心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
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〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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今度は桃香視点のバージョンなわけですが、この期におよんで新しい人が登場してしまうという……。しかも、最初からそこにいたかのように、ごく自然に姿形が見えてきたので自分で笑ってしまいました。
物語というのは最後まで書いてみないとわからないものです。
物語というのは最後まで書いてみないとわからないものです。
Back to Nowhere3
桃香の見渡す限り、風の吹きすさぶ荒野が広がっていた。かつて人が暮らしていたという痕跡がところどころに見えるがために、かえって侘しさがつのる風景だった。
風化して崩れ落ちたコンクリの建物、砂ぼこりがたまって舗装面が見えなくなってしまった道路。大地と溶け合ってしまい、陥没しているところもある。
生き物の気配はいっさいなかった。植物さえ生えていない。空はどこまでも灰色で、それはドームの天井に描かれた偽物なのか、あるいは本物の空を覆っている決して晴れない雲なのか、その区別もつかなかった。人の暮らしを保証してくれるはずのドームはどこにも見えない。あるいは目の前の廃墟がドームの痕跡だとでもいうのか。桃香は身震いした。
(これは、夢……よね?)
夢にしてはちゃんと防塵コートに身を包んいるのがリアルだけども、と思いつつ、マスクを引き上げ、半ば本能的に歩き始める。頭の中は霞がかったようにぼんやりしていて、大切な何かがあるのに思い出せない。ここがどこで、今がいつなのかもわからない。それはもどかしさを通り越し、ヒリヒリするような苛立ちを覚えるほどだった。それをどうにかするには歩くしかない。桃香はひたすら足を進めた。
しかし。
(それにしても、いつまで彷徨うのかしら、私は……?)
歩いても歩いても同じような荒れ果てた景色が続く。日が暮れることもなければ夜が明けることもない。どれだけ歩いても身体は疲れず、頭の中を果てのない疑問がぐるぐると回るばかりだ。
(私は誰? どうしてこんな場所にいるの? 今まで何をしていたの?)
いくら考えてもわからない。すべての鍵を握るかけら、桃香がどんな存在かを教えてくれる一番大切なかけらががあるはずなのに、それが一向に見つからない。見つかる気配もない。
桃香はとうとう足を止めた。
頭上に黒い小さな鳥の群れが現れた。桃香の真上を、円を描くように飛び続けている。ここに来てから初めて目にする生き物だったが、その様は獲物の死を待つハゲタカにも似て、和むどころかぞっとした。
それらはまるで、桃香が歩き続ける気力を失って倒れるのを待っているようなのだ。彼らに襲われたとき、桃香という存在はすべて消えてなくなってしまうのだろうか。そして、それが「死」というものなのだろうか。
(それでもかまわない。いっそ、消えてしまった方が……)
不意に浮かんだ思いのかけらに、桃香は自分で驚いた。なぜそんなことを思うのだろう。黒い鳥たちが不吉な声を上げて騒ぎ出す。と、胸の奥にピシッと痛みが走った。
(わたしは、取り返しのつかないことをしてしまった?)
胸の痛みがじわじわと広がる。桃香の脳裏に赤い車の残像がちらつく。
(そうだわ……然さん!)
