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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
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〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

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時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

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びおら弾きの微妙にズレた日々
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表のブログで紹介した「あなたをずっとずっとあいしてる」という絵本の話。

これは偶然ティラノのタマゴを拾ってしまった、とある草食恐竜の母が、結局ティラノを自分の息子として育てるという話で、表ブログよりもう少し詳しく書くと、草食恐竜として育てられたティラノ君は成長するにつれ、否応なく本来の自分の姿に気づかされることになる。そのきっかけが本来の父、つまり雄ティラノとの出会い。自分が本当は肉食恐竜だと、そして育ての親やきょうだいを捕食する運命にあることを知ったティラノ君は、育ててくれた母の元を離れて姿を消す。母親が必死で探すと、森の中に赤い木の実がどっさり置いてある場所を見つける。その木の実は草食恐竜にとってはごちそうであり、同時に息子からの「ありがとう」のメッセージだと気づいた母は、最後に「あなたをずっとずっとあいしてる」とつぶやく。


という具合で、自我に目覚め独り立ちする息子を見送る母の切ない気持ちを表した絵本だったりする。
これは子育て中の人間にはぐっと来るモノがありすぎて、たぶん、最後のページまで平静を装ったまま子どもに読み聞かせするのは無理なんじゃないかと思う。

読み終わると同時に、このオチはなんかズルい! と直感的に思ってしまった。感動のさせ方があまりにそのものずばりで、悪く言えばケータイ小説の泣かせ方と似ている気がしたのだ。人間なら誰もが持っている感動(快感と言い換えてもいい)のツボをぽちっと押されたような感じ。
絵本なんだから、絵と言葉で何かを伝えようとする媒体なんだから、もう少しひねりや深みがあっても良さそうなものを。

こういう絵本がヒットするということは、感動をお手軽・お気軽に手に入れようとする現代の風潮を反映しているのだろうか。感動体験が消費の対象となり、棚に並ぶ商品と同列になってしまった今の時代を。

……。

ふと我に返れば、素直に感動できる絵本に文句をつけたくなる自分の神経がどうかしている気がしてきた。誰から見てもいい話に文句をつけてどうする、と。そしてさらに考え込む。うぅ、スパイラルだ。
こんな時救いになるのが、大学のゼミでお世話になった教授の言葉だ。
「オー・ヘンリー(代表作:「賢者の贈り物」)の作品は文学ではない。ただの『いい話』に過ぎない」
今ならその違いがものすごくよくわかる。
人を感動させ、いい気分にさせるために書かれた話と、書くことによって人間という存在の謎を解こうとする作品は深みが全然違う。
たぶん当時のアメリカでもシンプルに感動できる話が求められていたのだろう。「いい話」自体には何も問題はないし、商品化されてもそれを必要とする人がいるなら構わない。ただ文学作品として扱ってはいけない。
結局、何でこんなにごちゃごちゃ考えているかというと、感動する≠優れた文学作品という場合も往々にしてあるということをはっきりさせたいだけなのだ、たぶん。
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