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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

〈連絡先〉
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〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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先日、子どもを習い事の道場へ送っていった時のこと。後ろから妙な歌声を発する宣伝カーが接近。やがて隣の右折レーンに並んだ。そのライトバンには「憲法9条こそ希望の星」とキャッチフレーズが大きくかかれている。歌の内容はひたすら「わたしの沖縄、ぼくの沖縄、沖縄~」のコーラスが繰り返されるばかり。

まったく、どこの選挙かいな? とあきれるやら笑えるやら。

先月、市会議員の選挙があって、その時の「○○をよろしくお願いします、最後のお願いです」コールを思い出した。選挙権を持つ身としては、○○さんの名前はよくわかったから、考えていることが知りたいんですが……という感じ。

で、沖縄コールにもどって。「だから、沖縄がどうしたのよ、何が言いたいのよ、そもそも外地の人間が沖縄を主張してどうするの?」と心の中で突っ込むこと数十秒。

街宣カーで街をさわがせるのは右翼だけだとばかり思っていたんだけど、最近は右も左もやることが似てきたのか。
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先日、眼鏡を買い替えた。それまで使っていたのはもうかれこれ5年目で、夏の旅行の際にはいきなりレンズがはずれたし、左のレンズのすみがわずかに欠けていたりするので、そろそろ新しいのを買って、それまで愛用していたのはスペアにまわそうかなと。
毒吐き二連発いきます。
ここじゃないと書けないことが結構あるんです。
最近、もの書きの資料として、邦楽関係のCDを漁っている。が、正真正銘の長唄とか雅楽などのCDはなかなか少なくて、レンタルできるものは、若手演奏家による和楽器を現代風のアレンジで演奏したもの。
そういったCDはたいてい「ヒーリング」とか「リラクゼーション」みたいなコーナーにおいてあって、実際の中身もそんな感じ。つまり、毒にも薬にもならない……というとちょっと言いすぎかな。BGMとして流すならちょうどいい心地よさだけど、真剣に聞くと物足りない。

たぶん、伝統的な形式にのっとった演奏なら、初めて聴いたときにはあくびが出るかもしれなくても、聞き込んだり、知識を増やしたりすることによって深い味わい方ができるのではないかとも思う。けど、実際はそんなに手間ひまかけて音楽を楽しむ人間なんて、多くないだろうな。さらっと聞いて耳に心地よい音楽の方が需要が多そうだ。

「ヒーリング」音楽をさんざん聴いた後は、クラシックで耳直しがしたくなるのだった。
夕食後、娘が何気なく合わせたチャンネルで、「アンビリバボー スペシャル」がやっていた。今回のテーマは「前世」。前世があるとしか思えない不思議体験が、続々紹介された。
最初のうちは興味半分で面白く見ていたけど、途中で急につまらなくなって家事に戻ろうとした。すると娘が袖を引っ張って放さない。「あんた、恐くて一人じゃ見れないんでしょ」というとニヤニヤ。で、結局「ソウルメイト」(前世から深いつながりのある人)のエピソードが登場するラストまで番組に付き合うことになった。

うーん、フィクションの設定として前世や生まれ変わりを使うのはやぶさかでないし、セラムンの設定なんかはずい分楽しませてもらったし、「前世占い」とか見かけると好奇心から手を出すけど、こうやって事実っぽく突きつけられると、興ざめしてしまうのはなぜ?
「ソウルメイト」? とくに出会いたいとも思わないな。
家族の誰が前世ではどんなつながりがあったとか、そういうのもどうでもいいと思う。今、良い関係が保てるかどうか、問題はそれだ。
先日、長いことかけて練習してきた演奏会が終わった。シベリウスの2番という大曲に挑んで満身創痍の感がある。最後の2週間はかなり身体に疲れがきてたし、精神面では、この半年ずーっと磨り減りっぱなし。あ、もちろん最後の最後にすり減った分以上のものをもぎ取ってきたのだけど。
で、練習の成果というか、当日の演奏を録音したものを聞いてみた。



ヤ×ハエレクトーンのイベントを済ませ、家族そろって近くのファミレスに入った。
「そんな優しさはいらない」という記事を見つけた。
タイトルにひかれて読んだ→

昔々、といっても80年台のこと、「やさしさ世代」という言葉が流行った。それと同時に「優しさと弱さは違う」という言葉もよく耳にしたような気がする。それはつまり、「優しさ」という仮面をかぶって気の弱さを隠そうとしていた当時の若者たちを揶揄する言葉だったとも思っていた。その世代が今は親だ。

今の若い子たちの優しさは、またそれとはちがって、世の中を良く知らない子供が示す、幼いがゆえの優しさと通じるものがある気がする。そんなに親切を振りまいていたら、オオカミさんに食われてしまうよ、と言いたくなるような。
また、その危うさを指摘する大人も少ないんだろうな。

人間たるもの、まず自分が可愛いのが当たり前。他人を傷つけることで自分が不利益をこうむるのが嫌だから、優しくするだけだ。そのへんわかっているのかな? 優しさが好きな人たちは。
せっかく子どもたちの風邪が治って、さあ今週はもの書きに精を出すぞを思ったら、いきなり学級閉鎖ですか。(T_T)
貴重な時間が露と消えてゆく……。インフルエンザのバカバカ~。
先日、ヨーヨーマの無伴奏チェロ組曲のCDをレンタルしてきた。
おお。他の奏者とちがいすぎ。
彼って、こんなに下手だったっけ?
TVのCMで聞き流していたときは気にならなかったけど、ちゃんと向き合って聞くと、演奏の向こうに楽譜が見える。(涙)

ふつうは、というか、カザルスとかフルニエとか聞くと、楽譜を超えて、音のうねり、情感の流れが見えるのに。
しかも、音が立体的。アルペジオだけど、和音の移り変わりがわかりやすい。
バッハは、きっと、溢れる音の流れを無理やり音符という形式に押し込んだのではないかとおもうが、彼らは音楽を楽譜から解放している。

でもヨーヨーマの基本は、音符の列なのだ。音が横に、2次元的に流れてゆく。
ソシレのアルペジオなら、ソが底音だから、そのひびきが残っていていいはずなのに、彼が弾くと、ソは発音された次の瞬間には忘れられている。

そんな彼が日本で大人気なのは、日本人の感性が2次元的だから、かもしれない。
もちろん2次元的感性については、それ自体が悪いわけではない。
3次元的感性で書かれたものを2次元的に解釈するからおかしくなるだけの話だ。
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