心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
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〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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年末恒例の…とか思っていたら、大掃除に気を取られているうちに年が明けてしまった。
それでも石井ゆかりさんとしいたけ。さんの年間占いはちゃんとチェックしている。
読んでみて思ったのは…
2025年もコミュニケーションの年ですか?
ということ。正確には「ギフトの年」とあったが、ギフトのやり取りの前提としてコミュニケーションの存在がある。縁のある人から有形無形のものをやり取りすることになるのかもしれない。そしてギフトの先に待っているものとは…
まるでオーケストラの練習をしているときのようだ。大変だー時間がないーとか言いながら必死に練習をして本番を迎え、拍手を受けた瞬間にすべて報われる流れそのもの。あるいは必死で物語を書き上げ、読んだ人から「救われた」と言われた瞬間。
もしかすると、新しい年は何か素敵なものを作ることになるのかな。
それでも石井ゆかりさんとしいたけ。さんの年間占いはちゃんとチェックしている。
読んでみて思ったのは…
2025年もコミュニケーションの年ですか?
ということ。正確には「ギフトの年」とあったが、ギフトのやり取りの前提としてコミュニケーションの存在がある。縁のある人から有形無形のものをやり取りすることになるのかもしれない。そしてギフトの先に待っているものとは…
「本当にやりたいこと」「本物の喜び」。
そこには、苦労やガマン、悩みがつきものです。
2025年の貴方はきっと、大きな喜びのために、自らそれらを選び取ります。
そして、その試みは必ず、数年後の大成功に繋がります。
この時期の貴方は直観的に、自分の願いがいずれ叶うことを知っています。
ゆえに、難しいと思えること、辛そうなことでも、必死に引き受けていけるのです。
まるでオーケストラの練習をしているときのようだ。大変だー時間がないーとか言いながら必死に練習をして本番を迎え、拍手を受けた瞬間にすべて報われる流れそのもの。あるいは必死で物語を書き上げ、読んだ人から「救われた」と言われた瞬間。
もしかすると、新しい年は何か素敵なものを作ることになるのかな。
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今年の春、取材の折に画家の方と直接お話しできる機会があり、絵画についてだけでなく、社会の情勢についても興味深いご意見をうかがい、楽しいひとときを過ごしたのだが、その中に星占いが出てきた。大学で教える立場にあるその方は、学生と会話するとき、とっかかりとして星占いを使うのだという。それだけでも十分面白いと思ったのだが、「あなた何座?」と聞かれ、そう来るかとびっくりした。素直に「蠍座です」と答えたところ、その方は少し勘案するような素振りを見せて、「いろいろ難儀でしょう?」と言われた。正直ピンと来なかったが、深い意味があるのかもしれないと思って、「はい」と頷いた。
一般的に星占いの世界では、蠍座はミステリアス(秘密主義)だとか、頑固な一面があるとか、メンタル的にスタミナがあるとか、生と死に関わる星座だとか色々言われている(ときには「頭がおかしい度999999%」と言われたりすることも/笑)が、それと「難儀」があまり結びつかなかったのだ。
しばらくして、他の蠍座さんと関わる機会があり、そのこだわりの強さと独特のコミュニケーションの仕方に対して「なかなか面倒くさい性格してるよね、お互いに」と思うことがあった。このときに「お互い難儀な性格だよね」と言い換えても問題なく成り立つことに気がつき、画家先生の「難儀」の意味が腑に落ちたのだった。
