心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
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〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
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↓の続編です。ええ、続編にしてしまったので以前のバージョンとはかなり趣が違います。今後の展開とか昔の話とのつながりとか考えすぎて、かなり難産な話でした。書き上げた今はパズルを解き終えた気分。
その後さらにパズルの精度を挙げるべく、少々修正。
その後さらにパズルの精度を挙げるべく、少々修正。
Gleen Days' Melancholy
「くそっ、またしくじった!」
削りすぎて陥没したオカリナの歌口を見つめつつ、然也はため息をついた。
オカリナの音というのは、吹き口から流れてくる息が、薄く削られた歌口を震わせることで作られる。だから歌口の薄さや位置の調整には一番神経を使う。
それがこの日はどうしてもうまく行かない。まだ粘土の状態だからやり直しはきくが、何度やっても気に入るように削れない。
然也は作りかけのオカリナと道具を置いて立ち上がった。少し頭を冷やそうと、作業場の出口に向かった。窓の向こうに、若葉を風になびかせる高い梢が見える。工房の主である音無がここを譲り受けたとき、中庭に植えたものだという。ここ数日の暑さでひときわ緑が濃くなっている。
然也は紙カップにサーバーから冷えた緑茶を注いで中庭に出た。休憩用にしつらえてあるベンチに腰掛け、カップに口をつけつつ木々の彼方に目を向けた。青いペンキを塗ったような空に行き当たる。
今の人間の限界を知らしめる、人の手によって作られた模造品の代表だ。彼はそれをぼんやり見つめた。
二週間前に歌音が亡くなった。持病が悪化したのではない。だれがどんな不注意をしたのか、新種の感染症に罹ってしまい、あっという間に短い人生を終えてしまったのだった。
もちろん葬儀には出た。両親にもお悔やみを告げに行った。だが、何度自分に言い聞かせても歌音がもうこの世にいないとは信じられなかった。今でもあの病室へ行けば彼女が待っていて然也にオカリナをせがんでくる気がする。
やるせない思いに駆られて、手に力を入れると、くしゃりと音をたててカップが潰れた。
「どうしました?」
立ち上がろうとすると、音無がやってきた。
「まだ調子が戻りませんか」
彼は、丸い縁なし眼鏡の奥の目をわずかに細め、然也を見透かすように言った。然也は基本的にこの工房主を尊敬しているが、この視線だけはいつまでたっても苦手だ。そのせいか、無意味に強がってみたくなる。
「ただの寝不足です」
「夜更かしはいけませんね」
「別にしたくてしてるんじゃありません」
「彼女が亡くなって以来、あまり眠れてないのでしょう?」
音無はベンチの空いている端に腰を下ろした。しまったと思った時にはもう遅い。このまま立ち上がって仕事場に戻ることもできたが、どうせ後でまた捕まるに違いない。彼は観念した。
「歌音ちゃん、どんな子でしたか」
「さあ……。とんでもない生意気で我がままで強気な女の子に見えましたけどね」
「ほかには?」
然也はしばらく空を仰ぐ。偽物の空を。
「……稀に見るいい子でしたよ。オレのオカリナを喜んで聞いてくれたぐらいですから」
音無は薄く笑った。
「君の奏でるオカリナなら多くの人がよろこんで聞きます。わかっていてそう言いますか」
然也はそれは違うと首を横にふる。
「彼女の聞き方は本気そのものでした。全身全霊を傾けて聞いてもらうときの感じ、わかります?」
「正直な所、羨ましい話ですね」
音無は軽くため息をついた。本来ならここで少々得意になる然也だったが、今はとてもそんな気分になれない。
