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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
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〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

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時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

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びおら弾きの微妙にズレた日々
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その昔、同人誌に載せた「川の流れは軽やかに」の番外編です。確か初めて中学生を主人公にした話だったはず。本編では触れなかった夏休み中のエピソードを作ってみました(本当は某所で見かけた夏祭りに出す予定だったのが、書き終わったらもう夏休みも終了時期だった……。データフォルダ内で眠らせておくのも寂しいのでひっそり公開)


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ちょっと早いけれど今年の夏のまとめをしてみよう。
いやね、なんだか今年の夏はクソ暑かっただけで、「夏を遊んだぜぃ!」という感触が皆無なので、じゃあいったい何をしているうちに夏が過ぎたのか振り返ってみることにした。
ここで言う「夏」は7月と8月を指すものとして――


表のブログで書いたように、先日、ワーグナーの歌劇「パルジファル」の全曲版を聞いてきた。演奏会そのものについての感想は表ブログで書き綴ったが、パルジファルという劇そのものについての考察は別枠で書いたほうがいいだろうと思い、とりあえずはここに書く。
えー、この話題は今表に出すには差し障りがあるので、裏でひっそりと吐き出してみる。

子どものころ、学校の図書館に唯一置いてあった漫画、それが原爆体験を描いた「はだしのゲン」だった。当時の同級生たちはまず好奇心で手を出し、「実は結構コワイ」「グロい」(今風の言葉を使えば)、などと言いつつ、逆にそういう話を聞くと「ホントにコワイの?」と幽霊屋敷に勇んで入るような心持ちでその漫画を手に取ることもあったと記憶している。そしてそれが決して怖かったりおぞましかったりするだけの描写ではないことを感じ取っていったはずだ。自分も含めて。

その「はだしのゲン」について、過激な描写を理由に某市の教育委員会が市内の全小中学校に閉架措置を求めた。そして市内の全校が応じた。さらに教育委員会は児童生徒への貸し出し禁止も要請していたという。

最初は虚構新聞かと思った。そのぐらいナンセンスな話だ。食べ物で例えるなら子ども向けのメニューから唐辛子やゴーヤーをすべて除去してしまうようなもので。

でもこの件については、まともな人たちがSNSなどでさんざん非難しているので、今は動向を見守るのみ。

実はこれに近い経験が身近で起きたので、その話が書きたい。
先週は訃報だらけの一週間。
二年と三ヶ月にわたってうちで世話してきたイヌが、飼い主のもとへ返却された翌日に死んでしまったのがトップで、その三日後にはイヌの初代飼い主さんが亡くなり、同じ日に町内の方が亡くなられた。
お通夜→葬儀→お通夜(ダンナ氏のみ出席)→葬儀のコンボでへとへと。
その翌日からも容赦なく予定が詰まっているし。

たしか先週の前半は、ペットロスをなめたらイカンと思い知った日々であり、鬱々としていたところ、その後、超絶に忙しかったおかげで、はっと気づけば一週間たっており、イヌと一緒に生活していたのがはるか昔のことのよう。むしろ、イヌがいなくなったおかげで清潔で静かな環境が戻ってきて、今はとてもほっとしている。

また、老いた人が亡くなることは、確かに失うものは多いし悲しいことではあるのだけど、世代交代を円滑に進めるためにはどうしても必要なんだよね。特に若い世代が独り立ちするためにね。葬儀を2件立て続けに見てそう感じた。

ちょうど一年の折り返しにあたるこの一週間、各方面で区切りとなる出来事があったのだなあと、感慨すら覚えている真っ最中。
昨日も書いたけれど、六月いっぱいかけて物語をひとつ書き上げた。

架空の世界を舞台にした話で、とりあえず新しく町を設定した。すると面白いことに、自分の脳内地図に、新しく町ができて、下手すると成長を始める。
すでにこの脳内地図には、ひびきの森やら近未来のドームの町やらミューズの世界やら、妖が暮らす世界とか、いろいろあってそこに新しく一つ加わった感じ。

物語を作るということは脳内世界をひとつ増やすということで、一度生まれてしまった世界は、それが外の世界に公開されてもされなくても、作者の内側に確かに存在する。もし外の世界へ飛び出し、誰かに読まれ、幸いにも読み手がその世界を気に入って受け入れてくれたなら、その人の内側でもまた増殖を始めるわけで。

それはそれで嬉しいことなのだが、とにかく今は新しい世界が生まれたということをめでたく思いたい。
久しぶりに宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を読み返してみた。