血を流して倒れている彼の姿がまざまざと蘇る。桃香はもう立っていられなかった。鳥たちの視線が桃香の上に落ちてくる。
そのとき、優しくのびやかなさえずりが聞こえた。桃香は思わず顔を上げた。一回り大きな黒い鳥がすーっと高いところから降りてくる。新たに現れた鳥に不吉な空気はなく、大きく旋回しながらしきりに何かをさえずっている。その声は鳥の鳴き声でありながら何かを語りかけているようにも聞こえた。桃香の心が少しだけ軽くなる。真上でたむろしていた鳥たちは一斉に飛び去った。
桃香が立ち上がると同時に大きな黒い鳥はふっと姿を消した。次の瞬間、桃香の前には黒いドレスに身を包んだ女性が立っていた。クセの強い髪を短く切っていて、卵形の顔のラインがとても綺麗に浮き出て見える。小柄で可愛らしい印象の女性だった。
「あなたは?」
しかし、黒服の女性は桃香を遮って、一声告げた。
「あなたはここに居るべき魂ではありません」
「魂? わたしが?」
「そうです。ここは、あの世とこの世のはざまですから、生身の身体は入れないんです」
女性は桃香の後ろを指した。振り返ると、いつの間にか遠くに川が見えている。川の向こうには、ぼんやりとかすんではいるものの明るく彩りに溢れた世界が見えていた。
「あれは冥界。現世で寿命を迎えた魂が行く場所です」
「ずいぶんと居心地のよそさうな場所なのね」
「でも、もしもあなたが一度そこに足を踏み込めば、二度と今の生に戻れません。それでもいいなら今からご案内しますけど?」
桃香は少し迷いつつ、今度は女性のはるか後ろにいつもの見慣れたドームを見つけた。中に入れば、作り物の空と完全に調整された空気に取り囲まれるであろう、小さな、でも、そこに桃香の暮らしのすべてが入っている世界。
「もし、あなたが望むならそちらに帰ることもできます」
「ここが二つの世界のはざまだなんて!」
桃香は不思議そうにあたりを見回した。あまりにも桃香の知っている〈外〉に似ている。すると黒服の女性が説明した。
「このはざまの地は見る人によって景色が変わります。その人の記憶を反映しますから」
「あなたはどんな人なの?」
「私は、魂を回収する仕事を請け負った者です」
「ということは……。わたしを迎えに来たのね」
「そうではないんです。貴方はまだ回収の許可が下りてませんから」
「許可ですって?」
「ええ、これ以上はお話しできませんけど、あちらに、許可を下ろす方がいらっしゃるんです」
女性は冥界を指した。
「私はその方から伝言を預かってきました。あなたはどちらに進むか自分で選びなさい、とのことですよ」
桃香のまわりの景色が変わった。
彼女は川のほとりに立っていた。ゆるやかな流れに一枚、また一枚とピンク色の花びらを散らしてゆく。彼女は1本の桃の木であり、その時は何の疑問も違和感もなく風景の中に溶け込んでいた。
対岸に若い男女と、幼い女の子がひとり、すわって何かしゃべっている。それまで悲しげに膝を抱えていた女の子がこちらを向く。桃香ははっとした。
(杏樹?)
顔かたちは違っているのに、ぽつりぽつりと年上の女性に話しかけたり時折笑顔を見せたりする様子が、妹の杏樹を思い出させた。土手の上を自転車や古い形の車が走ってゆく。乗り物の形だけでなく、その場の空気感が、大昔に撮影されたという「映画」でも見ているようだった。
(わたしはいったい何を見てるの?)