その後、自分の心の中でなにかの壁にぶつかるたび、「難儀な性格だからね」と自分に向かってつぶやくようになった。すると少しだけ気持ちが楽になる。便利な言葉だ。
それにしても、蠍座だから難儀な性分なのか、あるいは「難儀でしょう」と言わたので、それに当てはまるような事象に対してアンテナが立ったのか、どちらなのだろう。(たぶんそういうとこ)
一般的に星占いの世界では、蠍座はミステリアス(秘密主義)だとか、頑固な一面があるとか、メンタル的にスタミナがあるとか、生と死に関わる星座だとか色々言われている(ときには「頭がおかしい度999999%」と言われたりすることも/笑)が、それと「難儀」があまり結びつかなかったのだ。
しばらくして、他の蠍座さんと関わる機会があり、そのこだわりの強さと独特のコミュニケーションの仕方に対して「なかなか面倒くさい性格してるよね、お互いに」と思うことがあった。このときに「お互い難儀な性格だよね」と言い換えても問題なく成り立つことに気がつき、画家先生の「難儀」の意味が腑に落ちたのだった。
その後、自分の心の中でなにかの壁にぶつかるたび、「難儀な性格だからね」と自分に向かってつぶやくようになった。すると少しだけ気持ちが楽になる。便利な言葉だ。
それにしても、蠍座だから難儀な性分なのか、あるいは「難儀でしょう」と言わたので、それに当てはまるような事象に対してアンテナが立ったのか、どちらなのだろう。(たぶんそういうとこ)
この半年くらいだろうか。元ツイッターでぷち怖い話が4コマ漫画で流れてくるようになり、時々読んでいる。怖い話は苦手だが、ちょっとだけ怖いのならギリギリ楽しめることに気づいたからだ。そのうち、少しずつ怖さに対する耐性がついてきたような気がする今日このごろだが――まるでタイミングを測ったかのように、今度はnoteで笑えない怖い…というかヤな話が飛び込んできた。
世の中には引きが強い人がいるし、ここぞという場面で大事なものを引き当てる人や「持ってる」人たちがいる。あまり霊感とか超能力的なもパワーは信じないほうだが、そういうものが世の中にまったく存在しないとも思えない。霊的な世界に足を突っ込んでいる人にはちゃんとそういう世界があり、素人は立ち入ることができない場所があるのも間違いないだろう。
それで、先日、そういう世界にいる人の書いた記事を目にする機会があった。たまたまだと思うが、困ったちゃんの例として「自分の力に無自覚でいるがために、何の配慮もなく自分に有利になるよう念じた際に(恐らく)無理に世界を動かしてしまい犠牲者が出た」話が挙げられていた。
これは例えば、嫌な上司と離れたいと願った際に、その叶い方が、上司が事故にあって入院するという形をとるようなケースである。黒い魔法と言ったらイメージが湧きやすいだろうか。もし上司が栄転して違う職場へ行ったという結末なら、白い魔法で願いが叶ったと思ってもいいのかもしれない。
実は、最近、自分でも物事がうまく流れすぎると思うときがあって、「こうなったらいいな」が叶うたび知らず知らずのうちに誰かを傷つけたりしていないだろうかとふと気になった。もっとも、自分は見えないパワーを扱う人たちとは違う世界に住んでいるので、そもそも良いことも悪いことも恣意的に起こす力は持たないはずではあるのだが。
世の中には引きが強い人がいるし、ここぞという場面で大事なものを引き当てる人や「持ってる」人たちがいる。あまり霊感とか超能力的なもパワーは信じないほうだが、そういうものが世の中にまったく存在しないとも思えない。霊的な世界に足を突っ込んでいる人にはちゃんとそういう世界があり、素人は立ち入ることができない場所があるのも間違いないだろう。
それで、先日、そういう世界にいる人の書いた記事を目にする機会があった。たまたまだと思うが、困ったちゃんの例として「自分の力に無自覚でいるがために、何の配慮もなく自分に有利になるよう念じた際に(恐らく)無理に世界を動かしてしまい犠牲者が出た」話が挙げられていた。
