心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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上海から帰ってきて1週間ほどたつが、まだ気持ちが落ち着かず、自分のテリトリーに帰ってきたのに他所の家にいるよう。
約1週間かけた北海道旅行だって帰宅した翌日から通常営業だったのに、今回はいつまでたっても異国の地にいるみたいな感覚が抜けない。まるで魂の一部がふらふらとどこかをさまよっているような気がして、日常生活を送るだけでも実はしんどい。
もっとも、ただぼーっとしてたわけではなく、旅の後片付けはきっちりしたし、実家に来た妹家族と遊び、本を2冊読んだ。エイプリルフールの仕込みもちゃんとやった!
行動だけトレースするといつも通りに動いているのにもかかわらず、認識としては身体だけ動いて心がどこかに取り残されている感がありありで、だからtwitterは読めない、書き込めない、旅行記は下書きから進まない。
いったい、何を何処に置いてきたんだか。
約1週間かけた北海道旅行だって帰宅した翌日から通常営業だったのに、今回はいつまでたっても異国の地にいるみたいな感覚が抜けない。まるで魂の一部がふらふらとどこかをさまよっているような気がして、日常生活を送るだけでも実はしんどい。
もっとも、ただぼーっとしてたわけではなく、旅の後片付けはきっちりしたし、実家に来た妹家族と遊び、本を2冊読んだ。エイプリルフールの仕込みもちゃんとやった!
行動だけトレースするといつも通りに動いているのにもかかわらず、認識としては身体だけ動いて心がどこかに取り残されている感がありありで、だからtwitterは読めない、書き込めない、旅行記は下書きから進まない。
いったい、何を何処に置いてきたんだか。
この原因について、最初は「広さ」のせいだと思った。
あちらで出会った巨大なビル群や広大な公園、大動脈のような幹線道路、そういったもののサイズにすっかり心が馴染んでしまい、日本の事物がすべて小さく見えるようになって違和感を感じ始めたのだと。
しかし、タイミングよく「道化師の蝶」を読んで(これはまさしく「移動中の飛行機の中で読むに限る本」なのだ)、これは言葉の問題、そして移動距離のせいかもしれないなと思えてきた。
飛行機に乗って言葉の通じない土地へ行き、知らない言語の音を浴び続ける。それが引き金となり、脳の一部が新たに目覚めたのではないか。もしくは太古の記憶がゆさぶられたか。
しかし(笑)それにしては世界に対して新鮮さを感じず、むしろガラスケースの中から外を眺めているようなもどかしさがある。ふだん、自分のまわりの世界が語りかけてくる言葉未満のつぶやきが感じとれなくなっていて、世は花に満ちて春爛漫なのに、自分だけまだ晩冬の世界にいる気がしてたまらない。
これはあれだ、旅に出ている間に季節に置いて行かれたのだ。感覚的に間違いない。
どういうことかというと、←と↑が立体交差するような感じで二重の意味で前の立ち位置からズレてしまったらしい。
まず旅行に出ることによって、まず自分の内部のベクトルが大陸方面へと変化する。
さらに留守にしていた土地でも季節に変わり目を迎えるにあたり冬から春へと向かう、力の大きなベクトルが生じている。
本来、自分の土地を離れなければ自分の内部のベクトルも季節の変化のベクトルに乗って同じ方向へ進めたものを、たまたまこの時期に離れたばかりに、ねじれた方向にずれてしまったんだな。それで帰ってきてもなかなかチューニングが合わせられずに苦労していると、そんなあたりか。
あちらで出会った巨大なビル群や広大な公園、大動脈のような幹線道路、そういったもののサイズにすっかり心が馴染んでしまい、日本の事物がすべて小さく見えるようになって違和感を感じ始めたのだと。
しかし、タイミングよく「道化師の蝶」を読んで(これはまさしく「移動中の飛行機の中で読むに限る本」なのだ)、これは言葉の問題、そして移動距離のせいかもしれないなと思えてきた。
飛行機に乗って言葉の通じない土地へ行き、知らない言語の音を浴び続ける。それが引き金となり、脳の一部が新たに目覚めたのではないか。もしくは太古の記憶がゆさぶられたか。
しかし(笑)それにしては世界に対して新鮮さを感じず、むしろガラスケースの中から外を眺めているようなもどかしさがある。ふだん、自分のまわりの世界が語りかけてくる言葉未満のつぶやきが感じとれなくなっていて、世は花に満ちて春爛漫なのに、自分だけまだ晩冬の世界にいる気がしてたまらない。
これはあれだ、旅に出ている間に季節に置いて行かれたのだ。感覚的に間違いない。
どういうことかというと、←と↑が立体交差するような感じで二重の意味で前の立ち位置からズレてしまったらしい。
まず旅行に出ることによって、まず自分の内部のベクトルが大陸方面へと変化する。
さらに留守にしていた土地でも季節に変わり目を迎えるにあたり冬から春へと向かう、力の大きなベクトルが生じている。
本来、自分の土地を離れなければ自分の内部のベクトルも季節の変化のベクトルに乗って同じ方向へ進めたものを、たまたまこの時期に離れたばかりに、ねじれた方向にずれてしまったんだな。それで帰ってきてもなかなかチューニングが合わせられずに苦労していると、そんなあたりか。
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