心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
アーカイブ
アクセス解析
アナライズ
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
昨年の年末はいい具合にバイロイト音楽祭でワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」をやっていたので、聴きながら大晦日の晩を過ごした。リングをがっつりやり、トリスタンを真面目に聞いた後のパルジファルは、新たに気づいたことも多く、心洗われる体験だった。
心が洗われながらも、あることが気になってしかたなかった。それは、ワーグナーの楽劇には「死にたがりの王様もしくはヒーローが多い」件である。まず「パルジファル」に登場するアンフォルタス王。「トリスタンとイゾルデ」のトリスタン。リングシリーズの諸悪の根源影の主役、神々の王ヴォータン。
3人とも、運命に追い詰められると死に救いを見出すようになる。結果、どうなったかというとヴォータンは自分の城もろとも娘のブリュンヒルデが起こした浄化の炎で燃え尽きる。トリスタンはイゾルデの到着を待たずして息絶えるが、彼女の魂とともに昇天する。しかし、アンフォルタスは死ぬこと敵わず、パルジファルが持参した聖なる槍で癒やされ、同時に聖杯王という重い責務からも免除される。現世に留まったまま救われるのである。こうして見てみると、作品が後期になるにつれ、死にたがりの王様の扱いが変化していることがわかる。
ヴォータンとトリスタンは滅びまたは死が救いとなった。裏を返せば現世での生がよほど辛かったのだ。正直ヴォータンは自業自得だよねというのはあるにしても、業にまみれた世界をリセットしたかった願望があり、トリスタンもまた品行方正な騎士ではあったが悲しみを背負った生に疲れ果て、昼の世界に倦み、癒やしとしての死を望む。いっぽうでアンフォルタスは誘惑に負けて罪を負い、その傷がどうしても癒えないのがつらすぎて死を求めるし、彼が率いる騎士団も壊滅的な状態になり、まさに消えようとしていたその時、救世主となったパルジファルが現れ、死なずに現世で生きたまま救われることになる。「パルジファル」は一番最後に作られたオペラなので、これがワーグナー的に最終形態と見て良いと思う。起死回生の一手としての救世主の降臨。その救世主は現世的な愛ではなく、もっと深い共感に基づく深淵な愛によって苦しむ人を救う。
ここから急に話が飛ぶが、「死にたがりの王様」は人類そのもののことではないかと思っている。人類は愚かな行為ができる。ヴォータンのようにさんざん過ちを犯した結果、どうにもならなくなって滅亡するしかない状態が現代の人類。19世紀末に流行したの終末論からの2度の世界大戦を経て人類はまだ生き延びているものの、気候変動の驚異、新しい病原体の出現を相手に悪戦苦闘中だ。しかし人々の考えは少しずつ変わってゆくし、もしかすると新しい世代がパルジファルのように人類のありかたを刷新し救ってくれるかしれない。その時、古い世代は老騎士グルネマンツのように新しい世代を温かく迎え適切に導くことができるだろうかと、ワーグナーの作品にかこつけて考えている自分がいる。
PR