音無が視線をやわらげた。
「ありふれた言い方になってしまいますが、彼女が逝ってしまったからといってその貴重な時間が消えるわけではありません」
然也はだまってうなずく。そのぐらいのことは言われなくても、よくわかっているつもりだ。
音無が立ち上がる気配は、まだない。まだ口にするべきことが残っているのか、それとも然也からの言葉を待っているのか。わずかに緊張が漂う静けさが流れた。
然也は夢のことを思い出していた。歌音が死神とワルツを踊った夢ではなく、もう一つ、歌音が亡くなる直前に見た奇妙な夢で、実はそれも憂鬱の原因となっていた。これを語るべきかどうか、然也はしばらく迷ったのちに口を開いた。
「こんな話をしていいものかどうか……。あの日の明け方、ちょっと気になる夢を見たんです」
「ほう。どんな?」
音無は興味深そうに身を乗り出す。たちまち然也は後悔に襲われた。
「いや、いいです。夢の話なんてやっぱりナンセンスだ」
「そんなことはないと私は思いますが。人の無意識についてちょっと調べれば、夢にもしかるべき存在理由があることぐらいわかります」
然也はつぶれたカップをしばらく弄んでいたが、あくまで夢の話だと念を押して語り始めた。
あの日の夜明け、然也は病院の中庭に生えた大きな桜の枝にすわり、歌音の病室を眺め下ろしていた。東の空がすっかり明るくなるころ、歌音が窓際に現れ、然也を手招きした。彼は呼ばれるまま飛び降りて開け放した窓のふちにすわった。すると歌音もとなりに来て同じようにすわり、足をぶらぶらさせている。自力で歩けないはずの歌音が自由に動き回るなど、あり得ない状況なのだが、夢の中では不思議にすら思わなかった。
「ねえ、然さん。オカリナ聞かせて」
歌音がせがむ。然也の手の中にはいつの間にかオカリナがある。彼はどうしてもそれを吹かなくてはいけない気持ちになって、オカリナを口もとへ運んだ。吹く曲は自然と頭の中に浮かんできた。タイトルは知らない。ひとつの曲の中に、喜怒哀楽のすべてが混じる長い曲で、それは過去に何度も奏でてきたものだということだけはわかった。歌音はいつものようにうっとりと聞き入っていた。彼もまた、音の世界に身を浸した。ところが曲が終わりに近づいたとき、歌音の姿がどんどん薄くなっていくのに気がついて愕然とした。このまま吹き続ければ彼女は消えてしまうだろう。ところが吹きやめようにも、大きな力に操られていて、どうしても止めることはできない。一度始まってしまった以上、最後まで吹ききるしかない曲だった。
切ない気持ちで吹き終わった瞬間、「ありがとう」の声が耳をかすめ、歌音は完全に姿を消した。空っぽになってしまった空間を見つめながら感じたのは、悲しみと同じくらい深い満足感であり、まるで大切な仕事をひとつ終わらせたかのようだった。その不思議さ、奇妙さに違和感を覚えて然也は目を覚ましたのだった。
「結局あのとき、どんな感情を抱いていたのか、自分でも判別できないぐらい混乱したってことです」
音無は何も言わず、小さくうなずいて続きを待っている。
「最初はただの不思議な夢だと思ってました。でもそれから半日とたたないうちに、歌音が亡くなった知らせを受けて、亡くなった時刻はちょうど明け方だったと……」
「なかなか興味深いですね」
それはただの相槌ではなく、本心からそう思っているようだった。だから然也は思い切って尋ねてみる。
「音無さんはどう感じます?」
音無はあごに手を当て、静かに考えをめぐらす。しばらくの後に答えが返ってきた。
「君がこうして語るということは、おそらく罪悪感のようなものを感じているのでしょう。違いますか?」
然也は思わず顔をあげた。これだから音無はこわい。いきなり核心に突っ込んでくる。
確かに罪悪感はあった。ひょっとしてあの時オカリナを吹かなければ彼女の命はまだこちら側、この世にあったのではないか。あるいは自分の笛で彼女の魂を送り出してしまったのではないかと。
