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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ

〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
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先だっての日曜日、妹家族+両親がうちの近くに遊びに来た。楽しめそうな施設を案内したわけだが、その時に妹が言うには「お姉ちゃんの雰囲気が前に会った時(昨年のお盆)とすっかり変わっていて、最初はわからなかった」という。そういえば母もほんの5メートル離れた人混みで手を振る自分の娘が認識できなかったようだし(普段はできる)、いったい自分に何がおきたんだろうと思う。



心当たりはあるような無いような。この半年、公私ともに忙しくて人と交渉することも多かったし、もしかしたらもっと前からの影響、つまり仕事つながりで様々な人と色んな話をする機会を持てたことで少しずつ積み重なってきた変化が、この半年で目立ってきたのかもしれない。
あるいは、自分のホームグラウンドにいるということで、家族と一緒にいる時とは違うオーラをまとっていたのかもしれない。

もっと長いスパン、たとえば10年単位で振り返ってみると、確かに自分は変わったなと思う。以前は好きだった音楽に魅力を感じなくなったり、アニメをあまり見なくなったり(その代わり読書量は増えた)、身に付けるものの趣味が変わってきたり。そして変化に対してマイナスの感情が、不思議なくらいなくなった。変化というのは古いものを失い新しいものを得ることだから、たいていは失うことに対して不安や恐怖があるものだが、この歳になるともう何かにしがみつく必要がなくなるのか、去る者は追わず、来る者は拒まず、の心持ちになってくる。

そしてこの心持ちの根底にあるものは、自分は何者でもないからこそ何者にでもなれるという一種の虚空だ。逆に「私のアイデンティティはコレです」というものを強く持ちすぎると、それにこだわるあまり、身動きが取れなくなる。自在に動けない、変われない。自分的にはそれは避けたい。

もちろん世の中には変わらないことを好み、動かないことを良しとする人もいるし、心に虚空をつ=こだわりを捨てると、時に風通しが良すぎて気持ちが寒々とすることもある。だが、虚空と同時に手に入れた自由さは大変に魅力的だ。飄々と風に乗って生きてゆく。

そういえば、去年の春先に読んだ「道化師の蝶」は、まさにこんな風に自我が次々と姿を変え、蝶のように舞う話だったな。その時、ある人が私の生き方は円城氏の作品を彷彿とさせるとコメントしてくれたのだが、なるほどそういうことだったのかと今更納得。

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