これは例えば、嫌な上司と離れたいと願った際に、その叶い方が、上司が事故にあって入院するという形をとるようなケースである。黒い魔法と言ったらイメージが湧きやすいだろうか。もし上司が栄転して違う職場へ行ったという結末なら、白い魔法で願いが叶ったと思ってもいいのかもしれない。
実は、最近、自分でも物事がうまく流れすぎると思うときがあって、「こうなったらいいな」が叶うたび知らず知らずのうちに誰かを傷つけたりしていないだろうかとふと気になった。もっとも、自分は見えないパワーを扱う人たちとは違う世界に住んでいるので、そもそも良いことも悪いことも恣意的に起こす力は持たないはずではあるのだが。
毎年年末年始は、年間星占いを見て(主に石井ゆかりさんとしいたけ。さん)年始の抱負みたいなものを考えるのだけれど、今年はこんなことが気になっている。
どの占いを見ても、今年の蠍座は引き続き人間関係がフューチャーされるようだ。実は昨年の10月あたりからすでに熱いので、その勢いが続くとなるとエライことになりそうだ。心の準備、というか思考パターンを大きく変えないとついていけない気がする。
それからもうひとつ大事なことがあって、それは石井ゆかりさんの占いの一番最後にかかれていた文章と関係する。
今の美術展ライターの仕事をしていると、人と芸術と社会、という三角関係にどうしても目がゆくし、同時に人と美術館と社会、という三角関係にも注目せざるを得ない。この三角関係がまさに、「人と人、人と世界、人と事物との深遠な心の結びつき」と対応しているのだ。
アートというのは、人間が自分を取り巻く世界や物事をどう捕らえているかを表現するものだし、それには社会とアーティストのつながりが必ず反映される。美術館はアートと社会をつなぐ存在であり、言い換えるとアーティストと鑑賞者をつなぐ存在だ。いずれにしても「つながった」と感じるためには、エモーション、心の結びつきが生まれるかどうかにかかっている。
これまでの人生、息をするように音楽やアートを見聞きしてた自分にとって、音楽やアートから受けた感覚を伝えたいと思うのは当然の欲求だし、結果として「アートを通じて世界が広がった」という人が増えると嬉しい。
特に、今のアートは結びつきを作るためにはガイドができる人間によるちょっとした手助けが必要で、それができるといいなあと思うし、アートとの出会いってつまるところ他者との出会いなので、これもコミュニケーションの一種なのね。このあたりを深掘りして自分の行動に反映させることができたらいいなあと、ぼんやり考えている。
どの占いを見ても、今年の蠍座は引き続き人間関係がフューチャーされるようだ。実は昨年の10月あたりからすでに熱いので、その勢いが続くとなるとエライことになりそうだ。心の準備、というか思考パターンを大きく変えないとついていけない気がする。
それからもうひとつ大事なことがあって、それは石井ゆかりさんの占いの一番最後にかかれていた文章と関係する。
人と人、人と世界、人と事物との深遠な心の結びつきこそが、貴方がこれから伸ばしてゆく根であり、枝葉です。
今の美術展ライターの仕事をしていると、人と芸術と社会、という三角関係にどうしても目がゆくし、同時に人と美術館と社会、という三角関係にも注目せざるを得ない。この三角関係がまさに、「人と人、人と世界、人と事物との深遠な心の結びつき」と対応しているのだ。
アートというのは、人間が自分を取り巻く世界や物事をどう捕らえているかを表現するものだし、それには社会とアーティストのつながりが必ず反映される。美術館はアートと社会をつなぐ存在であり、言い換えるとアーティストと鑑賞者をつなぐ存在だ。いずれにしても「つながった」と感じるためには、エモーション、心の結びつきが生まれるかどうかにかかっている。
これまでの人生、息をするように音楽やアートを見聞きしてた自分にとって、音楽やアートから受けた感覚を伝えたいと思うのは当然の欲求だし、結果として「アートを通じて世界が広がった」という人が増えると嬉しい。
