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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

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びおら弾きの微妙にズレた日々
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インタラ話の続き。
さすがヒラサワ師匠、サプライズはまだある。ライブの舞台(本来ならオッサンと電子機器ばかりw)に華を添えるゲストの登場だ。物語では彼女、ツンデレ系の魅力満載な女性だったのだけど、ふとスカートの下を見ると、硬質な輝きを放つ右足がちらりと見える。美しい形の義足だった。

今回のインタラクティブライブの背景となる物語には、"amputee"という名の種族が登場する。狂言回し的な役目を果たす彼らには、物語が生まれ待機するという"source"に体の一部を置いているために特別な力が備わっているのだという。

"amputeeを辞書で調べると「身体切断者」と出てくる。事故や戦争で手足その他を失った人々を指すその言葉を、「身体の一部を"Source"と呼ばれる空間に存在させることによって我々には不可能な事を成しえる能力を持っている」と、ヒラサワ氏は自らの物語の中で定義しなおした。それはたぶん、今回のゲストを活かすためだし、彼女の後ろにいるであろう同様の人々に対してのメッセージでもあるのだと解釈したい。失われた身体の一部は、「ある」と「ない」が同居し、あらゆる物語が待機するSource空間を漂いながら、持ち主に特殊な力を送っているのだ。

振り返って次は自分の身体の話。

心臓の壁の一部を母親の胎内に置き忘れたままこの世界に生まれ落ち、その後、微妙なハンデを抱えながら成長してきたわけだが、外見でそれとわかるわけでなく、大して動きが制限されることもなかったので、本人的には特に困っていなかった。命に別状がないのなら永久に放置でもOKじゃね?と思うほどに。

それに、その穴にはある意味感謝している。
もし標準仕様の心臓を持って生まれていたら、音楽の道にははまらなかった。気持ちだけは活発に動きまわる子どもだったので、恐らく小学校のころから運動部に属して体育会系女子の道をまっすぐ進んでいただろう。
幸か不幸か、不良品の心臓を持って生まれたために運動部には入れず、結果的に合唱部へ入ることになった。それが現在に至る音楽遍歴の始まりだ。

時がたつに連れ、穴を放置しておけば心臓への負担が増すばかりだとわかり、結婚してから穴を塞ぐ手術をする。ダンナ氏より先に旅立つわけにはゆかないからね。

そして手術後。身体が軽く動かせるようになって軽く感動した。いやマジで手足にくくりつけていた重りを外したような身軽さ。睡眠時間が少なくてもそんなに疲れないし。いやはや、自分がどれだけ余計な重荷を背負っていたかよくわかった。
さらにしばらくして、精神的にも変化が起きたことに気がついた。非常に健全になってしまったのだ。妙な話だが、物質としての心臓の穴を塞いだら、精神的な心の穴まで塞がってしまった。というか、逆かもしれない。塞がってからようやく、それまで心に小さな空洞があったことに気づいたというべきか。その空洞は喜びや輝きを吸い込んで、切なさや哀しみを吐き出すタイプの穴で、もしかすると「中二病」という名前を与えるべきかもしれないが、記憶にある限り、その穴は物心ついたときから抱えていた気がする。ところが、うまく心臓の穴が塞がって病院から出てきたのち、中二病的な何かは壁一枚へだてた違う空間へ行ってしまった。
母の胎内に置き忘れた心臓の一部は、たぶん、今も"Source"を漂い、本体に「特殊な力」を送り続けているのだろう。しかし肝心の受信機は塞がれるべくして塞がれてしまった。ただ「そこに穴があった」という記憶が残るばかり。まるで喪失の喪失だね。

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