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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
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〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

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びおら弾きの微妙にズレた日々
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ようやく最後までたどりつきました。3年がかりです。やれやれ。

結末は古いバージョンとは少し違ってきましたが、落ち着くべき所に落ち着いたという意味では変わってません。らせん階段をぐるっと上って、同じ立ち位置に見えてもじつは少しだけ高い位置に立っているという感じで。

どうでもいいことなんですが、書いててチューリップの「青春の影」が何度も頭の中をよぎり、さらにこの小話シリーズの世界設定は「2222年ピクニック」の歌詞「2222年、空がまだ青いなら〜」からもらっていたなと、懐かしく思い出したのでした。

Wherever You Go

 「この空っぽの部屋がどんな風に変わってゆくのかしら」
 桃香は、掃除の終わった床にすわりこみ、ほっと息を吐いて部屋の中を見渡した。午後の落ち着いた光が、埃の払われた壁や床を照らしている。床の上は一足先に届いた荷物の箱が積んであり、窓には取り付けたばかりのカーテンが風にそよいでいた。もうじき引っ越し業者が来て、大物家具が入る予定だった。
 といっても、これは桃香の部屋でなく、退院した然也が入ってくる予定の部屋だ。
 事故の日から2ヶ月が過ぎ、夏が終わりの気配を見せるころになって、然也はようやく退院にこぎ着けた。しかし、歩くにはまだ杖がいる。昔の松葉杖に比べたらずっと使いやすく、上半身に負担のかからないものに進化しているが、長距離を歩いたり走ったりするのはまだ無理だ。それで通勤の手間を省くため、音無が工房の二階の空き部屋を用意してくれたのだった。
 桃香はといえば、彼女自身事故に遭ったこともあって、留学の予定が一年延び、職場はいったん辞めた。そして心に傷を抱えた女性をサポートする仕事を新たに選んだ。
 ノックとともに音無が入ってきた。
「圭介君から連絡がありましたよ。もうすぐ病院を出るそうです」
 然也をここまで連れてくるのは、車を持っている圭介の仕事だと最初から決まっていたが、杏樹が同行すると言い出した時には、さすがに桃香は驚いた。そして安心した。聞けば、自分たちが事故にあって大変だったとき、杏樹をずっと励まし、力づけていたのは圭介だったという。
「ここまで、長かったですか?」
 音無が桃香の斜め向かいに腰を下ろした。桃香はどう答えるべきか少し迷った。音無が問いかけているのは事故から今日までの日にちではなく、然也と出会ってから今に至るまでの話だ。
「そうですね……。長いと思えばそうだったのかもしれません。でも私たちには必要な時間だったのだと思います。たぶん、あの事故も含めて何もかも」
「そう言えるあなたは幸せだ」
 その言葉に、桃香の胸が微かに痛んだ。音無は今でも自分の半身が不在だと思っているのだろうか。
「実は、あなたたちに陽花の話をしてから少しずつ考えが変わってきたんですよ。今、あなたが言ったように、これまでのあらゆる出来事は、結局私にも必要だったのかもしれません。もしかすると陽花を失ったことにさえ意味があるのかもしれない、欠落を抱えたまま生きてゆくことにも何らかの意味があるのかもしれないとね」
「音無さん、それはもう欠落とは言えません……」
「いや、この話はもう止めにしましょう。あなたを傷つけたら彼に怒られてしまう」
 音無は立ち上がる。桃香もあわてて立ち上がった。
「でも音無さん、これだけは知っておいて欲しいんです。私も然さんも、あなたにはとても感謝してるってことを」
 桃香は荷物の中からある包みを取り出し、音無の前でそれをほどいた。
「これを持っていていただけますか」
 それはプリザーブドフラワーだった。花を新鮮なうちに薬液に浸してガラス容器などに入れて飾り、半永久的に保存できるようにしたものだ。
「紫陽花……ですね。どうしたわけです?」 
「わたしが眠りから覚めたとき、枕もとにこの花が置いてありました。誰に聞いても誰が持ってきたかわからないと言うんですけど、本当に優しい色で見るたびに心が穏やかになるんです。この花がしおれていくのが見たくなくて、それで友人に頼んで加工してもらったんです」
 それは桃香本人のためというよりは、音無を思ってのことだった。彼女は長い眠りの間に何があったか覚えているわけではない。ただ、音無のパートナーの象徴が紫陽花であると、そのことを覚えていたからだった。
「そうですか……」
 ほんのりと青みがかった紫陽花を受け取り、じっと見つめる音無の目は、皮肉も陰りもなく、純粋に穏やかに微笑んでいる。こういう微笑み方ができる人だったのだと桃香は感慨を覚える。しかし、直後、音無の目に苦々しい光がさした。
「彼女は……あとから知ったことですが……そして、あの時はあえて口にしませんでしたが、陽花は亡くなる少し前に子を宿したものの、すぐに流れてしまったそうです。彼女はそのことを私にまったく悟らせませんでした。悲しさも悔しさもあらゆる負の感情を独りで抱え込んでいました。だからこそ闇の餌食になってしまった……」
 音無は陽花独りに悲しみを負わせてしまった自分を責めている。しかし桃香には陽花の気持ちが痛いほどわかった。それに大切なことほど、うまく伝えるのは難しい。陽花が音無の気持ちを思うほど言い出せなくなり、それが引き金で心身を傷めてしまったとしても、なんの不思議もない。
「でも音無さん、あまりご自分を責めないでください。もし私が陽花さんの立場だったら同じことをしたかもしれない」
 桃香の言葉が意外だったのか、音無は軽くまゆを上げた。それから腕をすっと伸ばし、桃香を優しく包みこんだ。
「それはいけませんね。ええ、絶対にしないで下さい」
 驚いた桃香が音無を見上げると、彼はすぐに腕をほどき、いたずらっ子のように笑って唇に人差し指を立てた。
「ありがとう、桃香さん。結局、陽花の話をして救われたのは、私のほうかもしれません」
 桃香の胸に温かい思いがあふれた。誰かを救おうと考えているうちは無理でも、自分が正しいと思う生き方を選択してゆけば、それだけで救える心もるのかもしれない。
「そうそう、これも彼には内緒の話なんですが、あと五年ほどしたら工房を出ようと思っているんですよ。オカリナを持って身軽に好きなところへ行ってみようかと」
「え?」 
 そうしたら工房は誰が管理するのだろう。すると音無はふっと笑い、軽やかに部屋を出ていった。青い紫陽花を大切そうに抱いて。

