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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ

〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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ツイッターを見ていると、時々「最近のアニメや映画や音楽は一般受けするものばかり作られている。一般受けする作品というのは、快感を得られたり手軽に感動を共有できるタイプのもの(要するに受け手に迎合しすぎて中身が浅薄になったもの)」だという意見を見かけて、なるほどなー、と読んでいる。

確かに手軽な感動モノが多い気はする。シンプルな成長ストーリーやら勧善懲悪やら、自分のピンチは世界のピンチというセカイ系やら。小難しいことを語る作品は減った……のかもしれない。

ならば、なぜ若い子(気持ちだけ若い人も含む)たちはお手軽作品好む傾向にあるんだろう。

生きにくい世の中を必死で泳ぎまわってすごく疲れているゆえに、シンプルに楽しめる娯楽が欲しいのかな、という気がとてもする。
今の若い子(30代以前)はとてもまわりに気を使う。空気を読んで、一人だけ浮かないようにする。目立った者勝ちの世界とは真逆の世界を生きているように見える。だとしたら、普通に他人をコミュを取るだけで疲れるだろうなぁと思う。

物語は芸術の道具となることもあるけれど、逃避や癒す機能を本来持っていて、だから「使い捨て癒し器」とか「てっとり早いコミュニケーションツール」として使われていても何も悪いことはないと思うんだよね。
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