笛の音が聞こえてきたのはその時だった。男性がフルートを持って、流れるような細かいアルペジオを奏でている。桃香はその調べにうっとりとなる。フルートから流れ出る音の連なりは、ただ水の美しさを再現している、というよりは目の前を流れる川の流れそのものだった。こんな風に吹ける吹き手といえば、彼女が知る限り然也ぐらいしかいない。実際、目の前の彼は然也なのだと、そう気づいたとたん、切なさで胸の奥が痛み出し、桃香をとりまく風景が変化した。
同じ川のほとり、蝉時雨が降り注ぐ中に、桃香はいた。つくつく法師が夏の終わりを惜しむように鳴き立てている。川面が強い日差しを反射して、何もかも真っ白に見えるほどだ。すぐ左手に橋がかかっていて、そこの真ん中にさっきの若い女性がひとり、黒い衣装に身を包み、ひどく思い詰めた顔でたたずんでいた。それがもう一人の桃香だとすぐにわかった。なぜなら彼女の悲しみとやり場のない怒りが鮮明に伝わってくるのであり、その悲しみは、まさに今の桃香が抱えている思いそのものだからだ。自分を根底から支えてくれる大切な人を失ってしまったという、身を裂かれるほどの苦しい思い。
「然さん……!」
桃香の記憶の封印がすべて解けた。動画を逆再生するかのように、これまで彼女が魂の中に積み重ねてきた時間が逆流してゆく。
一時間前、昨日、一年前、物心がつく前、生まれる前、死ぬ前……。彼女はこれまでに経験した何もかもを思い出した。今、川の向こうで繰り広げられている風景も彼女の経験の一部であり、彼女はこれまでに何度も然也を失っていたのだ。
何度も繰り返される生の間、どれほどの人とかかわり、愛し、憎んだだろう。その中心にはいつも然也がいた。一度や二度の出会いではないし、必ずしも恋人同士とは限らなかったが、どんな出会いにしろ、彼の心を捕らえるのは難しくて、やっと捕まえたと思うと、いつもすぐに手の届かないところへ行ってしまうのだった。そのたびに桃香は後悔した。なぜもっと早く彼に自分の思いを伝えておかなかったのかと。しかし、その理由もわかっていた。彼女はいつも恐れていたのだ。拒絶されることを。
彼女は優しく賢い女性として生を受けることが多かった。年下から慕われ、年上からは信頼され、ひとにぎりの同年代からは嫉妬を受けるようなタイプだ。安定した生活の中に飛び込んできて、彼女の価値観をひっかきまわしてゆくのが彼だった。でも、彼女にとって、それは不快ではなく、むしろ新鮮で世の不思議や広さを教えてくれる貴重なきっかけだった。何より彼の深い感性にひきつけられた。人の忌み嫌うものにまで美しさを見いだす目。美しいものからメロディを引き出す心の耳。
しかし、彼女が好意を持ったところで、それが相手に通じるのか、受け入れられるのか。いつもその自信がなかった。そしてようやくのことで互いの気持ちが通じ合いそうになると、決まって彼は姿を消してしまうのだ。その繰り返し。
そして今も。
桃香は最後に見た彼の姿を思い出し、絶望のあまり顔を両手で覆って座り込んでしまう。
(どうしていつもこうなってしまうの……。同じ後悔を繰り返すの……)
「貴方は、何度もその悲しみを繰り返してきたんですね。私よりもずっと長く」
黒服の女性がそっと桃香に語りかける。桃香をまっすぐに見つめるその目はどこか然也に似ていた。それで桃香は余計に哀しくなる。
「あなたは、私の知っている人に似てる」
「大切な人、ですね、きっと」
「ええ、とても。でも私のせいで大けがをさせてしまったの。今も生きているかどうか」
桃香は顔を伏せた。
「あなたに彼の魂がどうなっているか、なんて聞いてもわからないわよね」
黒服の女性はつっと目を伏せた。
「もし、知っていたとしても私からは何もお教えすることはできません。残念ですけど」
「そうよね……」
荒野の中で立ちつくす桃香のまわりを風がうなりをあげて、くるくると舞う。ある時は甲高く叫ぶように、ある時は低くうなるように。
「私はもう、何度も彼を失った世界で生きてきて、もうこれ以上は嫌なの」
桃香は弱々しくつぶやいた。黒服の女性は眉を寄せたまま、しばらく悲しげに桃香を見守っていた。
「一つだけ忠告させてくれますか。本来は私が貴方の選択に口を出すことは許されてないのですが」
桃香は静かにうなづいた。
「逃げたら絶対に後悔します。私がそうでしたから」
「あなたが?」
女性は無言でうなづいた。彼女の眼の奥に深い悲しみが見える。
(つらい業を背負っているのはわたしだけじゃない。そんなことはわかってる。だけど……)
また、ひとしきり風がうなりをあげて吹きぬける。と、黒服の女性の顔がにわかに明るくなった。
「大丈夫ですよ。風の音に耳を傾けてみてください」
「風の音?」
桃香は耳を済ますが、その時にはもう風は止んでいた。
「この世界に外から風が吹き込んでいます。じゃ、私は他に仕事があるのでもう行きます」
「待って、わたしはまだ……」
「だいじょうぶ、貴方の気持ちはすぐに決まりますから」
黒いドレスをまとった女性はにこっと微笑むと、すうっと空気に溶けるようにして消えてしまい、あとには紫陽花の花が一房残された。灰色に沈んだ風景の中で、それだけがほんのりと青く光を放っている。桃香は花を拾い上げた。かすかな思念が伝わってきた。
(陽花さん……?)