特に、今のアートは結びつきを作るためにはガイドができる人間によるちょっとした手助けが必要で、それができるといいなあと思うし、アートとの出会いってつまるところ他者との出会いなので、これもコミュニケーションの一種なのね。このあたりを深掘りして自分の行動に反映させることができたらいいなあと、ぼんやり考えている。
昨年の年末はいい具合にバイロイト音楽祭でワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」をやっていたので、聴きながら大晦日の晩を過ごした。リングをがっつりやり、トリスタンを真面目に聞いた後のパルジファルは、新たに気づいたことも多く、心洗われる体験だった。
今年の夏至に「コミュ力がほしい」と臆面もなく書いた。
そうしたら、冬至が近くなった頃に、これ何棚ぼた?という勢いで人との縁が降ってきた。
発端はそう、職場でちょっと苦手な人がいて、その人との付き合いを何とかできないかと1ヶ月くらい悩んでいるうちに、重い歯車がゆっくりと動き出すかのように上手くいき始めたことにある。
それから不思議な出会いあり、懐かしい友人との再会デートあり、今年急速に意気投合しはじめた人ありで、しかもその人達が新しい縁さえ運んでくれるという、奇跡のターンが始まった。
落ち着いて考えてみれば、これは決して棚ぼたではなく、例えば、美術館ボランティアに応募し、合格したあとも、自分なりに馴染もうとして少しずつ動いてきた事実はある。何かあるたびに少しだけ前向きに、人と縁がつながるような選択と行動を積み重ねてきた。それが積もり積もって、ある時不意に表面化した結果なのだと思えなくもない。
でも、奇跡のターンとして努力が大化けするには、最後のトリガー的なものがきっと必要だった。そのトリガーには心当たりがある。アマゾンオーディブルで「夜は短し歩けよ乙女」の一話目だ。それを聞き終わった時、なんとも清々しく何もかも許されてもう一度良い方向へ出発できる気がした。それは小説としての面白さを超えて、天からの賜物といっても良いぐらいであった。
この小説との出会いも思い返すと奇妙なもので、たまたまオーディブルの無料キャンペーンに興味がわき、さらに一定期間に5H以上の本を一冊再生しきるとポイントがつく、というキャンペーンに誘惑されて適当にポチッとしたのが「夜は歩けよ~」だったというわけだ。
もしかしてサンタさんて、目に見えないだけで実在する?
そうしたら、冬至が近くなった頃に、これ何棚ぼた?という勢いで人との縁が降ってきた。
発端はそう、職場でちょっと苦手な人がいて、その人との付き合いを何とかできないかと1ヶ月くらい悩んでいるうちに、重い歯車がゆっくりと動き出すかのように上手くいき始めたことにある。
それから不思議な出会いあり、懐かしい友人との再会デートあり、今年急速に意気投合しはじめた人ありで、しかもその人達が新しい縁さえ運んでくれるという、奇跡のターンが始まった。
落ち着いて考えてみれば、これは決して棚ぼたではなく、例えば、美術館ボランティアに応募し、合格したあとも、自分なりに馴染もうとして少しずつ動いてきた事実はある。何かあるたびに少しだけ前向きに、人と縁がつながるような選択と行動を積み重ねてきた。それが積もり積もって、ある時不意に表面化した結果なのだと思えなくもない。
でも、奇跡のターンとして努力が大化けするには、最後のトリガー的なものがきっと必要だった。そのトリガーには心当たりがある。アマゾンオーディブルで「夜は短し歩けよ乙女」の一話目だ。それを聞き終わった時、なんとも清々しく何もかも許されてもう一度良い方向へ出発できる気がした。それは小説としての面白さを超えて、天からの賜物といっても良いぐらいであった。
この小説との出会いも思い返すと奇妙なもので、たまたまオーディブルの無料キャンペーンに興味がわき、さらに一定期間に5H以上の本を一冊再生しきるとポイントがつく、というキャンペーンに誘惑されて適当にポチッとしたのが「夜は歩けよ~」だったというわけだ。
もしかしてサンタさんて、目に見えないだけで実在する?