「いったい何を根拠にそんなことを?」
「君の音には少々特別なところがあるんですよ。自分で気づいているかどうかわかりませんが」
然也はひやりとした。
「すべての人にそう聞こえるわけではないと思うんですがね、時々向こう側の世界が透けて見えることがある」
「向こう側……」
「この世ではない場所のことです。いろんな呼び方がありますが」
「あの世とか、彼岸とか、神の家とか?」
「そんな感じですね。要するに肉体を持って生活している間は踏み込めない世界のことです。言い換えれば想像力に頼るしかない世界でしょうか。音楽の力は比較的たやすくそういう世界を感じさせてくれるものです。中でも君の音は、そうですね……我々の魂を向こう側に案内するというか……」
然也の背中をすーっと冷たい汗が走る。
「つまり、音無さんは、オレが歌音の魂をあちら側に連れ出したと?」
「もちろん、証拠があるような話ではありませんし、偶然だとか気のせいとかにして切り捨ててもまったく問題ありません」
音無はあっさり答えた。そこがまた曲者だ。切り捨てることができないから、こうして音無に話しているわけで、結局洗いざらい語ることになる。
「それが困ったことに、オレの感覚の5%ぐらいが切り捨てるのを拒否している」
「なぜ困るのです?」
「なぜって……」
然也は答えにつまった。もし然也が本当に歌音の魂を連れだしたとして何の意味があるのか。またはどんな不都合があるのというのかと音無は問いかけている。
「歌音ちゃんの身体は、あの朝すでに死を迎えるばかりだったのです。まずそこをきちんと認識しなくてはなりません。そして生と死の境には、常識では考えられないような不思議な現象が起きることもあるでしょう」
どこか遠くを見ていた音無の目に強い光が戻ってくる。
「君がその奇跡の瞬間に何かできたというのなら、それはある意味僥倖だと言えませんか」
僥倖、あるいは思いもよらない幸運。
然也は胸を突かれる思いだった。
「しかし、5%とは、これまた少なく見積もってますね」
「別に割合なんてどうでもいいんですけど、そうするとオレは彼女を向こう側に送り出してそれで満足したことになる。人としておかしくないですか?」
音無は何も答えない。然也は音無から目をそらし、ため息をもらした。
「こんな風にわけのわからないことをあれこれ考えるのも嫌だし、かといって無視して放っておこうとしても頭から離れない」
「しばらく休暇でも取りますか?」
音無は薄く笑みを浮かべた。なんて人の悪いボスだと然也は胸の中で毒づく。
「余計なことを考えずにオカリナ作っている方がマシに決まってるじゃないですか。だいたい、こんなことが仕事にひびくなんて、自分がここまで軟弱だとは思いませんでしたよ」
「ほう。人が亡くなったショックを『こんなこと』と言いますか?」
然也ははっと口をつぐんだ。
「君は良くも悪くも根っこのところで優しいですから」
「そりゃ違います!」
「なら言い直しましょう。君は感受性が並外れて強く深い。それで余計な気苦労を背負い込むことが多いのですよ」
「だから、それが弱さだって言ってるんです!」
然也は再び作り物の空を見上げた。気分は最悪だ。人に自分の性格をとやかく言われることも嫌だが、それに腹を立てるのもしゃくに障る。ついでに緑の木々も柔らかく吹く風も自分のことも、すべてが気に入らなかった。陽射しが明るければ明るいほどやりきれなくなる。
不機嫌そうに黙り込む彼に、音無は素焼きのオカリナを差しだした。
「とにかく最近の君が以前のようなオカリナを作れないのは事実ですね。吹いてみますか?」
それは、彩色前のオカリナで、然也が一番最近に作ったものだ。出来映えは想像がつく。逃げ出したい思いをおさえつつ、それを恐る恐る受け取り、吹いてみた。思った通り、柔らかく空に抜けるようないつもの音色は出ない。どこか鬱屈したくすんだ音がする。
「見事に失敗作じゃないですか」
