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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

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びおら弾きの微妙にズレた日々
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このブログのタイトルともなった「Back to Nowhere」を読み返してみた。
これを書いたのがたった1年前だというのが信じられない。去年の今頃、せっせと桃香と然也の話を書いていたという実感がまるでない。もっと前のことのような気がする。

この一年の間、それほど変化があったということなのだろう。確かに児童文学のサークルはやめたし、オーケストラまで休止しちゃったし(これは本当に予定外)、仕事を始めてるし、ダンナの実家は焼けてなくなる、苦手なお犬様がやってきて凸凹な同居生活始めてるし。

おかげで今なら冷めた視点で、というか、他人的な視線で物語を読めるようになった。するといくつか重要なポイントが見えてくる。書いている最中は無意識のうちに書いていて、でも後から見るとあれは必然だったんだと思えるポイントが。

それらを言葉にするには、かなり微妙な感覚を必要とするので、今だ! と思ったときに書き留めておかないと。
(ついでに、プチ改稿も/汗 だって意味不明だったり矛盾を生じている場所がいくつかあったし)

この話、最初から書きたいことを書きたいように書くと決めてかかったせいか、出来上がってみれば、どんな物語の型にもはまりきらない不思議な話になった。
大きくまとめてしまうと、ひと組のカップルが成長する話なんだけど、その中にあの世の話が出てきたり、前世の業みたいなものが出てきたり、奇妙なオカリナが小道具になったり、主人公以外にかなりクセのある登場人物がいたりと、いろいろやりたい方第。

結局何が伝えたかったのだろう。作者としては、ただ桃香と然也を、納得のいくやり方できちんと繋ぎたかっただけだ。たとえ予定調和であるにしても。そうしたら(リアルな生がそうであるように)結果的に色んな波紋が起きて周囲に予想してなかった変化をもたらし、エピソードが増えまくった。それが物語というものなんだろうけど。

自分で書いておいて何だけど、前世とか前世からの因縁というのは実在するのかしらん。もちろん実在するという前提のもとに教義を展開する宗教もあって、そして大抵の場合、前世で何があったかは封印されたまま現在の生を生きているというけど、だとしても実生活では嘘臭くひびく。人生に対する答えのない問いに対応するため創りだされた物語のひとつ(神話がそうであるように)だと思えば納得はいくのだが。
あの世の存在も似たようなもの。こっちの方がより多く、若干お手軽に使われているモチーフだけど、これも「死後の世界はあるの? あるとしたらどんなもの?」という、生きてる人間には答えようのない問いに対処するために創りだされた世界だろうね。

じゃあ、前世の話とか死後の世界の話はまったくナンセンスかというと、そうではない。あると仮定することでうまく説明できる物事もあるし、人生に対してメタな視点を与えてくれる。今見えている世界をさらに上から見る視点だ。ここが一番重要だと思う。よく、「星空や大海原を見ていると自分の悩みがちっぽけに見えておおらかな気持ちになる」という話や体験があるけど、あの世や前世を想定するということには、それと同じ作用があると思うのね。さらに、世界は目に映るもの、触れて確かめられることだけで構成されているわけではない、という事実も教えてくれる。もちろん、わざわざあの世なんて作らなくても、人の生活には目に見えない力が働いていることぐらい誰でも知っている。でもその力の源は何か、その力はどこからやってくるのかと考え始めると、とたんに大海原に独り放り出されたような気分にならないかな。

そこで音楽の話。音楽というのは、耳で聞こえるし、他人と共有することもできるけど、触ったり捕まえておくことはできない。録音機器に入れて自由に再生することはできるけど、それだって音は次々に現れては消えてゆくから、何度再生しても流れてゆくだけ。さらに音楽は絵や言葉と違い、具体的な形を必要とせず、人の感情、心に直接訴えかける力がとても強い。だから目に見えない力との親和性も高い。というのは目に見えない力を受け止め、操るのは心や感情の働きだからね。

だから、目に見えない世界の話をするときに、その道案内として音楽やそれに関わる小道具を使うのはごく自然な流れで、道案内を人の姿にしたら然也になった(そもそも彼は魂を現世から冥界まで運ぶ死神役として登場したのだから)。最初のうちはほぼ無自覚に音楽を小道具にしていた。割と最近になって意図的に使うようになって、その結果、感情の封印をこじ開け、あの世とこの世の狭間まで音が届く、あの奇妙なオカリナが生まれた。
ということで、然也は、現世がドームのような閉じられた空間でありながら「ここではないどこか」とつながっていること、その目に見えない通路がどこにあるかを本能的に知っている。桃香はつながっていることは知識の上で知っていて、見えない通路があることも知っているけれど、そこに踏み込むことを恐れている。陽香は通路に足を踏み込んでしまい、戻って来られなくなった。音無は、恐らく閉じられた空間である現世を見限り、通路に憧れ、探しているけど自力では見つけられない。圭介はたぶん、現世も「ここではないどこか」も壁で仕切られているだけで実は同じ地平にあることを感じ取っているが通路には興味がない。なぜなら「同じ地平にあるんだからそれでいいじゃん」だから。杏樹は恐らく現世の外にまで想像力が及んでいない。深いところでは「ここではないどこか」が存在すると知ってるはずだけど、その意識は顕在化してない。

物語というのは、現実世界をメタな視線で見るためにとても役立つ。
それで私の場合は、何か物語を作ってみたいと思ったとき、現実世界からはみ出してみるために採用した題材が、ドームのある世界とか、オカリナ(笛なら何でもよかっけど)だとか、あの世の設定だとか、前世の記憶だとかになった。特にドーム世界の設定は自分でも気に入ってる。SF的に見ると、どうしようもなく古臭い設定だし、リアル世界の日常生活をドームに例えるのもすでに誰かがやってきたことだと知っているけど、でも自分の中では外せないんだよね。
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