再び風が鳴る。桃香は、その音に耳を傾けた。音の変化は少しずつリズムを伴い始め、やがて旋律らしきものを型作る。桃香ははっと目を閉じ、聞きとることに集中した。風の音は少しずつ懐かしい調べに変化してゆく。
(そう……。そうだったのね! あなたはさっきからずっとそこに居て私と陽花さんを見守っていたのね)
それは古いスコットランドの民謡だった。恋人に無理難題を与えてクリアできれば真の恋人として認めようという内容であり、この曲がスカボロー・フェアと呼ばれ、盛んに演奏されたのは遠い昔の話だ。
そして二人が初めて出会ったときにもこの曲は奏でられた。彼が、現世から桃香を呼びに来ていることに間違いはなかった。そうだ、こんなはざまの地にまで音を届けるなんて芸当は彼にしかできない。
桃香の目から涙があふれる。彼女はすぐに手の甲で涙をぬぐい、自分の戻るべき世界へと走り出した。
"Then, she'll be a true love of mine..."
「姉さんが目を覚ましたの!」
杏樹が勢いよくドアを開けて病室に飛び込んできた。然也はほっとしてオカリナを下ろした。今さらのように手術の跡がズキズキと痛み出す。
「おいおい、もう少し上品に開けてくれよ。でないと傷にひびく」
「あれ? 然さん、吹いてたんだ」
「ああ、ものは試しと思ってな」
然也は傍らの椅子に掛けている音無をちらりと見た。彼もほっとしたのか、穏やかな笑みで杏樹を見やる。
「それで桃香さんの様子はどうです?」
「あ、はい。さっき起きたばかりだから、まだあんまり動けないんですけど、すぐに体調はもどるみたいです」
「そうか……」
然也はほっと息をついて、目を閉じた。言いようのない安心感とともにひどい疲れが押し寄せてきて言葉を流し去ってしまう。本当はオカリナを長時間吹き続けるほどの体力はまだない。それを気力で強引に補いつつ奏でていたのだった。
「じゃ、オレはしばらく寝るから」
然也は上げていたベッドの角度を元に戻しながら毛布をかぶる。本当は背中を向けたいところだったが、それをするにはまだ傷が痛む。杏樹は怪訝な顔をしつつも、然也がしんどそうなのを見て取って退散した。
「だいぶ無理したようですが、具合はどうです?」
音無が心配そうに言葉をかけてきた。
「多少は寿命を削ったような気もしますけど、彼女はちゃんと戻ってきたし、このぐらいどうってことないですよ」
「そうですか……。でもゆっくり休むに越したことはないですね」
立ち上がった音無に然也は言った。
「このオカリナ、ずっとオレが持っててもいいですか」
彼がさっきまで吹いていたのは、音無が七夕イベントの時に使ったものだ。
「よほど気に入りましたか?」
「そうでなくて、こいつははっきり言って危険物です。今回みたいな使い方以外には役立ちそうにないですから」
「なるほどね。もともと君が作ったものですし、好きにすればいいでしょう」
「それはどうも」
「ああ、たまにはその笛を奏でてやって下さい」
「なぜ?」
「その音を聞いていると、どうしたわけか陽花をすぐ近くに感じるんですよ」
音無は静かにドアを閉めて出て行った。然也はひとしきりそのオカリナを手の上でもてあそび、それから枕元に置いた。
それから三秒後、彼は久しぶりの深い眠りへと落ちていった。
桃香の見渡す限り、風の吹きすさぶ荒野が広がっていた。かつて人が暮らしていたという痕跡がところどころに見えるがために、かえって侘しさがつのる風景だった。
風化して崩れ落ちたコンクリの建物、砂ぼこりがたまって舗装面が見えなくなってしまった道路。大地と溶け合ってしまい、陥没しているところもある。
生き物の気配はいっさいなかった。植物さえ生えていない。空はどこまでも灰色で、それはドームの天井に描かれた偽物なのか、あるいは本物の空を覆っている決して晴れない雲なのか、その区別もつかなかった。人の暮らしを保証してくれるはずのドームはどこにも見えない。あるいは目の前の廃墟がドームの痕跡だとでもいうのか。桃香は身震いした。
(これは、夢……よね?)