「そうでもないんですよ」
音無は軽く目を伏せ、そして言った。
「本来、空は青いばかりではないでしょう」
然也ははっと目を上げ、ドームの上に広がるであろう灰色の空を思った。その下の砂ぼこり舞う荒涼とした風景も。不意に、あるメロディが然也に降って来た。
然也はもう一度オカリナを奏でた。その音に、音無は最初のうちこそ驚いた風だったが、やがて目を細めて聴き入った。吹いている本人は気づいていないが、鬱屈したオカリナの響きと、わびしく時に荒々しいメロディがよく合っている。
「やはり、そのオカリナも悪くない音がしますよ。いっそのこと君にはもうしばらく落ち込んでいてもらいましょうか」
然也の目が剣呑に光った。人の気持ちを弄ぶのはやめてくれと。
しかし、音無を睨みつけた彼は思わず言葉を飲み込んだ。半分伏せられた音無の目が、ぞっとするほど暗くて冷たかったのだ。
「音無さん……」
「何か?」
顔を上げた彼はもう普段の目だった。恐らく自分の落ち込んでいる穴はまだ浅い方ないのだろう。
「この響きでいいなら、今から量産するとしましょうか」
立ち上がった然也はふと気がついた。音無の家族の話は、まだ聞いたことがない。
一ヶ月後、然也は桃香と二人、メモリアルドームに来ていた。歌音の墓参りをすると言ったら、桃香は迷わずついてきた。
ひっそりと静まり返るドームの中には見渡す限り墓石が並ぶ。宗派や主義によってさまざまな形をしているが、物言わぬ石の固まりであることに違いはなく、ここの空はいつだって抜けるように青い。やりきれなくなるほどに。
時折、墓参りに来たのであろう、黒い衣装に身を包んだ一団とすれ違ったりするぐらいで、生きている人間にはほとんど会わなかった。
然也は歌音の墓前に花を供え、あらためて手を合わせる。くったくのない笑い声や、オカリナに耳を傾ける時の安らいだ笑みが脳裏をよぎる。
「本当に残念だったわね。一度会いたかったのに」
すぐ後ろで控えていた桃香がつぶやいた。
「オレも会わせてやりたかったよ。それにあいつ、ずっとワルツを聞きたがってたのに最後までお預けのままでさ」
然也はオカリナを取り出した。今さら吹いたところで墓石が聞いているくらいだが、彼は「悲しきワルツ」を奏ではじめた。
音無の言うように、自分の音に少しでも特別なところがあるのならば……いや、彼の直感の5%が、彼女ために奏でればその魂に届くとささやいているのだから試してみるよりほかはない。
そばで耳を傾けていた桃香の顔色がだんだん青ざめていく。だが然也はそれには気づかず、無心に吹き続ける。
曲が終わると同時に桃香の手がすっと伸びて然也の腕を取った。そして彼女には珍しい強引さで彼をドームの出口へ向かわせた。
「どうした?」
「然さんの音を聴いていると、時々どうしようもなく恐くなるのよ」
桃香は出口の直前で足を止め、然也を見上げた。
「恐い? なぜ?」
然也は思わず桃香を見つめる。その瞳がゆれて、それから彼女はついっと顔をそむけた。
「お願いだから、あなたまで向こう側に行かないで。それだけよ……」
然也は思わず目を見開いた。
「ごめんなさい。やっぱりわからなくていいから」
「いや、わかってるさ。たぶん」
桃香の顔を見ているうちに、不意に思い出したことがある。音無に指摘された「向こう側が透けて見える」話ではなく、人はだれでも「向こう側」と「こちら側」を行き来するものではないかという話だ。一方通行ではなく往来がある。だからたとえ突然向こう側に落ちたとしても――つまり、不慮の死を遂げたとしても、いずれ何らかの形でこっちの世界に戻って来る。世の中そういう仕組みになっているらしいと、例の5%の直感が告げたのだった。
「心配しなくていい。オレなら向こう側に落ちてもちゃんと戻ってくるし、戻って来るごとに桃さんを見つけると思う」
