心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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表のブログでも書いたけど、速読トレーニングをしたら、ちょっとだけ読むスピードが上がった気がする。それもコミックの。
最近、「銃夢 Last Order」にはまってしまって、物書きはそっちのけで鬼のように読んでる。
めちゃくちゃ強いサイボーグ少女が、激しいバトルを繰り返しつつ自分の使命を探し出す話。この話、濃い脇キャラが次から次へと登場して、むしろ、主人公より面白いぐらい。マッドサイエンティストでありながら名言botのような博士、主人公のコピーとして作られながら、性格は全然違ってしまったやんちゃな戦闘アンドロイド少年(←一番楽しませてくれるキャラ)とか、落ちぶれた天才ハッカーとか、遺伝子変異体としてのバンパイアとか。
それでも、腐っても主人公ということで(おいv)サイボーグ少女の生き方が一番惚れ惚れする。強い女性が好きなんだよねぇ。
ああ、でも女性だけじゃないよ、バナナフィッシュのアッシュの生き様も好きだった。
最近、「銃夢 Last Order」にはまってしまって、物書きはそっちのけで鬼のように読んでる。
めちゃくちゃ強いサイボーグ少女が、激しいバトルを繰り返しつつ自分の使命を探し出す話。この話、濃い脇キャラが次から次へと登場して、むしろ、主人公より面白いぐらい。マッドサイエンティストでありながら名言botのような博士、主人公のコピーとして作られながら、性格は全然違ってしまったやんちゃな戦闘アンドロイド少年(←一番楽しませてくれるキャラ)とか、落ちぶれた天才ハッカーとか、遺伝子変異体としてのバンパイアとか。
それでも、腐っても主人公ということで(おいv)サイボーグ少女の生き方が一番惚れ惚れする。強い女性が好きなんだよねぇ。
ああ、でも女性だけじゃないよ、バナナフィッシュのアッシュの生き様も好きだった。
思うんだけど、人は強ければ強いほど、のっぴきならぬ状況に追い込まれて究極の選択をする羽目になる。サンデル教授じゃないけど、1人死ねば大勢の人間が助かるが、その1人が友人だったらどうするか、とか、自分が生き延びるために誰かを犠牲にしなくてはならないとかね。人間としての壁にぶち当たらざるを得ない。で、どんな選択をとっても罪悪感を背負わなくてはならない立場になるわけだ。
どうしたら罪悪感を背負わなくて済むのか。あるいは抱え込んで生きる決意ができるのか。強い女性たちは自分なりの答えを見つけながら世界に挑んでゆく。宿命やしがらみと上手く折り合いをつけながら。
結局、自由を求めているのだと思う。誰かに、何かに強制されて動く生ではなく、あらゆることを自分の意志で決めて行動する自由。自立や自律と言い換えてもいい。
例えば、神という存在を受け入れる自由、受け入れない自由。どっちにしてもリスクはあるが、それを引き受ける覚悟と能力があって初めて自由に選択できる。「神」は「宿命」とか「愛」とか、いろんな言葉と入れ替えられる。
また、生物学的に分析すれば人間だってしょせん動物の一種となり、本能の働きで行動が左右され、社会な文脈によっても行動は規定される。
そういった束縛を理不尽だと思い、逃れようとするところから自由を得る旅が始まる。
自由であること――これは案外難しい。というのは、他人からの圧力を受けない状態であったとしても、人はいとも簡単に本能や欲望に支配されてしまう。体の都合にふりまわされ(これは人工の肉体を持つことで解消されるのだが)、怒りや憎しみといった負の感情に支配され、楽をしたいという気持ちや諦観の誘惑につい負けてしまう。
だけど、自分をきっちりコントロールすることができて初めて自由っていうのは手に入る。
強い人たちが魅力的なのは、彼らの戦いが、つきつめれば自由を勝ち取るための戦いだからじゃないかな。敵と戦い、自分の影をコントロール下に置き――自分を律するのは自分以外の何者であってもいけない人たち。
どうしたら罪悪感を背負わなくて済むのか。あるいは抱え込んで生きる決意ができるのか。強い女性たちは自分なりの答えを見つけながら世界に挑んでゆく。宿命やしがらみと上手く折り合いをつけながら。
結局、自由を求めているのだと思う。誰かに、何かに強制されて動く生ではなく、あらゆることを自分の意志で決めて行動する自由。自立や自律と言い換えてもいい。
例えば、神という存在を受け入れる自由、受け入れない自由。どっちにしてもリスクはあるが、それを引き受ける覚悟と能力があって初めて自由に選択できる。「神」は「宿命」とか「愛」とか、いろんな言葉と入れ替えられる。
また、生物学的に分析すれば人間だってしょせん動物の一種となり、本能の働きで行動が左右され、社会な文脈によっても行動は規定される。
そういった束縛を理不尽だと思い、逃れようとするところから自由を得る旅が始まる。
自由であること――これは案外難しい。というのは、他人からの圧力を受けない状態であったとしても、人はいとも簡単に本能や欲望に支配されてしまう。体の都合にふりまわされ(これは人工の肉体を持つことで解消されるのだが)、怒りや憎しみといった負の感情に支配され、楽をしたいという気持ちや諦観の誘惑につい負けてしまう。
だけど、自分をきっちりコントロールすることができて初めて自由っていうのは手に入る。
強い人たちが魅力的なのは、彼らの戦いが、つきつめれば自由を勝ち取るための戦いだからじゃないかな。敵と戦い、自分の影をコントロール下に置き――自分を律するのは自分以外の何者であってもいけない人たち。
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