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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ

〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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世の中には「あいさつ」という便利な言葉のテンプレート、型というものがある。
こういう状況のときはこういう言葉を発するものだ、という了解が世間にはあって具体的には「こんにちは」「さようなら」「おつかれさま」「よろしくお願いします」「申し訳ございません」などなど。
これのおかげで人同士のコミュニケーションがとりやすくなるし、あえてテンプレートを崩して使うことで、言葉にしづらいメッセージを伝えたりすることもできる。

で、人が亡くなった時、あるいは亡くなった人について語る場合はよく「ご冥福をお祈りします」というフレーズがつく。

この言葉、以前からあまり好きでなかった。
あまりに儀礼的すぎて。故人それぞれに、それまでの人生に対する思いや死後の世界に対する信仰(のようなもの)が違うだろうに、それをひとくくりにして、まるで判で押したみたいに「ご冥福を」と書くのはどうしても気が進まない。たとえ代替の言葉がないにしても、やはり嫌だ。
だからつぶやきやブログの記事で亡くなった人のことに触れる場合でもこのフレーズはなるべく使わないようにしてきた。

最近、といってもこの半年で近しい人を二人なくした。主人の実父と児童文学の同人としていっしょに活動していた方だ。
どちらもとても身近な存在で、未だに亡くなった、という実感が得られず、何かの拍子にふらりと現れてもおかしくない気持ちになる。それで余計に「ご冥福を」なんて書く/読むと違和感が生まれる。もともと「ご冥福」なんて祈りたくなかった、こっちの世界で幸せであってくれればよかった。
だいたい、もしも本当に「向こう側」の世界があって、肉体を失った魂がそこへ行くとしても、それはもう現世で生きる人間とはまったく関係のない話であって、というか、こちら側とは違う摂理で存在する世界だろうから、こちら側の住人である生きてる人間が祈ったところで祈りは届きようがないだろうに。
だからだろうか。生きてる者が死者のことを語るとき、どうしても「触れるべきでないものに触れている」という恐れのようなものが生まれる。あたかも生者が死者について語るのは禁忌で、それを破ったら何かで償いをしなくてはいけないような感覚。それで自覚がないにしても免罪符的に「ご冥福を」とつぶやいてしまう。
でも、そうやって亡くなった人のことを遠くへ押しやるのは嫌なのだ。

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