心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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アナライズ
地元の素敵カフェを紹介するという、いい感じの雑誌に出会った。
紹介されている店という店がどれも魅力的で、東海地方にはこんなにもいい感じのカフェがあったんだと喜ぶとともに、自分が思っていたよりカフェ好きだったことに気がついた。
紹介されている店という店がどれも魅力的で、東海地方にはこんなにもいい感じのカフェがあったんだと喜ぶとともに、自分が思っていたよりカフェ好きだったことに気がついた。
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最近、本当にフェイスブックとかツイッターの書き込みをしなくなった。リア充な生活を送っているせいもあるけど、最近はツイッターが新聞替わりというほどのロム状態。
これじゃイカンよなぁ、自分は何も発信しないで人様の情報を楽しむばかりじゃズルイよなぁと思いつつ、書き込みをしようとするたびに心理的な壁のようなものが立ちはだかるのよねぇ。壁の種類はおおまかに言って次の4つ。
これじゃイカンよなぁ、自分は何も発信しないで人様の情報を楽しむばかりじゃズルイよなぁと思いつつ、書き込みをしようとするたびに心理的な壁のようなものが立ちはだかるのよねぇ。壁の種類はおおまかに言って次の4つ。
これはあくまでも持論です。誰にでも当てはまるかどうかはわかりません。
最近、ストレス過剰気味の家人はよくヒステリーを起こすのだが、そうなると部屋の片付けを始める。少しでもごちゃごちゃしたものが視野に入ると我慢ならないらしい。
一ヶ月ほど前はリビングが犠牲になった。その次の週は手作りテラスの上のモノたち。
最近、ストレス過剰気味の家人はよくヒステリーを起こすのだが、そうなると部屋の片付けを始める。少しでもごちゃごちゃしたものが視野に入ると我慢ならないらしい。
一ヶ月ほど前はリビングが犠牲になった。その次の週は手作りテラスの上のモノたち。
ツイッターを見ていると、時々「最近のアニメや映画や音楽は一般受けするものばかり作られている。一般受けする作品というのは、快感を得られたり手軽に感動を共有できるタイプのもの(要するに受け手に迎合しすぎて中身が浅薄になったもの)」だという意見を見かけて、なるほどなー、と読んでいる。
確かに手軽な感動モノが多い気はする。シンプルな成長ストーリーやら勧善懲悪やら、自分のピンチは世界のピンチというセカイ系やら。小難しいことを語る作品は減った……のかもしれない。
ならば、なぜ若い子(気持ちだけ若い人も含む)たちはお手軽作品好む傾向にあるんだろう。
確かに手軽な感動モノが多い気はする。シンプルな成長ストーリーやら勧善懲悪やら、自分のピンチは世界のピンチというセカイ系やら。小難しいことを語る作品は減った……のかもしれない。
ならば、なぜ若い子(気持ちだけ若い人も含む)たちはお手軽作品好む傾向にあるんだろう。
この間、久しぶりに図書館へ行った。演奏会のパンフに曲目紹介を書くため、プロコフィエフの伝記を借りに行ったのだ。目的のブツはすぐに手に入った。他にも気になる本はないことはなかった……けど、今は借りても読む時間がないので「いつかそのうち」と自分に言い聞かせて出てきた。
今日は春の嵐の到来が予告されていて、実際に外はもう強い風が吹いている。なんでも、台風並みの暴風が来るとか。
今のところはまだ外に洗濯物が干せるレベル。ベランダに出たら、風にのって春の花の匂いがした。
今のところはまだ外に洗濯物が干せるレベル。ベランダに出たら、風にのって春の花の匂いがした。
この一週間のうちに訃報が2件。ひとつは、大学時代にお世話になったことのある先生。学生オケの顧問を長く務めていらした先生なので、フェイスブックのオケOBグループ内で、あっという間に情報は広がった。中にはその先生に仲人をしていただいたという大先輩や、このお正月まで年賀状のやりとりをしていたという先輩も。私は意味論の講義でお世話に。とても深い知性をお持ちの先生だったと覚えている。
葬儀は教会で執り行われたので、キリスト教に帰依されていたのだと知った。そう言えば私のゼミの先生もカトリックの信者だったが、亡くなる時までゼミ生の誰もまったく知らずにいた。何を信仰しているのか、という問題はごく個人的なことがらであって、いちいちカミングアウトすることではないのかもしれない。
