心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
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最近、何もかもが忙しい。年のはじめに忙しさをどうにかしなくてはと思ったら却ってひどいことになったというか(汗)
2/19にあったピアノの発表会が終われば少しは余裕ができて、あんなことやこーんなことができると妄想していたのだが。
2/19にあったピアノの発表会が終われば少しは余裕ができて、あんなことやこーんなことができると妄想していたのだが。
義父から引き継いだ土地関連でバタバタしているのは相変わらず。人と会う機会はむしろ増えた。ママ友デート、職場の女子会、新しく参加したオケ、ビオラーズの飲み会、休みの日はほとんどそれで潰れるが、楽しいのでまるで気にしていない。
それに加えて、翻訳のお仕事が降ってきた! しかも職場関係で。
勤め先は文化施設で、年に一度、外国人アーティスト(陶芸方面)を招いて数週間滞在してもらい、市民と交流イベントを行いつつ、制作活動に励んでもらうという活動を行なっている。年度の終わりにその活動をまとめた小冊子を発行するのだが、それは活動の性格上、日英両方で表記されている。
私のお仕事は、日本語の解説を英語に置き換え、アーティストから届いた寄稿文を英語から日本語に置き換える作業。
アーティストによって、シンプルな文章表現をする人もいれば、難しい概念的なことを語るオジサンもいてなかなか大変。(実際に一番面倒だったのは、代表者あいさつを英文に置き換えること。そもそも日本語が回りくどくてわかりにくい)
ただ、3人の作家それぞれの表現方法やアイデアに触れていると、物の見方がふわっと広がってゆく感じがする。さらに言えば、個人と世界の関わり方を意識上に上らせてくれる。「私は世界に対してこういうふうに接したい」「世界の謎を追求したい」など、作家自身の問題意識を形にしたものが彼らの作品。作品がどんなスタイルをとっていようと、芸術作品はそういうふうにして生まれる。
そして、偶然だとは思うけれど、今日の仕事中、日本各地から送られてくる芸術関係のチラシやリーフレットに目を通していると、文学&創作関係の小冊子を2冊みつめた。ひとつは名古屋をネタに短編を書くコンクールの受賞作品集。もうひとつは、とある童話作家を記念した童話コンクールの受賞作品集。ほんの2年前までは彼らの仲間(受賞者という意味ではなく、応募者という意味)だったんだな、とちょっと懐かしく冊子を見た。作品は読んでいない。見知った先生方の講評にだけ目を通した。それだけで当時の空気感が蘇る。そして、小さなコミュニティの中でひたすらモノを書いて応募していた頃の自分と、外へ働き(時々遊び)に出て色んな人の集まりに顔を出している今の自分を比べてみると、まるで北海道ー名古屋間にも匹敵する遠さ、違いがある。
実はどちらが良いのか、今のところ判断がつかないでいる。第三者から見たら当前のごとく今のほうがよく見えるに違いない。自分で稼いだお金で自分に投資ができるし、色んな人に会って刺激は受けるし。でも内側、つまり当事者から見ると、以前の生活は幸せ感半端無かったなぁと思ったりするのだ。たしかに焦りは今の三倍くらい持っていたが、物語を作っている時間は、それはそれは充実していたのだ。その成果を誰も見ることがない、というのが悩みの種だっただけで。
いつか、今の経験を糧にしてパワーアッブしてから、あの生活に戻れたら、というのが本音。
それに加えて、翻訳のお仕事が降ってきた! しかも職場関係で。
勤め先は文化施設で、年に一度、外国人アーティスト(陶芸方面)を招いて数週間滞在してもらい、市民と交流イベントを行いつつ、制作活動に励んでもらうという活動を行なっている。年度の終わりにその活動をまとめた小冊子を発行するのだが、それは活動の性格上、日英両方で表記されている。
私のお仕事は、日本語の解説を英語に置き換え、アーティストから届いた寄稿文を英語から日本語に置き換える作業。
アーティストによって、シンプルな文章表現をする人もいれば、難しい概念的なことを語るオジサンもいてなかなか大変。(実際に一番面倒だったのは、代表者あいさつを英文に置き換えること。そもそも日本語が回りくどくてわかりにくい)
ただ、3人の作家それぞれの表現方法やアイデアに触れていると、物の見方がふわっと広がってゆく感じがする。さらに言えば、個人と世界の関わり方を意識上に上らせてくれる。「私は世界に対してこういうふうに接したい」「世界の謎を追求したい」など、作家自身の問題意識を形にしたものが彼らの作品。作品がどんなスタイルをとっていようと、芸術作品はそういうふうにして生まれる。
そして、偶然だとは思うけれど、今日の仕事中、日本各地から送られてくる芸術関係のチラシやリーフレットに目を通していると、文学&創作関係の小冊子を2冊みつめた。ひとつは名古屋をネタに短編を書くコンクールの受賞作品集。もうひとつは、とある童話作家を記念した童話コンクールの受賞作品集。ほんの2年前までは彼らの仲間(受賞者という意味ではなく、応募者という意味)だったんだな、とちょっと懐かしく冊子を見た。作品は読んでいない。見知った先生方の講評にだけ目を通した。それだけで当時の空気感が蘇る。そして、小さなコミュニティの中でひたすらモノを書いて応募していた頃の自分と、外へ働き(時々遊び)に出て色んな人の集まりに顔を出している今の自分を比べてみると、まるで北海道ー名古屋間にも匹敵する遠さ、違いがある。
実はどちらが良いのか、今のところ判断がつかないでいる。第三者から見たら当前のごとく今のほうがよく見えるに違いない。自分で稼いだお金で自分に投資ができるし、色んな人に会って刺激は受けるし。でも内側、つまり当事者から見ると、以前の生活は幸せ感半端無かったなぁと思ったりするのだ。たしかに焦りは今の三倍くらい持っていたが、物語を作っている時間は、それはそれは充実していたのだ。その成果を誰も見ることがない、というのが悩みの種だっただけで。
いつか、今の経験を糧にしてパワーアッブしてから、あの生活に戻れたら、というのが本音。
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