「桃香」
 聞き慣れた声に桃香ははっと振り向いた。然也が部屋の入り口に立っていた。彼が工房に到着したのはもう少し前だったが、彼が圭介の車から降りたとたん、工房中が大騒ぎになったので、桃香は声をかけづらくて部屋で待っていたのだった。
 病院で再会したとき然也は、彼女のことを「桃さん」ではなく「桃香」と初めて呼んだ。その時はくすぐったいような奇妙な感じがして笑ってしまったけれど、彼の真摯な気持ちを感じ取って、背すじが伸びる思いだった。そして今も。
「お帰り」
 そう言うと、然也は照れたように目をそらしながら、ただいまとつぶやいた。そういう仕草は前と変わっていない。
「無駄なぐらい広い部屋だな」
「まだ大きな家具が来てないから」
「今夜からここで寝起きするなんてどうも落ち着かないな」
「だってその足で通勤は大変でしょう? 音無さんがわざわざ気を遣って空き部屋を用意してくれたんだから。しかもエレベータから近い方の部屋を」
「でもあれは本来、荷物用なんだぞ」
「然さん、ちょっとそこどいて下さい」
 圭介の後ろには引っ越し業者が来ていて、前に住んでいた部屋から家具を運びこむところだった。
「もしかして、オレって邪魔?」
「だって本当は部屋を整えてから来てもらうはずだったのに、予定より一週間も早く退院しちゃうんだもん」
 圭介の後ろから杏樹が顔を出す。この二人と桃香の三人で然也の部屋の荷物をまとめていたのだった。
「然さん、何をどこに置いたらいいかの指示だけ出しといてもらえませんか。そうしたらあとは俺たちで適当にやっときますから」
「ああ、悪いな……。この身体じゃ足手まといになるばかりだもんな」
「まあ、そういうことは言わない方向で」
 そう言いながら圭介は助けを求めるように桃香をちらりと見た。桃香はクスリと笑いながら彼の意図を読み取った。
「然さん、久しぶりに〈外〉を見に行かない? 車を呼ぶから」
 桃香はCギアを取り出すと、窓際へ行って通信を始めた。そのとたん、後ろで然也と圭介が何やら騒ぎ出した。
「それ、オレのベッドと違うぞ。そんなに大きくなかったはずだ」
「ああ、それは俺からの退院祝いです。こう言っちゃなんですけど、前のは相当古かったですもん」
「だからってダブルはないだろ、ダブルは!」
「広い方がよく眠れますよ。落ちる心配もありませんし」
「あのなぁ、よくもそんなにすっとぼけたことを……」
「然さん、ごめん。特売のダブルベッドを見つけたの、わたしだから」
「犯人はお前か、杏樹!」
 桃香は思わず吹きだし、その拍子にCギアの操作を間違えた。

