心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
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〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
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管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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2011年2月15日 @takagengen(高橋源一郎) さんのつぶやき「深夜ラジオ」より
★「文章」21・ぼくは「和讃」のことは知らない。だが、字も知らず、読めない農民たちは、それを耳で覚え、口で囃した。中身は、「この世は虚しい、やがて人は死ぬ」といったものだ。それをこころの支えに、貧しい農民たちは生きたのである。ぼくは「和讃」を聞いた時、似たものがあることに気づいた。
★「文章」22・「黒人霊歌」だ。たとえば、「深い川」の歌詞は、木村センの遺書に出てくる「じょど」の世界を歌っているようだ。「深い川よ わたしの故郷、カナンはヨルダン川の向こうにある/深い川よ 神さま、わたしは川を渡って集いの地へ行きたい/ああ、あの祝福された宴へ行きたくはないか?」
★「文章」23・「あの約束の地、穏やかな安住の地へ/ああ、深い川よ、神さま、わたしは川をわたって集いの地へ行きたいのです」。苦しい労働に従事しながら、黒人奴隷たちは、この歌を歌った。暗い歌だ。だが、この暗さを通過しなければ、彼らは生きる力を持つことができなかったのだ。
★「文章」21・ぼくは「和讃」のことは知らない。だが、字も知らず、読めない農民たちは、それを耳で覚え、口で囃した。中身は、「この世は虚しい、やがて人は死ぬ」といったものだ。それをこころの支えに、貧しい農民たちは生きたのである。ぼくは「和讃」を聞いた時、似たものがあることに気づいた。
★「文章」22・「黒人霊歌」だ。たとえば、「深い川」の歌詞は、木村センの遺書に出てくる「じょど」の世界を歌っているようだ。「深い川よ わたしの故郷、カナンはヨルダン川の向こうにある/深い川よ 神さま、わたしは川を渡って集いの地へ行きたい/ああ、あの祝福された宴へ行きたくはないか?」
★「文章」23・「あの約束の地、穏やかな安住の地へ/ああ、深い川よ、神さま、わたしは川をわたって集いの地へ行きたいのです」。苦しい労働に従事しながら、黒人奴隷たちは、この歌を歌った。暗い歌だ。だが、この暗さを通過しなければ、彼らは生きる力を持つことができなかったのだ。
便利になってモノがあふれ、すっかり価値観が変わってしまった現代に生きる人たちだって、本質的にはかごの鳥にすぎない。そのことを自覚してる人は少ないだろうけど。
どんなにあがいても生きている限り人生というカゴから出られないなら、カゴの外=死後の世界を夢見るのは当然のことなのだ。
しかし、死後を夢見なくては生きて行けないほど人生が苦しくつらいものならば、どうして人はこの世に生まれ落ちるのか、という疑問が生まれる。
答えは風の中、でしょうかね。
高橋源一郎さんの場合、過酷な生を支えるのは、守るべきもの=家族の存在だという結論に至った。
自分的には、そうだなぁ。「キノの旅」からの抜粋「世界は醜い。ゆえに美しい」説に頼りたい。過酷さを通過しなければ見えてこない美しさ、がこの世界には存在するからだと。
どんなにあがいても生きている限り人生というカゴから出られないなら、カゴの外=死後の世界を夢見るのは当然のことなのだ。
しかし、死後を夢見なくては生きて行けないほど人生が苦しくつらいものならば、どうして人はこの世に生まれ落ちるのか、という疑問が生まれる。
答えは風の中、でしょうかね。
高橋源一郎さんの場合、過酷な生を支えるのは、守るべきもの=家族の存在だという結論に至った。
自分的には、そうだなぁ。「キノの旅」からの抜粋「世界は醜い。ゆえに美しい」説に頼りたい。過酷さを通過しなければ見えてこない美しさ、がこの世界には存在するからだと。
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