夢にしてはちゃんと防塵コートに身を包んいるのがリアルだけども、と思いつつ、マスクを引き上げ、半ば本能的に歩き始める。頭の中は霞がかったようにぼんやりしていて、大切な何かがあるのに思い出せない。ここがどこで、今がいつなのかもわからない。それはもどかしさを通り越し、ヒリヒリするような苛立ちを覚えるほどだった。それをどうにかするには歩くしかない。桃香はひたすら足を進めた。
しかし。
(それにしても、いつまで彷徨うのかしら、私は……?)
歩いても歩いても同じような荒れ果てた景色が続く。日が暮れることもなければ夜が明けることもない。どれだけ歩いても身体は疲れず、頭の中を果てのない疑問がぐるぐると回るばかりだ。
(私は誰? どうしてこんな場所にいるの? 今まで何をしていたの?)
いくら考えてもわからない。すべての鍵を握るかけら、桃香がどんな存在かを教えてくれる一番大切なかけらががあるはずなのに、それが一向に見つからない。見つかる気配もない。
桃香はとうとう足を止めた。
頭上に黒い小さな鳥の群れが現れた。桃香の真上を、円を描くように飛び続けている。ここに来てから初めて目にする生き物だったが、その様は獲物の死を待つハゲタカにも似て、和むどころかぞっとした。
それらはまるで、桃香が歩き続ける気力を失って倒れるのを待っているようなのだ。彼らに襲われたとき、桃香という存在はすべて消えてなくなってしまうのだろうか。そして、それが「死」というものなのだろうか。
(それでもかまわない。いっそ、消えてしまった方が……)
不意に浮かんだ思いのかけらに、桃香は自分で驚いた。なぜそんなことを思うのだろう。黒い鳥たちが不吉な声を上げて騒ぎ出す。と、胸の奥にピシッと痛みが走った。
(わたしは、取り返しのつかないことをしてしまった?)
胸の痛みがじわじわと広がる。桃香の脳裏に赤い車の残像がちらつく。
(そうだわ……然さん!)
