心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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「地獄の釜のふたが開く」などと言うが、キリスト教の神についてたっぷり考える羽目になった。読んだものは「原典 ユダの福音書」とヘルシングの8巻。両者に共通するのはイスカリオテのユダ・13番目・人間世界の不完全/醜悪さ。
苦しいときの神頼みだなんて、日本ではよく言うけれど、どうやってその実在を確かめるのか。
人間の認識を超えた存在があるとして、それをどうして人間が正確に知ることができるのか。
結局のところ、神というのは、道徳・倫理(時として戦争)を発動させるための装置にすぎないのではないか。
苦しいときの神頼みだなんて、日本ではよく言うけれど、どうやってその実在を確かめるのか。
人間の認識を超えた存在があるとして、それをどうして人間が正確に知ることができるのか。
結局のところ、神というのは、道徳・倫理(時として戦争)を発動させるための装置にすぎないのではないか。
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