音響アドバイザーの仕事をしていましたから」
たちまち杏樹の目が輝いた。
「じゃ、そのお話もあわせて、ぜひお願いします!」
音無はメガネの奥の目を細めて微笑んだ。ほんの一瞬、その笑みに陰を感じた杏樹だったが、気のせいだろうと思って深く考えないことにした。
それからの数時間は、杏樹にとって学校の授業の何倍も楽しく充実していて、あとで要点をかいつまんで文章化するのが大変なほどだったのだ。
「ねぇ、本物の夕焼けを見に行こうよ」
工房からの帰り道、杏樹は機嫌よく然也に話しかけた。話を聞き終わったころには外はすでに薄暗かったので、音無は然也を呼んで、杏樹を近くのバス亭まで送るようにと指示したのだった。
「おいおい、いったい何を言い出すんだ。工房を出たらまっすぐ帰るはずだろ」
「少しぐらい大丈夫だよ。ここからなら西の〈扉〉まですぐだし」
ドームには大きさにもよるが、たいてい東西南北にひとつずつ、計4つの〈扉〉があってドームの外に出られるようになっている。
然也は勘弁してくれよとばかりに口を開いた。
「『少しぐらい』って言ってもな、確かに近いが、もし君に何かあったら桃さんに合わせる顔がない」
「ふうん。姉さんとなら良くて、わたしとじゃだめなんだ」
「なんでそういう流れになる?」
然也はあきれて杏樹を見下ろした。
「だって、わたし知ってるんだよ。姉さんが時々然さんといっしょに外へ出てること」
「だから何だ?」
取り付く島もない言い方に、杏樹は肩をすくめた。
「つまんないの。いいよ、一人で行くから。然さんはわたしをバス停までちゃんと送っていったことにすればいいし」
杏樹は一人で駆け出した。だいたいの方角はわかっているつもりだったが、三叉路に行き当たって、立ち止まった。どっちへ行こうか迷って適当に足を踏み出すと、然也の声がした。
「そっちじゃない」
杏樹はへへっと笑って、追いついた彼を見上げた。
「笑ってる場合じゃないだろ。世話の焼けるやつだな」
「とにかく窓から西の空が見えればいいんだ」
「大したもんは見えないぞ」
「それでオッケー。外に出たいなんて絶対に言わないから」
杏樹は目を輝かせて然也を見つめた。やがて彼の大なため息が聞こえた。
「わかった。わかったけど夕日も夕焼けも期待するなよ」
「うん」
杏樹は無邪気に微笑む。
「……まったく、なんで今日に限ってあいつがいないんだ」
「そういえば、桂介さん、今日はいなかったよね」
「風邪をこじらせて寝込んでるんだ。まったくツイてない」
「ふうん。早く治るといいね」
ツイていないのはいったい誰なのか気にしながらも、杏樹は然也のあとについていった。
それからしばらく、杏樹たちは無愛想な庁舎が立ち並ぶ一角を歩いた。このドームの大部分は自然公園だが、残りのスペースには市庁舎をはじめ、行政機関の建物が入っている。つまり、基本的に公のためのドームで、こんな場所に個人の工房があるのは、ずい分と例外的なことだった。
壁のスクリーンから夕日が消え、街路灯の光が目に付くようになったころ、ドームの端が見えてきた。まるで作り物であることを隠すかのように、ドームの壁際にはぐるりと木が植えられている。外への扉へ続く出入り口だけがぽっかりと姿を現す様子は、東であろうと南であろうと、どの出入り口も変わらない。
ドアを押し開けると、そこは病院の廊下みたいな通路があった。白々と明るいくせに暗い感じがする。この通路はドームを囲んで一周していて、ドームの保守に使用されるほかに、二重窓と同じような働きをしてドーム内の温度を保持するのにも役立っていた。
杏樹は強化ガラスの巨大な窓に駆け寄った。外はもうほとんど暗くて、空を見上げてもわずかに濃紺のグラデーションがわかる程度だ。
「だから言っただろ。期待するなって」
然也の声に、杏樹は振り返った。
「本当はさ、夕焼けを見たかったわけじゃないんだ」
「何だって?」
然也の目つきが険しくなった。
「じゃ、何しに来たんだ」
声にトゲが混じる。剣呑な空気を感じて、杏樹はあわてて言い訳を始めた。
「そ、そんなに恐い顔しないでよ。実はさ、音無さんと話してて気になることがあって、ちょっとその辺の話を聞いてみたいなーなんて思ったの」
「そんなの歩きながらでも話せるだろ」
「うーん。それだとなんか落ち着かないし」
然也はそれ以上言葉を返すことなく、腕を組んで強化ガラスの窓にもたれかかった。話したいことがあれば早くしろと、視線で杏樹をうながす。杏樹は緊張して最初の言葉がのどにひっかかりそうになった。