血を流して倒れている彼の姿がまざまざと蘇る。桃香はもう立っていられなかった。鳥たちの視線が桃香の上に落ちてくる。
そのとき、優しくのびやかなさえずりが聞こえた。桃香は思わず顔を上げた。一回り大きな黒い鳥がすーっと高いところから降りてくる。新たに現れた鳥に不吉な空気はなく、大きく旋回しながらしきりに何かをさえずっている。その声は鳥の鳴き声でありながら何かを語りかけているようにも聞こえた。桃香の心が少しだけ軽くなる。真上でたむろしていた鳥たちは一斉に飛び去った。
桃香が立ち上がると同時に大きな黒い鳥はふっと姿を消した。次の瞬間、桃香の前には黒いドレスに身を包んだ女性が立っていた。クセの強い髪を短く切っていて、卵形の顔のラインがとても綺麗に浮き出て見える。小柄で可愛らしい印象の女性だった。
「あなたは?」
しかし、黒服の女性は桃香を遮って、一声告げた。
「あなたはここに居るべき魂ではありません」
「魂? わたしが?」
「そうです。ここは、あの世とこの世のはざまですから、生身の身体は入れないんです」
女性は桃香の後ろを指した。振り返ると、いつの間にか遠くに川が見えている。川の向こうには、ぼんやりとかすんではいるものの明るく彩りに溢れた世界が見えていた。
「あれは冥界。現世で寿命を迎えた魂が行く場所です」
「ずいぶんと居心地のよそさうな場所なのね」
「でも、もしもあなたが一度そこに足を踏み込めば、二度と今の生に戻れません。それでもいいなら今からご案内しますけど?」
桃香は少し迷いつつ、今度は女性のはるか後ろにいつもの見慣れたドームを見つけた。中に入れば、作り物の空と完全に調整された空気に取り囲まれるであろう、小さな、でも、そこに桃香の暮らしのすべてが入っている世界。
「もし、あなたが望むならそちらに帰ることもできます」
「ここが二つの世界のはざまだなんて!」
桃香は不思議そうにあたりを見回した。あまりにも桃香の知っている〈外〉に似ている。すると黒服の女性が説明した。
「このはざまの地は見る人によって景色が変わります。その人の記憶を反映しますから」
「あなたはどんな人なの?」
「私は、魂を回収する仕事を請け負った者です」
「ということは……。わたしを迎えに来たのね」
「そうではないんです。貴方はまだ回収の許可が下りてませんから」
「許可ですって?」
「ええ、これ以上はお話しできませんけど、あちらに、許可を下ろす方がいらっしゃるんです」
女性は冥界を指した。
「私はその方から伝言を預かってきました。あなたはどちらに進むか自分で選びなさい、とのことですよ」
桃香のまわりの景色が変わった。
彼女は川のほとりに立っていた。ゆるやかな流れに一枚、また一枚とピンク色の花びらを散らしてゆく。彼女は1本の桃の木であり、その時は何の疑問も違和感もなく風景の中に溶け込んでいた。
対岸に若い男女と、幼い女の子がひとり、すわって何かしゃべっている。それまで悲しげに膝を抱えていた女の子がこちらを向く。桃香ははっとした。
(杏樹?)
顔かたちは違っているのに、ぽつりぽつりと年上の女性に話しかけたり時折笑顔を見せたりする様子が、妹の杏樹を思い出させた。土手の上を自転車や古い形の車が走ってゆく。乗り物の形だけでなく、その場の空気感が、大昔に撮影されたという「映画」でも見ているようだった。
(わたしはいったい何を見てるの?)
笛の音が聞こえてきたのはその時だった。男性がフルートを持って、流れるような細かいアルペジオを奏でている。桃香はその調べにうっとりとなる。フルートから流れ出る音の連なりは、ただ水の美しさを再現している、というよりは目の前を流れる川の流れそのものだった。こんな風に吹ける吹き手といえば、彼女が知る限り然也ぐらいしかいない。実際、目の前の彼は然也なのだと、そう気づいたとたん、切なさで胸の奥が痛み出し、桃香をとりまく風景が変化した。
同じ川のほとり、蝉時雨が降り注ぐ中に、桃香はいた。つくつく法師が夏の終わりを惜しむように鳴き立てている。川面が強い日差しを反射して、何もかも真っ白に見えるほどだ。すぐ左手に橋がかかっていて、そこの真ん中にさっきの若い女性がひとり、黒い衣装に身を包み、ひどく思い詰めた顔でたたずんでいた。それがもう一人の桃香だとすぐにわかった。なぜなら彼女の悲しみとやり場のない怒りが鮮明に伝わってくるのであり、その悲しみは、まさに今の桃香が抱えている思いそのものだからだ。自分を根底から支えてくれる大切な人を失ってしまったという、身を裂かれるほどの苦しい思い。
