心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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今日、ネットを立ち上げ、ニュースサイトを見たら「名古屋港で恒例の花火大会」という記事が目に入った。昨日は仙台の大イルミネーションの話題。電飾に見とれる人々の写真もある。
その少し下には、いわゆる派遣切りで職を失い、年末年始に行く当てのない人々が急激に増えたとの記事。そういう人たちにとって、やたらに輝きまくるこの時期のイルミネーションはどう映るのかなぁと考えてしまった。
子どものころはただ楽しみだったクリスマスが、成長するに従い無関心あるいは他人ごとになり、子どもを持つようになると重荷になった。今ではなんだか凄く不自然さを感じる。
だって、日本の伝統として、由緒正しい年越し&お正月の行事があるのに、何でわざわざ欧米の年越し&新年のお祝いの習慣(=クリスマス)を取り入れなきゃいけないのか。
日本のクリスマスがモノを売るためのイベントと化しているのは、日本人にとって、クリスマスはもともと余分な年中行事だから?という気がしてしかたない。
さらに最近では、ただモノが行き来するだけのイベントであることが後ろめたいのか、クリスマスに何らかの意味を与えようとする動きが強くなっているように思える。何らかの意味を与える、というのは平たく言えば「思い出作り」。個人的に意味のある日にしよう、しなくちゃいけないという世間の風潮。具体的には、家族あるいはカップルで何か心に残ることをする日、みたいな空気。とにかくキリスト教やユダヤ教的な「神」の入り込む余地はない。
どうもそういう流れが自分的に居心地が悪くて、余計にクリスマスは家に引きこもりたくなるし、実際は出歩く暇もないのだが、ふと思う。「嘘から出たまこと」いう諺にあるように、もしも何百万人もの人々が「この日を記念日にしたい」と願って、そうなるように行動したなら、その日がたとえ、本来特別な日でなくても、記念日にふさわしい特別な空気をまとうのだろうな、と。
百年後の日本のクリスマスは、いったいどうなっているんだろう。現状と大して変わらないのか、消えてしまっているのか。ひょっとすると宗教性を帯びた儀式へと進化しているのかもしれない。
その少し下には、いわゆる派遣切りで職を失い、年末年始に行く当てのない人々が急激に増えたとの記事。そういう人たちにとって、やたらに輝きまくるこの時期のイルミネーションはどう映るのかなぁと考えてしまった。
子どものころはただ楽しみだったクリスマスが、成長するに従い無関心あるいは他人ごとになり、子どもを持つようになると重荷になった。今ではなんだか凄く不自然さを感じる。
だって、日本の伝統として、由緒正しい年越し&お正月の行事があるのに、何でわざわざ欧米の年越し&新年のお祝いの習慣(=クリスマス)を取り入れなきゃいけないのか。
日本のクリスマスがモノを売るためのイベントと化しているのは、日本人にとって、クリスマスはもともと余分な年中行事だから?という気がしてしかたない。
さらに最近では、ただモノが行き来するだけのイベントであることが後ろめたいのか、クリスマスに何らかの意味を与えようとする動きが強くなっているように思える。何らかの意味を与える、というのは平たく言えば「思い出作り」。個人的に意味のある日にしよう、しなくちゃいけないという世間の風潮。具体的には、家族あるいはカップルで何か心に残ることをする日、みたいな空気。とにかくキリスト教やユダヤ教的な「神」の入り込む余地はない。
どうもそういう流れが自分的に居心地が悪くて、余計にクリスマスは家に引きこもりたくなるし、実際は出歩く暇もないのだが、ふと思う。「嘘から出たまこと」いう諺にあるように、もしも何百万人もの人々が「この日を記念日にしたい」と願って、そうなるように行動したなら、その日がたとえ、本来特別な日でなくても、記念日にふさわしい特別な空気をまとうのだろうな、と。
百年後の日本のクリスマスは、いったいどうなっているんだろう。現状と大して変わらないのか、消えてしまっているのか。ひょっとすると宗教性を帯びた儀式へと進化しているのかもしれない。
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