夏至に紫陽花の花を吊るして「花守り」にすると良いと聞き知って試してみたのが昨年。一年のうちで最も日が長くなるこの日には、お祭りをする地域も世界各地にあるというし、実際ある種のパワーに満ちる時期だと思う。
それで占いサイトなんかには、夏至の日に願掛けをするといいと書いてあったりもする。自分の心によく向き合って、本当の願いをはっきりせ、言葉にするとよいというのだ。なるほどな~と頷きながら、そういえばこの春からある願い事が芽を出しつつあるのに気がついた。
それで占いサイトなんかには、夏至の日に願掛けをするといいと書いてあったりもする。自分の心によく向き合って、本当の願いをはっきりせ、言葉にするとよいというのだ。なるほどな~と頷きながら、そういえばこの春からある願い事が芽を出しつつあるのに気がついた。
前回の記事からさらに1ヶ月近くたち、今宵はたまたま新月の時間。
新月といえば「新月の願い事」が有名で、自分も時々書き残してきた。
まめに書いていたのが6~7年前だったと思う。その時の主な願いは、とにかく物を書いて社会に認められること。さら言えば、児童小説でデビューしたかったが、それをハッキリ書くのはおこがましい気がして、芸術方面の文筆業で仕事ができるようになりたいと書いた。さらに文筆業を支える環境や生活サイクルを作ることも同時に願い事に添えた。
書いた時は正直、半信半疑だったが、結果としてはご覧の通り。紆余曲折を経て学芸員資格を取り、しっかり活動している文化施設に就職が決まり、美術展ライターとしてお仕事が頂けるようになった。本当に新月にパワーがあるのか、それともよく言われるように潜在意識に刷り込んだせいなのかはわからない。でも、とりあえずは最初の目的地までたどり着くことができた。
「最初の目的地」。そう、次のステップがあるのだ。ぶっちゃけて言えば「書いて何をするの?」ということだ。以前に書いた「新月の願い」では、物を書いて世の中に美しいものがあることを伝えたいと書いたと記憶している。書く仕事を得た今なら、この「世の中に伝えたい」の内容を膨らませることができる。何を、何のために、どうやって?
というわけで、現時点での新月の願いはこんな風になるだろうか。
新月といえば「新月の願い事」が有名で、自分も時々書き残してきた。
まめに書いていたのが6~7年前だったと思う。その時の主な願いは、とにかく物を書いて社会に認められること。さら言えば、児童小説でデビューしたかったが、それをハッキリ書くのはおこがましい気がして、芸術方面の文筆業で仕事ができるようになりたいと書いた。さらに文筆業を支える環境や生活サイクルを作ることも同時に願い事に添えた。
書いた時は正直、半信半疑だったが、結果としてはご覧の通り。紆余曲折を経て学芸員資格を取り、しっかり活動している文化施設に就職が決まり、美術展ライターとしてお仕事が頂けるようになった。本当に新月にパワーがあるのか、それともよく言われるように潜在意識に刷り込んだせいなのかはわからない。でも、とりあえずは最初の目的地までたどり着くことができた。
「最初の目的地」。そう、次のステップがあるのだ。ぶっちゃけて言えば「書いて何をするの?」ということだ。以前に書いた「新月の願い」では、物を書いて世の中に美しいものがあることを伝えたいと書いたと記憶している。書く仕事を得た今なら、この「世の中に伝えたい」の内容を膨らませることができる。何を、何のために、どうやって?
