心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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村上訳の「フラニーとズーイ」が刊行されたので、さっそく買って読んでみた。サリンジャーは今更という気がしないでもなかったけれど、春樹氏はどんな風にサリンジャーと格闘したのだろうと、その好奇心を満たすために読んだようなものだ。
やはりサリンジャー特有の持って回った言い回し(書かれた当時はそれが「都会的」と評されたわけだけど)がどうしても気になってしまう。今風に言えばうざい。こともある。ただ、そのうざさはある程度狙って作られたものなので、この作家をなめてはいけない。
どうでもいいような長ったらしいおしゃべりに付き合っているうち、ふと真実が転がり出てくる瞬間、強い愛情から生まれる温かな思いが立ち上る瞬間に立ち会うことができる。
そして、その奇跡のような瞬間に遭遇したが最後、それまでのぐだぐだな会話のすべてが愛おしくなるという厄介さ。
サリンジャー氏がこの作品において紡ぎだす言葉は、一見どうでもいいようなガラクタに見えて、実はどうしてもそれでなくてはいけない必然性がある。そのように計算して置かれた言葉ばかりだ。まるでモーツァルトが五線紙に書きつけた音符のように。
このような文章は読み手に本気のコミットメントを強いる。そして普段手入れをしていない、心、というか意識の奥底に手を突っ込んでグルグルかき回すぐらいの効果をもたらすから恐ろしい。
以上、サリンジャーのお陰で人生が狂ってしまった気がするもの書きの戯言でした。
だって、「コネチカットのひょこひょこおじさん」の破壊力が半端ないんですもん……。