もう一件の訃報は、私の祖母。母の母にあたる。長らく養護施設に入っていて、私はほとんど会いに行かなかったけれど、時々見舞いに行っていた母によれば、祖母は身体のあちこちが弱くなっていたものの、別段ボケがくるわけでもなく、比較的穏やかに時を過ごしてたという。亡くなった原因もほぼ老衰と言っていいぐらい。
大学の先生と祖母。実は、ふたりとも享年90歳という共通点があって、少し驚いた。大正生まれなのね。
一説には、大正から昭和初期にかけて生まれた人たちは身体が実に頑丈だという。その時代に生まれた人たちは、子どもの頃にたっぷり遊びまわる時間があったこと、食料事情が良かったという点で恵まれていたからだという。
90歳までしっかり生きられたら、立派な大往生だよねえ。
それにしてもこの一年というもの、礼服をクリーニングに出す間もないくらい葬儀や法事だらけ。でも、人間の生活なんて、本来は死と切り離せないものなんだし、ある意味普通なのか。
葬儀は教会で執り行われたので、キリスト教に帰依されていたのだと知った。そう言えば私のゼミの先生もカトリックの信者だったが、亡くなる時までゼミ生の誰もまったく知らずにいた。何を信仰しているのか、という問題はごく個人的なことがらであって、いちいちカミングアウトすることではないのかもしれない。
もう一件の訃報は、私の祖母。母の母にあたる。長らく養護施設に入っていて、私はほとんど会いに行かなかったけれど、時々見舞いに行っていた母によれば、祖母は身体のあちこちが弱くなっていたものの、別段ボケがくるわけでもなく、比較的穏やかに時を過ごしてたという。亡くなった原因もほぼ老衰と言っていいぐらい。
大学の先生と祖母。実は、ふたりとも享年90歳という共通点があって、少し驚いた。大正生まれなのね。
一説には、大正から昭和初期にかけて生まれた人たちは身体が実に頑丈だという。その時代に生まれた人たちは、子どもの頃にたっぷり遊びまわる時間があったこと、食料事情が良かったという点で恵まれていたからだという。
90歳までしっかり生きられたら、立派な大往生だよねえ。
それにしてもこの一年というもの、礼服をクリーニングに出す間もないくらい葬儀や法事だらけ。でも、人間の生活なんて、本来は死と切り離せないものなんだし、ある意味普通なのか。
最近、何もかもが忙しい。年のはじめに忙しさをどうにかしなくてはと思ったら却ってひどいことになったというか(汗)
2/19にあったピアノの発表会が終われば少しは余裕ができて、あんなことやこーんなことができると妄想していたのだが。
2/19にあったピアノの発表会が終われば少しは余裕ができて、あんなことやこーんなことができると妄想していたのだが。
フォローしている人のなかに、元朝日の記者で、今はフリーライターをしている人がいる。その人は福島へ何度も出かけて行っては避難している人たちの様子を取材し、ネット上で記事にしている。ひとつ記事があがるたびに多くの反響があって、そのフリーライターはツイッターで投げかけられた意見を賛否関係なく次々にRTする。反論してきた人には、さまざまな形で反論を返す(まともに相手するときもあれば、けなしたりすかしたりすることも/笑)。すると、当事者でないフォロワーにもどんな意見が上がってきて、どんな意見の応報があるのかよく見える。
面白いのは、世間一般的に「そうだ、そのとおりだ」と頷きたくなる意見に対して「それはピンボケだ」と返していることが多いことだ。するとライター側とそれに反対する側と両方に用語意見がくっついてちょっとした騒ぎになる。
最初は、炎上をひけらかしてるのかと思ったけど、注意深く読み、時間をかけて追ってゆくとそうではなかった。「ピンボケ」と言われるからにはそれなりの理由がちゃんとあるが、なぜピントがずれているのかはなかなか明言されず、自分の頭でよく考えてみてああそうかと附に落ちることが多い。それがゲームをしているみたいに面白い。そして世の中、いかに多様な意見が通っているか、そしていかに勘違いや思い込みが多いか、も実感する。
さらにフリーライター氏は、取材記事だけでなく、時にわざと人の神経を逆なでするようなコメントをつぶやいては物議を醸し出しているのだが、結局この人は自分の発言をたたき台にして議論が広がってゆくのを見たいんだろうなと思う。そういう場合、一番嫌われるのは高みの見物を決め込む傍観者だとか、直接自分には関係ないからと目を背ける無関心な層なのだが、チキンな自分は未だに議論の輪に入ってゆく勇気がない。
いつか、入って行けたらいいなぁ……などと心にもない事は言わぬが花。
だってツイッターで自分の発言に責任を持つなんて恐ろしいことできないし。(まぁ、ブログでも若干逃げ腰で書いていることは認めるが)
