心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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昨日はまる1日、曇りがちのはっきりしない天気で、夕方から雷がゴロゴロ鳴り続けていた。夜中になってやや激しい雨が降り出した。どうやら、その間、大雨警報が出ていたという。
朝、少しひんやりした空気の中で目がさめた。秋が来たな、と直感的に思った。外は良い天気だったが、日ざしはもう柔らかいし、影も長い。あとは、気温さえもう少し下がってくれれば、冬眠から覚めた動物みたく活発に動き回れるのに。
朝、少しひんやりした空気の中で目がさめた。秋が来たな、と直感的に思った。外は良い天気だったが、日ざしはもう柔らかいし、影も長い。あとは、気温さえもう少し下がってくれれば、冬眠から覚めた動物みたく活発に動き回れるのに。
「地獄の釜のふたが開く」などと言うが、キリスト教の神についてたっぷり考える羽目になった。読んだものは「原典 ユダの福音書」とヘルシングの8巻。両者に共通するのはイスカリオテのユダ・13番目・人間世界の不完全/醜悪さ。
苦しいときの神頼みだなんて、日本ではよく言うけれど、どうやってその実在を確かめるのか。
人間の認識を超えた存在があるとして、それをどうして人間が正確に知ることができるのか。
結局のところ、神というのは、道徳・倫理(時として戦争)を発動させるための装置にすぎないのではないか。
苦しいときの神頼みだなんて、日本ではよく言うけれど、どうやってその実在を確かめるのか。
人間の認識を超えた存在があるとして、それをどうして人間が正確に知ることができるのか。
結局のところ、神というのは、道徳・倫理(時として戦争)を発動させるための装置にすぎないのではないか。
今回の「宴」とは、某児童文学セミナーのこと。毎年恒例の夏祭りみたいなものだ。
もちろん、ゲームや屋台が出るわけではないが、珍しいものを見聞きして刺激を受けるという意味ではお祭りだといってもいい。
講師は、プロとして活躍中の作家や大手出版社の編集者、児童文学評論家など。受講生は遠くから新幹線で来ている人、すでに作品を本にして出している人など、いろいろなタイプの人たちが混ざっている。講師一人につき、10人ぐらいの受講生がついて、互いの作品を批評しあう。ロムというか、オブザーバーもOK。
そんな中に果敢にも突っ込んでいったわけだが、自分の作品がボロボロなのは百も承知なので、とにかく他人の作品から学べることは学ぼうと思った。
うん、世の中いろんな視点と切り口があるんだな。今思うのはとりあえずそれだけ。
もちろん、ゲームや屋台が出るわけではないが、珍しいものを見聞きして刺激を受けるという意味ではお祭りだといってもいい。
講師は、プロとして活躍中の作家や大手出版社の編集者、児童文学評論家など。受講生は遠くから新幹線で来ている人、すでに作品を本にして出している人など、いろいろなタイプの人たちが混ざっている。講師一人につき、10人ぐらいの受講生がついて、互いの作品を批評しあう。ロムというか、オブザーバーもOK。
そんな中に果敢にも突っ込んでいったわけだが、自分の作品がボロボロなのは百も承知なので、とにかく他人の作品から学べることは学ぼうと思った。
うん、世の中いろんな視点と切り口があるんだな。今思うのはとりあえずそれだけ。
今日は、件の児童文学セミナー当日。ダンナに駅の近くまで送ってもらった。コンビニで昼食用のおにぎりを買い込み、さて、駅はどこかなと探すと、店を出てすぐ横に改札が。その向こうには赤いS電が待っていた。
実は、この駅を利用するのは生まれて初めてだったりする。なのにこの懐かしい雰囲気は何?
その一番の理由は、階段がないということ。路面電車のごとく、道路と同じ高さにレールが敷いてあるのでホームへ行くのに階段は必要ない。
発車した電車は初めのうちは川沿いを、やがて家々の軒が連なる中をまったりと走ってゆく。まるで昭和にタイムスリップしたみたいだ。
その電車も郊外から都心部へ近づくにつれ、線路の高さが上がり、いつしかビルの群れを見下ろしている。かと思えば、いつの間にか地下にもぐり、窓の外は真っ暗。すると目的の駅。
駅を出ると、またまぶしい夏の光が降ってくるし、まわりの木立ちには見覚えがあって、それなりに懐かしくはあったけれどやっぱり現実感が強いんだな。
実は、この駅を利用するのは生まれて初めてだったりする。なのにこの懐かしい雰囲気は何?
その一番の理由は、階段がないということ。路面電車のごとく、道路と同じ高さにレールが敷いてあるのでホームへ行くのに階段は必要ない。
発車した電車は初めのうちは川沿いを、やがて家々の軒が連なる中をまったりと走ってゆく。まるで昭和にタイムスリップしたみたいだ。
その電車も郊外から都心部へ近づくにつれ、線路の高さが上がり、いつしかビルの群れを見下ろしている。かと思えば、いつの間にか地下にもぐり、窓の外は真っ暗。すると目的の駅。
駅を出ると、またまぶしい夏の光が降ってくるし、まわりの木立ちには見覚えがあって、それなりに懐かしくはあったけれどやっぱり現実感が強いんだな。
児童文学セミナーが近づいてきたので、送られてきた実作合評作品を読んだ。短編長編合わせて7作。そこから自分の分をぬいて6作を二日間にわたって読んだ。ふだんの同人誌の集まりとは違う顔ぶれだし、レベルは高いが、「うわあ、面白いv」なんて楽しんでいるばかりでは済まないので厳しい。
一気に読んだせいか、頭の中でいくつもの物語が交錯していて、料理の途中にふっと手を止め、「このシーンは誰のどんな話の中にあったかな」と悩むこともしばしば。
それはいいとして、何よりしんどいのが、アラを探す作業。ぶっちゃけ、どこがどう物足りなかったを自分なりに考えていけばいいのだけど、その前にまず、作者はどんな傾向があり、何を言おうとしてその話を書いたのか、そこを読み取らないと使える批評ができないし。初対面にも等しい書き手の話をそうやって深く読み込んでいくのは、面白いのと同じくらいしんどい。それを6作分かい!
神経すりきれそうだけど、自分がそんなに柔な神経の持ち主でないこともわかっているからなぁ。
一気に読んだせいか、頭の中でいくつもの物語が交錯していて、料理の途中にふっと手を止め、「このシーンは誰のどんな話の中にあったかな」と悩むこともしばしば。
それはいいとして、何よりしんどいのが、アラを探す作業。ぶっちゃけ、どこがどう物足りなかったを自分なりに考えていけばいいのだけど、その前にまず、作者はどんな傾向があり、何を言おうとしてその話を書いたのか、そこを読み取らないと使える批評ができないし。初対面にも等しい書き手の話をそうやって深く読み込んでいくのは、面白いのと同じくらいしんどい。それを6作分かい!
神経すりきれそうだけど、自分がそんなに柔な神経の持ち主でないこともわかっているからなぁ。