忍者ブログ
心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ

〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
QRコード
アクセス解析
アナライズ
[23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33]
今日、ネットを立ち上げ、ニュースサイトを見たら「名古屋港で恒例の花火大会」という記事が目に入った。昨日は仙台の大イルミネーションの話題。電飾に見とれる人々の写真もある。
その少し下には、いわゆる派遣切りで職を失い、年末年始に行く当てのない人々が急激に増えたとの記事。そういう人たちにとって、やたらに輝きまくるこの時期のイルミネーションはどう映るのかなぁと考えてしまった。

子どものころはただ楽しみだったクリスマスが、成長するに従い無関心あるいは他人ごとになり、子どもを持つようになると重荷になった。今ではなんだか凄く不自然さを感じる。
だって、日本の伝統として、由緒正しい年越し&お正月の行事があるのに、何でわざわざ欧米の年越し&新年のお祝いの習慣(=クリスマス)を取り入れなきゃいけないのか。
日本のクリスマスがモノを売るためのイベントと化しているのは、日本人にとって、クリスマスはもともと余分な年中行事だから?という気がしてしかたない。

さらに最近では、ただモノが行き来するだけのイベントであることが後ろめたいのか、クリスマスに何らかの意味を与えようとする動きが強くなっているように思える。何らかの意味を与える、というのは平たく言えば「思い出作り」。個人的に意味のある日にしよう、しなくちゃいけないという世間の風潮。具体的には、家族あるいはカップルで何か心に残ることをする日、みたいな空気。とにかくキリスト教やユダヤ教的な「神」の入り込む余地はない。

どうもそういう流れが自分的に居心地が悪くて、余計にクリスマスは家に引きこもりたくなるし、実際は出歩く暇もないのだが、ふと思う。「嘘から出たまこと」いう諺にあるように、もしも何百万人もの人々が「この日を記念日にしたい」と願って、そうなるように行動したなら、その日がたとえ、本来特別な日でなくても、記念日にふさわしい特別な空気をまとうのだろうな、と。

百年後の日本のクリスマスは、いったいどうなっているんだろう。現状と大して変わらないのか、消えてしまっているのか。ひょっとすると宗教性を帯びた儀式へと進化しているのかもしれない。



PR
この12月から息子の部活の世話役を引き受けることになり、他のお母さんたちと世間話をする機会が増えた。息子の学年は、母同士のつきあいがあまりないので、新鮮な情報がいっぱいだが、驚くこともある。

先日「○○君のお母さんが亡くなったこと、知ってた? もう1年ぐらい前だけど」と聞かれた時にはびっくりした。名前ぐらいしか知らないが、娘の同級生のお母さんだ。癌と診断され、一年の闘病生活ののちに亡くなったそうだ。
また、一ヶ月ぐらい前に、やはり娘の同級生のお父さんが亡くなっている。こちらは事故のよう。

これまで、近所で人が亡くなる話といえばたいていどこかの家のご隠居さんだったのに、同世代の人が亡くなる話をたびたび耳にすると、身近に感じすぎてちょっと凹む。成長途上の子どもたちを残して人生の盛りに逝くのはさぞ無念だろうと想像する。

真っ当に生きることから逃げるのは卑怯この上ないなーと珍しく殊勝な考えを起こした数日間なのだった。
珍しく色気を出してテンプレをクリスマス用に変えてしまいました。
スケルトン天使って結構好きなんです。
でも下のほう、画像と重なって文字が読みづらいですね。すみません。テンプレのスタイルシートをいじって改良してみますが、基本的には期間限定と言うことで大目に見てやってください。

その昔サイトに載せていたクリスマス小話がバージョンアップして帰ってきました。
このシリーズを続ける羽目になった元凶発端となった話です。
本当にあの時は何を血迷ったんでしょうねぇ……。

で、この話を書き直しながら、タイヤに刺さったクギを思い浮かべていました。刺さったクギは下手に抜くと、タイヤの空気がすっかり漏れてぺしゃんこになって車を動かせなくなっちゃうんですよね。
10月に完成した同人誌を会の外から招いた講師に批評してもらう。
今年は会の役員なので、細々とした事前準備があってそれで12月に入ってからというもの、気がぬけなかった。それも今日で終わりだ。ひゃっほー!


さて、各作品について批評があったあと、最後に総評を頂戴した。
同人も長くやっていると、良くも悪くも自分の作品について突っ込まれどころがわかってしまうので、ついつい予防線を張ってしまうようになる。それが良くないとのこと。そういう作品は確かにきれいにまとまっているが、作者の本当に描きたいことがストレートに出なくなってしまい、力のない作品になる危険があるからだ。

それはある程度活発に活動を続けている同人グループならどうしても起きる現象なので、超えなくちゃいけない壁というか、トラップなんだろうと思う。
自分が何を書きたいのか、しっかり見定め、人の批評は片耳で聞きつつ雑念を払いのける強さとしなやかさが必要だな。

でも自分の場合は、基本的に書きたいように書いているので、もう少し人の言うことに耳を傾けてもいいんじゃない? て気がする。
最後はOパート。杏樹ちゃんの視点です。「花より団子」を地でいってます。
でもSideOって何なんでしょうね(汗)
次はBパートいきます。
え? B面て言ったほうがいいですか。レコード盤が骨董品になりつつある今じゃ、そういう言葉も死語になりつつありますね。
これは然也視点です。オカリナ工房での一コマ。
例のシリーズもの再開です。本当は金木犀の香る季節に合わせたかったんですけどね……(遠い目)まだ秋だし、クリスマス小話の前に滑り込めてセーフ!てことで。
今回はプチ三部作です。A、O、Bのどれから読んでもらってもオッケーなようにしてあります。

それではとりあえずAパートからGo! 視点はちょっとお疲れ気味の桃香さん。
最近、近所のスーパーのレジで中国人のお嬢さんたちを見かけるようになった。近くに大学キャンパスがあるので留学生が多く、そのせいだろうと思ったのだが、先日、とある街道沿いのマoクのドライブスルーを利用したら、窓口担当が中国人だった。言葉の訛りですぐにそれとわかる。
また一昨日、ショッピングセンターのフードコートでオムライスを注文したら、そこで調理兼レジをしているオジサン(お兄さんかもしれない)が中国人。どことなく陳健一に似てるなぁと思ってたら、言葉がたどたどしくて明らかに外国人だった。料理の手際が良かったので、余計に陳健一っぽく見えた。
接客業にまで外国人が入ってきたという事実にちょっと驚き、さらに日本人の若者はどうしてるんだと思い(働くおばさんたち=同年代及び上の世代はあちこちで見かけるんです)、複雑な気分だった。

利用者としては、きちんと仕事をしてくれればレジのお姉さんやコックが外国人でもいっこうにかまわない。ただ、気になるのは日本での働き口が増えれば、外国人の流入はいっそう増えるんではないのかということ。もちろん、違法な仕事で裏でコソコソ稼がれるよりはいいのだが、彼らに日本の常識は通用しないというか、全然考え方の違う文化を背負っているから、互いに衝突しあってトラブル増えそう。
いつもお世話になっているめりるさんからご指名を受けました♪
もちろん小説書きの方で答えます。(もし漫画がかけたとしても、どちらも似たような答えになる気はする)
いざ、自分の書き方と向き合ってみると難しい(>_<)

回答は折りたたんだ先に

忍者ブログ[PR]