桃香は顔を上げた。驚きから微笑みへと、花が開くように表情が変わる。たちまちまわりの空気が華やいだ。やはり彼女の笑顔がいちばんいい。然也はこれまで何度も思ってきたことを心の内で繰り返し、彼女を抱き寄せようと手を伸ばしかけた。が、同時に悲しみにくれる遺族の一団が入り口から入ってきて、タイミングが逃げていってしまう。
苦笑しながら、然也は歌音の墓を振り返った。彼女にも、またどこかで会えるのだろう。たとえそれが、お互いに誰だかわからない状態だったとしても。
「くそっ、またしくじった!」
削りすぎて陥没したオカリナの歌口を見つめつつ、然也はため息をついた。
オカリナの音というのは、吹き口から流れてくる息が、薄く削られた歌口を震わせることで作られる。だから歌口の薄さや位置の調整には一番神経を使う。
それがこの日はどうしてもうまく行かない。まだ粘土の状態だからやり直しはきくが、何度やっても気に入るように削れない。
然也は作りかけのオカリナと道具を置いて立ち上がった。少し頭を冷やそうと、作業場の出口に向かった。窓の向こうに、若葉を風になびかせる高い梢が見える。工房の主である音無がここを譲り受けたとき、中庭に植えたものだという。ここ数日の暑さでひときわ緑が濃くなっている。
然也は紙カップにサーバーから冷えた緑茶を注いで中庭に出た。休憩用にしつらえてあるベンチに腰掛け、カップに口をつけつつ木々の彼方に目を向けた。青いペンキを塗ったような空に行き当たる。
今の人間の限界を知らしめる、人の手によって作られた模造品の代表だ。彼はそれをぼんやり見つめた。
二週間前に歌音が亡くなった。持病が悪化したのではない。だれがどんな不注意をしたのか、新種の感染症に罹ってしまい、あっという間に短い人生を終えてしまったのだった。
もちろん葬儀には出た。両親にもお悔やみを告げに行った。だが、何度自分に言い聞かせても歌音がもうこの世にいないとは信じられなかった。今でもあの病室へ行けば彼女が待っていて然也にオカリナをせがんでくる気がする。
やるせない思いに駆られて、手に力を入れると、くしゃりと音をたててカップが潰れた。
「どうしました?」
立ち上がろうとすると、音無がやってきた。
「まだ調子が戻りませんか」
彼は、丸い縁なし眼鏡の奥の目をわずかに細め、然也を見透かすように言った。然也は基本的にこの工房主を尊敬しているが、この視線だけはいつまでたっても苦手だ。そのせいか、無意味に強がってみたくなる。
「ただの寝不足です」
「夜更かしはいけませんね」
「別にしたくてしてるんじゃありません」
「彼女が亡くなって以来、あまり眠れてないのでしょう?」
音無はベンチの空いている端に腰を下ろした。しまったと思った時にはもう遅い。このまま立ち上がって仕事場に戻ることもできたが、どうせ後でまた捕まるに違いない。彼は観念した。
「歌音ちゃん、どんな子でしたか」
「さあ……。とんでもない生意気で我がままで強気な女の子に見えましたけどね」
「ほかには?」
然也はしばらく空を仰ぐ。偽物の空を。
「……稀に見るいい子でしたよ。オレのオカリナを喜んで聞いてくれたぐらいですから」
音無は薄く笑った。
「君の奏でるオカリナなら多くの人がよろこんで聞きます。わかっていてそう言いますか」
然也はそれは違うと首を横にふる。
「彼女の聞き方は本気そのものでした。全身全霊を傾けて聞いてもらうときの感じ、わかります?」
「正直な所、羨ましい話ですね」
音無は軽くため息をついた。本来ならここで少々得意になる然也だったが、今はとてもそんな気分になれない。
音無が視線をやわらげた。
「ありふれた言い方になってしまいますが、彼女が逝ってしまったからといってその貴重な時間が消えるわけではありません」
然也はだまってうなずく。そのぐらいのことは言われなくても、よくわかっているつもりだ。
音無が立ち上がる気配は、まだない。まだ口にするべきことが残っているのか、それとも然也からの言葉を待っているのか。わずかに緊張が漂う静けさが流れた。