「えっと、どうして音無さんてオカリナ工房を建てたか知ってる? ずっと音響デザイナーをやっててもよさそうなのに」
「それを直接本人に聞いたのか」
「うん」
すると然也は興味深そうに目を光らせ、身体をまっすぐに起こした。
「で、どうだった?」
「かわされちゃった。『その話は無駄に長いので時間がもったいないだけですよ。いずれ機会があれば』って。そんなことされたら、かえって期待するよね? ドラマみたいな事情がからんでるんじゃないかって」
然也はふっとため息みたいな笑いをもらしてから口を開いた。
「実はオレも知らないんだ」
「なーんだ」
杏樹はがっくりと肩を落とす。
「あの人、なぜかその話はしようとしないんだな。オレだけでなく工房の連中は誰も聞かされてないと思う」
「そっか……」
杏樹は腕組してしばらく考え込んだ。
「そうだ、もしかして、極悪なことに手を染めて警察にバレそうになってあわてて逃げ出したとか!」
「は?」
それから沈黙の5秒が過ぎ、然也がいきなり笑い出した。
「ど、どこからそんな発想が出てくるんだよ……!」
「ここ」
と、杏樹は自分の頭を指して見せる。
「だからその脳みそのどこにそんな馬鹿げた考えが詰まってるのかって聞いてるんだ」
「だって、音無さんてさ、話をしてるとほんの一瞬、よく見てないとわからないぐらいの変化だけど、ふっと暗い顔するんだ」
「それで?」
「だから、表ではものすごくいい人の顔してるけど、裏では何やってもおかしくないかもって」
然也はまた笑い出した。
「あれは『いい人』なんてもんじゃないぞ」
工房の主に向かっていくらなんでも「あれ」扱いはないんじゃ……と思った杏樹だったが、それは胸のうちにしまっておいた。
笑いを収めた然也は、不意に真顔で言った。
「確かにあの人が殺人罪で捕まったとしてもオレは驚かないね」
杏樹はごくりとつばを飲み込んだ。
「ま、それでも当分はあの人についてくけどな」
さらりと然也は告げた。その目は外の暗闇に向けられていた。
ぼんやりとその横顔を見ていた杏樹だったが、しばらくしてぽつりとつぶやいた。
「然さんは音無さんと逆だね」
「どういう意味だ」
「ヤなやつの顔して本当はいい人なんだ」
「お、おいっ。冗談も休み休み言えよ」
うろたえる然也を杏樹は少々意地の悪い微笑みで見守る。
「……まったく、桃さんも結構変わってると思ったが、君も相当なもんだな」
すると今度は杏樹が吹き出した。
「そんなにおかしなことを言ったか?」
「だって……だって、姉さんが……!」
笑いが止まらず、杏樹はいちど言葉を切った。
「姉さんは他人から見たらごく普通の真面目なお嬢さんなのに、それを『変わってる』なんてさ、そんな面白くて本当のこと言うのって、然さんくらいしかいないよ」
「そ、そうか?」
然也は照れくさそうに頭をかく。
「いやでも、そのくらいわかるだろ。普通に付き合っていれば」
突然杏樹は切なくなった。少なくとも彼は姉のことをそこまで理解しているのだし、お堅い性分の姉も彼の前では素直に自分を出しているのだ。
――あーあ、わたし、全然ダメじゃん。割り込む余地、まるで無し。
杏樹は窓の外に目を向けた。何も見えないどころか情けなさそうな自分の顔が写る。イライラが余計に募る。
ゴツン。
鈍い音がした。杏樹は額を強化ガラスに思いっきりぶつけていた。
「いててて……」
思わず額をさすると、然也が驚いてのぞきこんできた。
「大丈夫か? 本当にひとりじゃ危なかしくて放っておけないんだよな」
――もう、誰のせいだと思ってるのよ!
憮然として黙っていると、然也の手が心配そうに額へ伸びてくる。杏樹は泣きそうな思いでその手をどけた。
「大丈夫だから、もう帰ろう。あんまり遅くなると音無さんに何言われるかわかんないよ」
杏樹はさっさと歩き出した。
「そうだな……」
然也も怪訝な顔で彼女に続く。すると杏樹が急に立ち止まり、危うく二人はぶつかりそうになった。
「やっぱり然さんて、中身は凶悪」
「なんだそれ」
「自分に聞いてよ」
「まったく……。女の子はよくわからん」
「わからなくていいから」
その時、杏樹はある計画を胸に抱えていたのだった。
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