 一時間後、二人は強化ガラスの前に立って〈外〉を眺めていた。この季節の夕暮れは案外早い。灰色の空がほんのりと赤く染まり始めている。その色合いは刻々と変わり、刹那的な美しさを見せていた。が、一般の人間なら「どこがきれいなの?」という程度の色だ。灰色の空を見慣れている二人だからそのわずかな変化をも美しいと思う。
「外へ行こう」
 然也が唐突に言い出した。いつもならすぐについてゆく桃香だが、今の然也は病院から出てきたばかりだ。いくら夏の終わりだと言っても、外の空気が身体にいいわけがない。
「いくらなんでも無茶よ」
「だろうな……。ただ、どうしてもこいつを吹きたくなってさ」
 然也はオカリナを取り出した。が、それはいつも彼が愛用しているのとは違う色のものだった。
「そのオカリナは?」
「これはちょっと特殊な音が出るから、外で吹かないとまずいことになる」
「特殊な音?」
「スランプで落ち込んでたときに作ったやつなんだが、なぜか音無さんのお気に入りで、そりゃもう酷い音が出るんだ」
 桃香はちょっと笑ってしまう。
「どのくらい酷いかっていうと、人の暗い過去を表に引きずり出すほどさ」
 桃香は信じがたかった。
「オカリナでそんな音が出るの?」 
「実はさ、桃さんを呼び戻した時に使ったのがこいつだったんだ」
「そうなの……。わかったわ。ちょっと待ってて」
 桃香は防塵コートのレンタル所へ走る。夏の間はたまに観光気分で外を出歩く人がいるので、有料で貸し出しをする店がある。
 外は、相変わらず冷たく埃っぽい死の世界だ。しかし、そう思うのは一般的なドームの人間で、二人にとってはそれが懐かしかったし、また、忌むべきものでもなかった。よく見れば土埃の積もった地面の所々に丈夫な草が顔をのぞかせている。地面だけではない。崩れかけたコンクリのすき間にも植物は根を張り育ちつつある。命はどこにでも存在するのだ。
 桃香は然也を支えつつ、ゆっくりと歩みを進め、ひときわ懐かしい場所に来た。昨年の春、知り合って間もない頃に翼の折れたツバメの生死をめぐって言い争いをした場所だった。然也が足を止め、防塵マスクを外す。桃香もつられてマスクを外すと、然也はふっと笑い、桃香のマスクを元に戻した。
「桃さんまで埃を吸うことはないんだぜ」
 然也はオカリナを取り出し、真剣な面持ちでスカボロー・フェアを吹き始めた。彼らが初めて出会ったときに奏でられた曲だ。だが、甘さを残していたあの時と違って、徹底的に物悲しい音がした。その感覚は、工房で音無の独白を聞いたときに感じた生々しい悲しみと絶望そっくりであり、変奏が繰り返されるにつれ、目の前の荒れ地を吹き渡る風さえ圧倒する響きを得てゆく。
(たしかにこれじゃ、人前で奏でられないわね)
 しかし、桃香はもう恐れていない。彼の心がどこへ行こうと、迷わずついてゆこうと決めたから。
「然さん……」
 桃香は然也の背中に頭をもたせかけ、できるだけ傷跡に触れないよう、そっと両腕を彼の身体にまわした。
 オカリナの音が途切れた。
「桃香?」
 然也の声が背中から頭へと直接伝わってくる。身体の芯がまっすぐ伸びるような心地よさ。 
「ねえ、もしもの話だけど、もしまた人として生まれて来ることがあったら、また会いたい?」
「そうだな。それが許されるのであれば何度でも」
  その答えでもう充分だと桃香の胸がいっぱいになる。
「私はね、これで最後でもかまわないっていう風になりたいの。あ、でも誤解しないでね。もうこりごりってわけじゃないから」
「本当か?」
 然也がククッと笑うのが伝わってきた。
「音無さんは、陽花さんを失って、心の半分を無くしたって言ってたわ。でも本当は違うと思ったの」
 しばらく間が空いて答えが返ってきた。
「だけどあの人の心は確かに半分くらいどこかへ行ってるぞ」
「だから、残っているうちの半分に陽花さんが宿っているのよ。どんなに細かく切り刻んだとしても、やっぱりあの人の心の半分には陽花さんがいるわ。私もそういう風になりたい。たとえ離れていても、二度と会えなくなって悲しみに暮れたとしても、私の心の半分にはいつも然さんがいるように」
 然也の手が桃香の手に触れた。
「今はまだ、違うんだな」
「だって始まったばかりだもの」
 これからさらに二人の時間を重ね、心を重ね、身体を重ねて、それでやっとたどり着けるのだろう。
 然也は桃香の手をはずし、ゆっくりと向きを変えた。桃香は然也の目を見上げ、音無と同じ質問をしてみようと思ったが、やめた。代わりにこう言った。
「長すぎる道のりだと思う?」
「長いとか短いとかはもう関係ないさ。今となっては」
 然也の暖かな腕が桃香を強く抱き寄せる。然也の鼓動が桃香の身体に伝わってくる。
 もう、どんな言葉も音楽もいらなかった。
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