「然さん……!」
桃香の記憶の封印がすべて解けた。動画を逆再生するかのように、これまで彼女が魂の中に積み重ねてきた時間が逆流してゆく。
一時間前、昨日、一年前、物心がつく前、生まれる前、死ぬ前……。彼女はこれまでに経験した何もかもを思い出した。今、川の向こうで繰り広げられている風景も彼女の経験の一部であり、彼女はこれまでに何度も然也を失っていたのだ。
何度も繰り返される生の間、どれほどの人とかかわり、愛し、憎んだだろう。その中心にはいつも然也がいた。一度や二度の出会いではないし、必ずしも恋人同士とは限らなかったが、どんな出会いにしろ、彼の心を捕らえるのは難しくて、やっと捕まえたと思うと、いつもすぐに手の届かないところへ行ってしまうのだった。そのたびに桃香は後悔した。なぜもっと早く彼に自分の思いを伝えておかなかったのかと。しかし、その理由もわかっていた。彼女はいつも恐れていたのだ。拒絶されることを。
彼女は優しく賢い女性として生を受けることが多かった。年下から慕われ、年上からは信頼され、ひとにぎりの同年代からは嫉妬を受けるようなタイプだ。安定した生活の中に飛び込んできて、彼女の価値観をひっかきまわしてゆくのが彼だった。でも、彼女にとって、それは不快ではなく、むしろ新鮮で世の不思議や広さを教えてくれる貴重なきっかけだった。何より彼の深い感性にひきつけられた。人の忌み嫌うものにまで美しさを見いだす目。美しいものからメロディを引き出す心の耳。
しかし、彼女が好意を持ったところで、それが相手に通じるのか、受け入れられるのか。いつもその自信がなかった。そしてようやくのことで互いの気持ちが通じ合いそうになると、決まって彼は姿を消してしまうのだ。その繰り返し。
そして今も。
桃香は最後に見た彼の姿を思い出し、絶望のあまり顔を両手で覆って座り込んでしまう。
(どうしていつもこうなってしまうの……。同じ後悔を繰り返すの……)
「貴方は、何度もその悲しみを繰り返してきたんですね。私よりもずっと長く」
黒服の女性がそっと桃香に語りかける。桃香をまっすぐに見つめるその目はどこか然也に似ていた。それで桃香は余計に哀しくなる。
「あなたは、私の知っている人に似てる」
「大切な人、ですね、きっと」
「ええ、とても。でも私のせいで大けがをさせてしまったの。今も生きているかどうか」
桃香は顔を伏せた。
「あなたに彼の魂がどうなっているか、なんて聞いてもわからないわよね」
黒服の女性はつっと目を伏せた。
「もし、知っていたとしても私からは何もお教えすることはできません。残念ですけど」
「そうよね……」
荒野の中で立ちつくす桃香のまわりを風がうなりをあげて、くるくると舞う。ある時は甲高く叫ぶように、ある時は低くうなるように。
「私はもう、何度も彼を失った世界で生きてきて、もうこれ以上は嫌なの」
桃香は弱々しくつぶやいた。黒服の女性は眉を寄せたまま、しばらく悲しげに桃香を見守っていた。
「一つだけ忠告させてくれますか。本来は私が貴方の選択に口を出すことは許されてないのですが」
桃香は静かにうなづいた。
「逃げたら絶対に後悔します。私がそうでしたから」
「あなたが?」
女性は無言でうなづいた。彼女の眼の奥に深い悲しみが見える。
(つらい業を背負っているのはわたしだけじゃない。そんなことはわかってる。だけど……)
また、ひとしきり風がうなりをあげて吹きぬける。と、黒服の女性の顔がにわかに明るくなった。
「大丈夫ですよ。風の音に耳を傾けてみてください」
「風の音?」
桃香は耳を済ますが、その時にはもう風は止んでいた。
「この世界に外から風が吹き込んでいます。じゃ、私は他に仕事があるのでもう行きます」
「待って、わたしはまだ……」
「だいじょうぶ、貴方の気持ちはすぐに決まりますから」
黒いドレスをまとった女性はにこっと微笑むと、すうっと空気に溶けるようにして消えてしまい、あとには紫陽花の花が一房残された。灰色に沈んだ風景の中で、それだけがほんのりと青く光を放っている。桃香は花を拾い上げた。かすかな思念が伝わってきた。
(陽花さん……?)