自分の書いたものに責任を持つ場なら、他にあるから。
面白いのは、世間一般的に「そうだ、そのとおりだ」と頷きたくなる意見に対して「それはピンボケだ」と返していることが多いことだ。するとライター側とそれに反対する側と両方に用語意見がくっついてちょっとした騒ぎになる。
最初は、炎上をひけらかしてるのかと思ったけど、注意深く読み、時間をかけて追ってゆくとそうではなかった。「ピンボケ」と言われるからにはそれなりの理由がちゃんとあるが、なぜピントがずれているのかはなかなか明言されず、自分の頭でよく考えてみてああそうかと附に落ちることが多い。それがゲームをしているみたいに面白い。そして世の中、いかに多様な意見が通っているか、そしていかに勘違いや思い込みが多いか、も実感する。
さらにフリーライター氏は、取材記事だけでなく、時にわざと人の神経を逆なでするようなコメントをつぶやいては物議を醸し出しているのだが、結局この人は自分の発言をたたき台にして議論が広がってゆくのを見たいんだろうなと思う。そういう場合、一番嫌われるのは高みの見物を決め込む傍観者だとか、直接自分には関係ないからと目を背ける無関心な層なのだが、チキンな自分は未だに議論の輪に入ってゆく勇気がない。
いつか、入って行けたらいいなぁ……などと心にもない事は言わぬが花。
だってツイッターで自分の発言に責任を持つなんて恐ろしいことできないし。(まぁ、ブログでも若干逃げ腰で書いていることは認めるが)
自分の書いたものに責任を持つ場なら、他にあるから。
ツイッターを日々読んでいると、日本がどれだけ大変な状態なのか、ひしひしと伝わってくる。「日本はもうだめだ」とか「未曾有の危機」とか「今こそ変わらなくてはいけない」とか。そんなつぶやきの中に、私なんかは「今日は〇〇した」なんて日常の出来事をつぶやいて残してゆくわけ。
その時に感じるのは微かな罪悪感と逆に日常も大切だから、という開き直りの両方で、なんとも中途半端。
けれども、あえて意見を表明しないということは意識的にやってる。つぶやくのはあくまで自分に起こった出来事だけだ。意見を書くとするなら、それは他者のつぶやきに対する反応であって、自らが何かを主張することはない。
というのも、理由は2つあって、ひとつは共感にせよ、反発にせよ、飛んでくる反応に対していちいち丁寧に対応する余裕がないということ。もうひとつは、裏付けが足りない意見を言ってもそれはタイムラインをかき乱すことにしかならならい、と思っていること。何かを発信するなら、それなりの根拠を持って、ということだね。
要は面倒なんだね。人とツイッター上で議論したりとことん意見を交わしたりするのが。せっかく可能性を持っているツールを使っているのにもったいないかもしれない、とは思う。
逆に読み手の立場としては、人様の(特にリアルで知っている人の)日常のつぶやきはいつも楽しく読んでいて、まったく知らない人のつぶやきからは何らかの意見とか知識の披露とか、とにかく読んでトクになることを期待している。まぁ、誰でもそんなものかな。
ツイッターのいいところはタイムラインを好きにカスタマイズできる、つまり欲しい情報を自分で選べることにあるのだからその時の考えにあわせて受信・発信の方法を変えてゆけばいいのか。
その時に感じるのは微かな罪悪感と逆に日常も大切だから、という開き直りの両方で、なんとも中途半端。
けれども、あえて意見を表明しないということは意識的にやってる。つぶやくのはあくまで自分に起こった出来事だけだ。意見を書くとするなら、それは他者のつぶやきに対する反応であって、自らが何かを主張することはない。
というのも、理由は2つあって、ひとつは共感にせよ、反発にせよ、飛んでくる反応に対していちいち丁寧に対応する余裕がないということ。もうひとつは、裏付けが足りない意見を言ってもそれはタイムラインをかき乱すことにしかならならい、と思っていること。何かを発信するなら、それなりの根拠を持って、ということだね。
要は面倒なんだね。人とツイッター上で議論したりとことん意見を交わしたりするのが。せっかく可能性を持っているツールを使っているのにもったいないかもしれない、とは思う。
逆に読み手の立場としては、人様の(特にリアルで知っている人の)日常のつぶやきはいつも楽しく読んでいて、まったく知らない人のつぶやきからは何らかの意見とか知識の披露とか、とにかく読んでトクになることを期待している。まぁ、誰でもそんなものかな。
ツイッターのいいところはタイムラインを好きにカスタマイズできる、つまり欲しい情報を自分で選べることにあるのだからその時の考えにあわせて受信・発信の方法を変えてゆけばいいのか。