というわけで、現時点での新月の願いはこんな風になるだろうか。
新しい環境に移ってから1ヶ月経とうとしている。数年に一度あることなのだが、いっぺんに各方面で何もかもが変わる時期というのがあって、最大のそれは忘れもしない2011年3月(ダンナ氏の実家が燃え、犬が我が家に来た)、次の大きな波がフルタイム勤務を始め、それと入れ替わりにダンナ氏が仕事をやめたり息子氏が引きこもりを始めた5年前、そして3回目がこの春だ。
先日、5年間努めていた職場を退職した。昨年度が最後の契約更新の年だったからだ。
率直に言おう。5年間、相性の合わない仕事によく耐えた。今だからバラすが、この職場に入って三日目で「これは無理」と思った。……思ったが3日で辞めるのはさすがに根性がなさすぎると思い、後少し、もう少し、と粘っているうちに簡単には辞められなくなり、しがらみに負けて結局5年間続けてしまった。
向いていない仕事とわかっていながら、そして他の人材を自分のポジションに据えたほうがうまく仕事が回るだろうにと思いつつも自分なりに頑張った5年間、辞めるときになってみれば「戻ってきて」という声を(お世辞だとしても)たくさん聞けたのがご褒美と言えるだろう。
社会勉強はこれでもかというほど、させてもらった。仕事を進めるにあたってはコミュニケーションが重要であること(それ以前に「コミュニケーションとは?」というレベルだったので)、人には誰しも表の顔と裏の顔があること、本人が意識しているかどうかにかかわらず、相手により、また状況により180度反対の態度を取ってしまうことがあるということ、上司との付き合い方(&認められ方)、人の噂話や悪口の行方など、ある程度人数が多くて込み入った組織でないとわからないことをたくさん知ることができた。
得るものが多かった一方で、あと少しで自分が潰れてしまうところでもあった。もともと賑やかな環境では集中できないor集中すると周りの物事がいっさい目に入らなくなるという性質のため、書類ひとつ作るにも難儀したし、電話が嫌いなので、業者さんとの連絡は遅くなることがよくあった。そこを気合で乗り切ろうとしたので、MPの減りの早いこと!
この春から職場を変え、ライターとしての仕事も始めてみて思ったのは「ここが私のフィールド(戦場)だ!」。もともと好きでやっていた分野のライティングは、面倒なことが多々あったとしても楽しいとしか言いようがなく、これが魂の求めていた仕事なのね、と納得することしきり。魚を元気に泳がせておくには、水を合わせるのが大事。
率直に言おう。5年間、相性の合わない仕事によく耐えた。今だからバラすが、この職場に入って三日目で「これは無理」と思った。……思ったが3日で辞めるのはさすがに根性がなさすぎると思い、後少し、もう少し、と粘っているうちに簡単には辞められなくなり、しがらみに負けて結局5年間続けてしまった。
向いていない仕事とわかっていながら、そして他の人材を自分のポジションに据えたほうがうまく仕事が回るだろうにと思いつつも自分なりに頑張った5年間、辞めるときになってみれば「戻ってきて」という声を(お世辞だとしても)たくさん聞けたのがご褒美と言えるだろう。
社会勉強はこれでもかというほど、させてもらった。仕事を進めるにあたってはコミュニケーションが重要であること(それ以前に「コミュニケーションとは?」というレベルだったので)、人には誰しも表の顔と裏の顔があること、本人が意識しているかどうかにかかわらず、相手により、また状況により180度反対の態度を取ってしまうことがあるということ、上司との付き合い方(&認められ方)、人の噂話や悪口の行方など、ある程度人数が多くて込み入った組織でないとわからないことをたくさん知ることができた。
得るものが多かった一方で、あと少しで自分が潰れてしまうところでもあった。もともと賑やかな環境では集中できないor集中すると周りの物事がいっさい目に入らなくなるという性質のため、書類ひとつ作るにも難儀したし、電話が嫌いなので、業者さんとの連絡は遅くなることがよくあった。そこを気合で乗り切ろうとしたので、MPの減りの早いこと!
この春から職場を変え、ライターとしての仕事も始めてみて思ったのは「ここが私のフィールド(戦場)だ!」。もともと好きでやっていた分野のライティングは、面倒なことが多々あったとしても楽しいとしか言いようがなく、これが魂の求めていた仕事なのね、と納得することしきり。魚を元気に泳がせておくには、水を合わせるのが大事。
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