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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ

〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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やっと思うようになってきた。

誰かと会うとき、楽しい時間を期待するのは当然のことだけど、楽しませてもらうことを期待するんじゃなくて、どれだけ相手に楽しんでもらえるかを気にしたほうがいいなあと。そういう気遣いのできるひとが大人なんだと。

とてもシンプルなことなのにどうして今頃気づく?
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今年は、ここ10年の中で一番変化が多くて大きかった年。多いだけではなく、いちいち大きい、というところがミソ。まずは並べてみよう。

① 就職した。某文化センターの夜勤のお仕事。一日5時間×一ヶ月20日。
② 娘が高校生、息子が中学生に。ある意味手がかからなくなった。というか関わり方の質が変わった。
③ ダンナの実家が火事で燃え、舅が亡くなった。
④ 舅のトンデモな遺産(?)であるイヌの面倒を見ることに。そのお世話に振り回される。
⑤ 長年の憧れだったピアノを習い始めた。来年2月には発表会に出る予定。弾き語りをしている自分が信じられない。
⑥ ↑のような事情により、いったんオーケストラ活動を休止するも、秋になって再開。おかげで創作するどころか、本を読む時間もない日々。でもあんまり後悔してない。○○につける薬はないのだ。

いやもう、一年前の今頃はとても想像できなかったような状況になってしまった。
調子づいた(?)ので、記事連投。

トイレの中で思いついたこと(シリーズ化できるかな)の覚書き。

最近、忍者さんのブログでも三ヶ月以上放置しておくと、最新記事の上に広告が出る仕様になった。ここもずいぶん長いこと放置していたからとっくに広告は出ているだろうと思っていたが、ギリギリのところで間に合ったようだ。

で、今日は何の話かというと、牛乳パック。

先日、仕事でとある会議室の戸締りをした。そこは環境関連イベントの下準備がしてある部屋で、中には牛乳パックで作られたおもちゃやゲーム、明らかに不要品の中から発掘したと思われる景品が用意されていた。

別に珍しい光景ではない。エコ関連イベントには必ずといっていいほど登場する光景だ。

でも、その時は、それらが無様で無意味な物体の集合に見えた。どんなにいじったところで、ゴミはゴミ、結局のところは不用品なのだから。
イベントが終われば牛乳パックは処分されるし、景品として各家庭に引き取られた不要品は、ほどなくゴミ箱行きになるだろう。本当に欲しくて手に入れたものでない限り。結局ゴミは減らない。

本当にゴミを減らしたいなら、すぐにゴミになるような物を手元に置かないのが一番だし、そういう生活スタイルを提案することが本当の意味でエコにつながるんでゃないのかな。そして、ゴミを少ししか出さなくていいようなライフスタイルは、シンプルで美しいだろうと思う。


「山のあなたの空遠く 〈幸い〉住むと人のいう」
とはよく言ったもので、〈幸い〉というのは手の届かない場所にあるからこそ価値があると思っていたし、手に届くところにあるものはどんなによさげに見えても〈幸い〉ではないと思っていた。

でもそれは一種の欺瞞だ。現状に満足しないための。今、目の前にあるものが〈幸い〉だとしたら、〈幸い〉を追い求める旅が終わってしまう。

でもそれは結局中二病の領域だ。いいオトナは〈幸い〉を手に入れてなお、その先の段階を考えてゆくものだ。







このブログのタイトルともなった「Back to Nowhere」を読み返してみた。
これを書いたのがたった1年前だというのが信じられない。去年の今頃、せっせと桃香と然也の話を書いていたという実感がまるでない。もっと前のことのような気がする。

この一年の間、それほど変化があったということなのだろう。確かに児童文学のサークルはやめたし、オーケストラまで休止しちゃったし(これは本当に予定外)、仕事を始めてるし、ダンナの実家は焼けてなくなる、苦手なお犬様がやってきて凸凹な同居生活始めてるし。

おかげで今なら冷めた視点で、というか、他人的な視線で物語を読めるようになった。するといくつか重要なポイントが見えてくる。書いている最中は無意識のうちに書いていて、でも後から見るとあれは必然だったんだと思えるポイントが。

それらを言葉にするには、かなり微妙な感覚を必要とするので、今だ! と思ったときに書き留めておかないと。
(ついでに、プチ改稿も/汗 だって意味不明だったり矛盾を生じている場所がいくつかあったし)
といっても、自分に関わることでなく、物語のモチーフとしての話。
すぐれた絵本のレビューを定期的に送ってくれるメルマガをとっていて、先日は、恵まれない少年が実は一国の王子さまだったという冒険ファンタジーが紹介されていて、なんだか古臭いパターンだなと思うと同時に、ああそうかとピンとくるものがあったのだ。
世の中には「あいさつ」という便利な言葉のテンプレート、型というものがある。
こういう状況のときはこういう言葉を発するものだ、という了解が世間にはあって具体的には「こんにちは」「さようなら」「おつかれさま」「よろしくお願いします」「申し訳ございません」などなど。
これのおかげで人同士のコミュニケーションがとりやすくなるし、あえてテンプレートを崩して使うことで、言葉にしづらいメッセージを伝えたりすることもできる。

で、人が亡くなった時、あるいは亡くなった人について語る場合はよく「ご冥福をお祈りします」というフレーズがつく。
三ヶ月以上ほったらかしてついに広告が出てしまったブログを見ると、どうも切なくていけない。やっぱりここに戻ってこようかなぁと思う。

はてなさん、悪くないんだけど、というか最初からはてな村に居着いてれば便利にいろんな機能を楽しんでいたと思うのだけど、裏用として使うには高機能すぎてもったいない。引っ越すなら表ブログにすればよかった。

片隅ブログにはそれにふさわしい場所があるわけで、それがたぶんここなのだ。
気に入るテンプレも多いし。

よし、ぼちぼち引越し、じゃなかった、出戻り作業を始めよう。

でもその前に記事をひとつ書いておこう。テンプレも前のに戻そう。



東日本大震災以降(個人的には「ダンナの実家が焼けちゃった事件」以後)、創作された言葉(小説だけでなく、雑誌の記事やブログやツイッターなどweb上の文章も含む)に対してアレルギーみたいな拒絶反応を起こしていて、しかもそれが数週間どころか2ヶ月以上続くのでどうなることやらと自分でも面白半分で観察していたが、先日、図書館でよい処方箋を入手した。

高橋源一郎「さよなら、ニッポン ニッポンの小説2」

いつもツイッター上で一方的にお世話になっている作家さんで、深夜、不定期に流れてくる「深夜ラジオ」にはよく耳を傾けていた。(今はほとんどツイッターをのぞかないので、深夜ラジオにもご無沙汰中)
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