然也は夢のことを思い出していた。歌音が死神とワルツを踊った夢ではなく、もう一つ、歌音が亡くなる直前に見た奇妙な夢で、実はそれも憂鬱の原因となっていた。これを語るべきかどうか、然也はしばらく迷ったのちに口を開いた。
「こんな話をしていいものかどうか……。あの日の明け方、ちょっと気になる夢を見たんです」
「ほう。どんな?」
音無は興味深そうに身を乗り出す。たちまち然也は後悔に襲われた。
「いや、いいです。夢の話なんてやっぱりナンセンスだ」
「そんなことはないと私は思いますが。人の無意識についてちょっと調べれば、夢にもしかるべき存在理由があることぐらいわかります」
然也はつぶれたカップをしばらく弄んでいたが、あくまで夢の話だと念を押して語り始めた。
あの日の夜明け、然也は病院の中庭に生えた大きな桜の枝にすわり、歌音の病室を眺め下ろしていた。東の空がすっかり明るくなるころ、歌音が窓際に現れ、然也を手招きした。彼は呼ばれるまま飛び降りて開け放した窓のふちにすわった。すると歌音もとなりに来て同じようにすわり、足をぶらぶらさせている。自力で歩けないはずの歌音が自由に動き回るなど、あり得ない状況なのだが、夢の中では不思議にすら思わなかった。
「ねえ、然さん。オカリナ聞かせて」
歌音がせがむ。然也の手の中にはいつの間にかオカリナがある。彼はどうしてもそれを吹かなくてはいけない気持ちになって、オカリナを口もとへ運んだ。吹く曲は自然と頭の中に浮かんできた。タイトルは知らない。ひとつの曲の中に、喜怒哀楽のすべてが混じる長い曲で、それは過去に何度も奏でてきたものだということだけはわかった。歌音はいつものようにうっとりと聞き入っていた。彼もまた、音の世界に身を浸した。ところが曲が終わりに近づいたとき、歌音の姿がどんどん薄くなっていくのに気がついて愕然とした。このまま吹き続ければ彼女は消えてしまうだろう。ところが吹きやめようにも、大きな力に操られていて、どうしても止めることはできない。一度始まってしまった以上、最後まで吹ききるしかない曲だった。
切ない気持ちで吹き終わった瞬間、「ありがとう」の声が耳をかすめ、歌音は完全に姿を消した。空っぽになってしまった空間を見つめながら感じたのは、悲しみと同じくらい深い満足感であり、まるで大切な仕事をひとつ終わらせたかのようだった。その不思議さ、奇妙さに違和感を覚えて然也は目を覚ましたのだった。
「結局あのとき、どんな感情を抱いていたのか、自分でも判別できないぐらい混乱したってことです」
音無は何も言わず、小さくうなずいて続きを待っている。
「最初はただの不思議な夢だと思ってました。でもそれから半日とたたないうちに、歌音が亡くなった知らせを受けて、亡くなった時刻はちょうど明け方だったと……」
「なかなか興味深いですね」
それはただの相槌ではなく、本心からそう思っているようだった。だから然也は思い切って尋ねてみる。
「音無さんはどう感じます?」
音無はあごに手を当て、静かに考えをめぐらす。しばらくの後に答えが返ってきた。
「君がこうして語るということは、おそらく罪悪感のようなものを感じているのでしょう。違いますか?」
然也は思わず顔をあげた。これだから音無はこわい。いきなり核心に突っ込んでくる。
確かに罪悪感はあった。ひょっとしてあの時オカリナを吹かなければ彼女の命はまだこちら側、この世にあったのではないか。あるいは自分の笛で彼女の魂を送り出してしまったのではないかと。
「いったい何を根拠にそんなことを?」
「君の音には少々特別なところがあるんですよ。自分で気づいているかどうかわかりませんが」
然也はひやりとした。
「すべての人にそう聞こえるわけではないと思うんですがね、時々向こう側の世界が透けて見えることがある」
「向こう側……」
「この世ではない場所のことです。いろんな呼び方がありますが」
「あの世とか、彼岸とか、神の家とか?」