再び風が鳴る。桃香は、その音に耳を傾けた。音の変化は少しずつリズムを伴い始め、やがて旋律らしきものを型作る。桃香ははっと目を閉じ、聞きとることに集中した。風の音は少しずつ懐かしい調べに変化してゆく。
(そう……。そうだったのね! あなたはさっきからずっとそこに居て私と陽花さんを見守っていたのね)
それは古いスコットランドの民謡だった。恋人に無理難題を与えてクリアできれば真の恋人として認めようという内容であり、この曲がスカボロー・フェアと呼ばれ、盛んに演奏されたのは遠い昔の話だ。
そして二人が初めて出会ったときにもこの曲は奏でられた。彼が、現世から桃香を呼びに来ていることに間違いはなかった。そうだ、こんなはざまの地にまで音を届けるなんて芸当は彼にしかできない。
桃香の目から涙があふれる。彼女はすぐに手の甲で涙をぬぐい、自分の戻るべき世界へと走り出した。
"Then, she'll be a true love of mine..."
「姉さんが目を覚ましたの!」
杏樹が勢いよくドアを開けて病室に飛び込んできた。然也はほっとしてオカリナを下ろした。今さらのように手術の跡がズキズキと痛み出す。
「おいおい、もう少し上品に開けてくれよ。でないと傷にひびく」
「あれ? 然さん、吹いてたんだ」
「ああ、ものは試しと思ってな」
然也は傍らの椅子に掛けている音無をちらりと見た。彼もほっとしたのか、穏やかな笑みで杏樹を見やる。
「それで桃香さんの様子はどうです?」
「あ、はい。さっき起きたばかりだから、まだあんまり動けないんですけど、すぐに体調はもどるみたいです」
「そうか……」
然也はほっと息をついて、目を閉じた。言いようのない安心感とともにひどい疲れが押し寄せてきて言葉を流し去ってしまう。本当はオカリナを長時間吹き続けるほどの体力はまだない。それを気力で強引に補いつつ奏でていたのだった。
「じゃ、オレはしばらく寝るから」
然也は上げていたベッドの角度を元に戻しながら毛布をかぶる。本当は背中を向けたいところだったが、それをするにはまだ傷が痛む。杏樹は怪訝な顔をしつつも、然也がしんどそうなのを見て取って退散した。
「だいぶ無理したようですが、具合はどうです?」
音無が心配そうに言葉をかけてきた。
「多少は寿命を削ったような気もしますけど、彼女はちゃんと戻ってきたし、このぐらいどうってことないですよ」
「そうですか……。でもゆっくり休むに越したことはないですね」
立ち上がった音無に然也は言った。
「このオカリナ、ずっとオレが持っててもいいですか」
彼がさっきまで吹いていたのは、音無が七夕イベントの時に使ったものだ。
「よほど気に入りましたか?」
「そうでなくて、こいつははっきり言って危険物です。今回みたいな使い方以外には役立ちそうにないですから」
「なるほどね。もともと君が作ったものですし、好きにすればいいでしょう」
「それはどうも」
「ああ、たまにはその笛を奏でてやって下さい」
「なぜ?」
「その音を聞いていると、どうしたわけか陽花をすぐ近くに感じるんですよ」
音無は静かにドアを閉めて出て行った。然也はひとしきりそのオカリナを手の上でもてあそび、それから枕元に置いた。
それから三秒後、彼は久しぶりの深い眠りへと落ちていった。
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