物質界の宇宙と心的世界の宇宙が豊かなイメージによって結び付けられていて、美しいというほかはない。
美しさは極まると、悲しさや恐ろしさ、寂しさに転化するのだけど、その転化のラインを踏み越えていたな。
宇宙の深淵は美しく恐ろしく、静かに哀しいところだ。

賢治の童話は、イーハトーヴと呼ばれる架空の国を舞台にしたものが数多くあるけれど、それは彼の世界観を形にしたものであり、実は作家の頭のなかにはそれぞれのイーハトーヴ的世界があるに違いないと強く思った夜。例えば、ル=グゥィンのアースシー。指輪の中つ国。トーベ・ヤンソンのムーミン谷。&エトセトラエトセトラ。
この6月は本も読まず、ブログの更新をするどころかろくに呟きもせず、何をやっていたかと言うと、200枚の作品を書き上げて投稿してきた。
3年前に投稿しそこねたブツをリライトしてそれらしい形に仕上げてみた。 長編を書いたのは約2.5年ぶり。いっときは書くどころか読むことにまで拒絶反応があったので、今でも書ける力があるんだとわかって安心した。書いていて楽しかったしね。
それにリライトとはいえ、7割近くは新たに書き下ろしたので、よくも3週間で書ききったものだと軽く感動している。もちろん仕事をしながらだし、町内会の雑用はあるし、湯沸器が壊れるアクシデントまで起きる中で、ほんと、よくやったと思う。むしろ忙しいから予定通りノルマをきっちりこなす習慣がついたのだろうか。それとも日常業務と物書きの時間がほどよく交互にとれたので能率が上がったのだろうか。いずれにせよ、良い傾向だ。

せっかく投稿したので、よい結果が出るようにお祈りしておこう。
先日、古い友人と温泉デートをした。
彼女とは、1年~半年に1回のペースで会うのだけど、合うたびに、彼女が私に対して抱いてる印象と、実際の自分の象が微妙にズレたままなのがわかる。
恐らく彼女の中にいるのは学生時代の私であり、あれから私の中身は、以前の自分がどうだったかよく憶えていないほど変わってしまったせいもあって、更新が追いついていないのだと思う。

逆もまた然りで。というか、学生時代、私がきちんと彼女の本質を捕まえていたのかというと、かなり怪しい。自分の見たいものを見たいようにしか見てない年頃だったからね。今、この歳になってようやくありのままの彼女を見つけようとしている。まるで新しく知り合ってゆく友人のように。

私たちはいったい誰を、何を相手にしゃべっているのだろう。ときどきわからなくなる。
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
をようやっと読み終えた。
本当は4月中に読み終えているはずだったのが、ありがたいことに某方面から大量に本を貸していただき、そっちの消化で忙しかったのだ。それにヤボ用もたくさん入ったし。

で、春樹ファンとして、期待に満ちて(だって、いかにもそそるようなタイトルw)読み進めたのだが。

途中まではいつもの調子でなかなか面白かった。
ところが最後のクライマックスがあまりにも直球すぎて、物語としての面白みが削がれてしまったような気がする。
これまでの作品では具体的な描写が省かれてきた「暴力」(魂を損ない、人生を曲げてしまう大きな力)について、この作品ではかなりはっきりとした形で描かれている。だから暴力によって傷つけられた主人公たちの回復の手順も比較的わかりやすい。美しい大自然の中、はっきりとした言葉の応報によって傷を受け入れる準備ができる。これがほかの作家なら感動できていたものを、なまじ村上ファンなので物足りなさを感じる。これまでの村上作品は、暗示的でわかりにくさが多かった分、言葉ではどうしても届かない闇の境地へ導かれる感覚があったのに、今回はそれがあまりなかったので残念。

ただ、魂の癒しというテーマは確実に読者の心に届くだろう。深い傷をいかに乗り越えてゆくか、が丁寧に描かれていて、ある種の人たちにはクリティカルヒットに違いないと思わされる。特に主人公と同じか、もう少し若い人たち。十代のころにやらかしてしまったあれこれで、魂に傷がついてしまったままなすすべもなく過ごしてきた人たちにはちょうど良い本なのでは、と思う。
あるいは震災(阪神や東北)で図らずも傷ついてしまった人たちへのエール。作者にしてみれば、いつもの文体をある程度犠牲にしてでも伝えたいテーマだったのかもしれない。

これからインタビュー記事その他に目を通してゆくので、村上氏の思惑が多少はわかってくるかもしれない。
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