「そんな感じですね。要するに肉体を持って生活している間は踏み込めない世界のことです。言い換えれば想像力に頼るしかない世界でしょうか。音楽の力は比較的たやすくそういう世界を感じさせてくれるものです。中でも君の音は、そうですね……我々の魂を向こう側に案内するというか……」
然也の背中をすーっと冷たい汗が走る。
「つまり、音無さんは、オレが歌音の魂をあちら側に連れ出したと?」
「もちろん、証拠があるような話ではありませんし、偶然だとか気のせいとかにして切り捨ててもまったく問題ありません」
音無はあっさり答えた。そこがまた曲者だ。切り捨てることができないから、こうして音無に話しているわけで、結局洗いざらい語ることになる。
「それが困ったことに、オレの感覚の5%ぐらいが切り捨てるのを拒否している」
「なぜ困るのです?」
「なぜって……」
然也は答えにつまった。もし然也が本当に歌音の魂を連れだしたとして何の意味があるのか。またはどんな不都合があるのというのかと音無は問いかけている。
「歌音ちゃんの身体は、あの朝すでに死を迎えるばかりだったのです。まずそこをきちんと認識しなくてはなりません。そして生と死の境には、常識では考えられないような不思議な現象が起きることもあるでしょう」
どこか遠くを見ていた音無の目に強い光が戻ってくる。
「君がその奇跡の瞬間に何かできたというのなら、それはある意味僥倖だと言えませんか」
僥倖、あるいは思いもよらない幸運。
然也は胸を突かれる思いだった。
「しかし、5%とは、これまた少なく見積もってますね」
「別に割合なんてどうでもいいんですけど、そうするとオレは彼女を向こう側に送り出してそれで満足したことになる。人としておかしくないですか?」
音無は何も答えない。然也は音無から目をそらし、ため息をもらした。
「こんな風にわけのわからないことをあれこれ考えるのも嫌だし、かといって無視して放っておこうとしても頭から離れない」
「しばらく休暇でも取りますか?」
音無は薄く笑みを浮かべた。なんて人の悪いボスだと然也は胸の中で毒づく。
「余計なことを考えずにオカリナ作っている方がマシに決まってるじゃないですか。だいたい、こんなことが仕事にひびくなんて、自分がここまで軟弱だとは思いませんでしたよ」
「ほう。人が亡くなったショックを『こんなこと』と言いますか?」
然也ははっと口をつぐんだ。
「君は良くも悪くも根っこのところで優しいですから」
「そりゃ違います!」
「なら言い直しましょう。君は感受性が並外れて強く深い。それで余計な気苦労を背負い込むことが多いのですよ」
「だから、それが弱さだって言ってるんです!」
然也は再び作り物の空を見上げた。気分は最悪だ。人に自分の性格をとやかく言われることも嫌だが、それに腹を立てるのもしゃくに障る。ついでに緑の木々も柔らかく吹く風も自分のことも、すべてが気に入らなかった。陽射しが明るければ明るいほどやりきれなくなる。
不機嫌そうに黙り込む彼に、音無は素焼きのオカリナを差しだした。
「とにかく最近の君が以前のようなオカリナを作れないのは事実ですね。吹いてみますか?」
それは、彩色前のオカリナで、然也が一番最近に作ったものだ。出来映えは想像がつく。逃げ出したい思いをおさえつつ、それを恐る恐る受け取り、吹いてみた。思った通り、柔らかく空に抜けるようないつもの音色は出ない。どこか鬱屈したくすんだ音がする。
「見事に失敗作じゃないですか」
「そうでもないんですよ」
音無は軽く目を伏せ、そして言った。
「本来、空は青いばかりではないでしょう」
然也ははっと目を上げ、ドームの上に広がるであろう灰色の空を思った。その下の砂ぼこり舞う荒涼とした風景も。不意に、あるメロディが然也に降って来た。
然也はもう一度オカリナを奏でた。その音に、音無は最初のうちこそ驚いた風だったが、やがて目を細めて聴き入った。吹いている本人は気づいていないが、鬱屈したオカリナの響きと、わびしく時に荒々しいメロディがよく合っている。
「やはり、そのオカリナも悪くない音がしますよ。いっそのこと君にはもうしばらく落ち込んでいてもらいましょうか」
然也の目が剣呑に光った。人の気持ちを弄ぶのはやめてくれと。
しかし、音無を睨みつけた彼は思わず言葉を飲み込んだ。半分伏せられた音無の目が、ぞっとするほど暗くて冷たかったのだ。
「音無さん……」
「何か?」
顔を上げた彼はもう普段の目だった。恐らく自分の落ち込んでいる穴はまだ浅い方ないのだろう。
「この響きでいいなら、今から量産するとしましょうか」
立ち上がった然也はふと気がついた。音無の家族の話は、まだ聞いたことがない。
一ヶ月後、然也は桃香と二人、メモリアルドームに来ていた。歌音の墓参りをすると言ったら、桃香は迷わずついてきた。
ひっそりと静まり返るドームの中には見渡す限り墓石が並ぶ。宗派や主義によってさまざまな形をしているが、物言わぬ石の固まりであることに違いはなく、ここの空はいつだって抜けるように青い。やりきれなくなるほどに。
時折、墓参りに来たのであろう、黒い衣装に身を包んだ一団とすれ違ったりするぐらいで、生きている人間にはほとんど会わなかった。
然也は歌音の墓前に花を供え、あらためて手を合わせる。くったくのない笑い声や、オカリナに耳を傾ける時の安らいだ笑みが脳裏をよぎる。
「本当に残念だったわね。一度会いたかったのに」
すぐ後ろで控えていた桃香がつぶやいた。
「オレも会わせてやりたかったよ。それにあいつ、ずっとワルツを聞きたがってたのに最後までお預けのままでさ」
然也はオカリナを取り出した。今さら吹いたところで墓石が聞いているくらいだが、彼は「悲しきワルツ」を奏ではじめた。
音無の言うように、自分の音に少しでも特別なところがあるのならば……いや、彼の直感の5%が、彼女ために奏でればその魂に届くとささやいているのだから試してみるよりほかはない。
そばで耳を傾けていた桃香の顔色がだんだん青ざめていく。だが然也はそれには気づかず、無心に吹き続ける。
曲が終わると同時に桃香の手がすっと伸びて然也の腕を取った。そして彼女には珍しい強引さで彼をドームの出口へ向かわせた。
「どうした?」
「然さんの音を聴いていると、時々どうしようもなく恐くなるのよ」
桃香は出口の直前で足を止め、然也を見上げた。
「恐い? なぜ?」
然也は思わず桃香を見つめる。その瞳がゆれて、それから彼女はついっと顔をそむけた。
「お願いだから、あなたまで向こう側に行かないで。それだけよ……」
然也は思わず目を見開いた。
「ごめんなさい。やっぱりわからなくていいから」
「いや、わかってるさ。たぶん」
桃香の顔を見ているうちに、不意に思い出したことがある。音無に指摘された「向こう側が透けて見える」話ではなく、人はだれでも「向こう側」と「こちら側」を行き来するものではないかという話だ。一方通行ではなく往来がある。だからたとえ突然向こう側に落ちたとしても――つまり、不慮の死を遂げたとしても、いずれ何らかの形でこっちの世界に戻って来る。世の中そういう仕組みになっているらしいと、例の5%の直感が告げたのだった。
「心配しなくていい。オレなら向こう側に落ちてもちゃんと戻ってくるし、戻って来るごとに桃さんを見つけると思う」
桃香は顔を上げた。驚きから微笑みへと、花が開くように表情が変わる。たちまちまわりの空気が華やいだ。やはり彼女の笑顔がいちばんいい。然也はこれまで何度も思ってきたことを心の内で繰り返し、彼女を抱き寄せようと手を伸ばしかけた。が、同時に悲しみにくれる遺族の一団が入り口から入ってきて、タイミングが逃げていってしまう。
苦笑しながら、然也は歌音の墓を振り返った。彼女にも、またどこかで会えるのだろう。たとえそれが、お互いに誰だかわからない状態だったとしても。
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