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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ

〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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9月末日づけで、公募作品をひとつ、送り出してきた。50枚の作品。
9月は、15日に童話もひとつ出しているので、ひと月のうちに二つ。さらに前半に長編の下書きをあげているので、三作品、計200枚ぐらい書いたのかな。自分で言うのもなんだけど、頑張ったな。合間にはDVDやコミックを結構見てるし。
これが実れば本当にすごいよね…(以下略)

これで今年書いた枚数は、400+100+30+200+100+150+7+50で、1037枚? 
よしよし。真面目に仕事……じゃない、修行してるぞ。

って、たまには自分で自分を誉めないとね。へたれちゃうんですよ。
よし、今日から秋。来春の公募に向けて動くぞー。
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連載おわっちゃったなー。
いつまで引っ張っていてもしかたないから、やや強引にこの夏で終わらせてしまったけど、やっぱり寂しいもんだ。

終わったから、目次ページを作っておかなくちゃ。
あとで自分が検索するとき便利v
数日前、ついったーをやっていて面白いと思ったことがある。
「最近の若者が苦しんでいる原因のひとつに、〈夢〉を実現しなくてはいけないというプレッシャーがある」というコメントがあったので、それに反応して「本屋に行くと〈夢を叶える〉関連の本が大量にある」というつぶやきを残したら、これに違うフォロワーさんが反応して、今の世の中で夢の実現にうるさいのは「会社の成果主義の私生活版」かもしれないというコメントを頂いた。このコメントは目から鱗、クリティカルヒットだった。

ああそうか、今はそんな世の中なんだなぁと、興味深く実感する。
物質主義に反抗する動きは私が子どものころ(高度経済成長期直後)からあったわけで、次第に物質的じゃないもの(人の心に関連するものや世界)がもてはやされ、重視されるようになる。するとそこにマーケットができたとばかり、心理学関連の本や精神論、人生に対する考え方などが商品となって売り買いされるようになる。本来、物質的じゃなかったものが、商業ベースに乗ることで物質化してしまった。
今じゃ「夢」まで商品だ。いや、その前段階の「夢を持つ」方法までお金を払って手に入れる時代だ。

夢は自発的に湧いてくるものだし、必ずしも明確に夢を描いて実現しなくちゃいけないわけでもない。
なのに強制されたらつらいよなぁ。誰でもいい人生を送りたいとは思っているし、夢を抱いた以上は叶えたいけど、「それならこの通りにしなさい」とマニュアルをもらうのもなんだかなぁと思うのだった。

もうひとつ(続く)、
ようやく最後までたどりつきました。3年がかりです。やれやれ。

結末は古いバージョンとは少し違ってきましたが、落ち着くべき所に落ち着いたという意味では変わってません。らせん階段をぐるっと上って、同じ立ち位置に見えてもじつは少しだけ高い位置に立っているという感じで。

どうでもいいことなんですが、書いててチューリップの「青春の影」が何度も頭の中をよぎり、さらにこの小話シリーズの世界設定は「2222年ピクニック」の歌詞「2222年、空がまだ青いなら〜」からもらっていたなと、懐かしく思い出したのでした。
アニメ監督の今敏氏が亡くなった。昨日のことだ。
ツイッターのTLは今日の明け方からこのニュースで騒然としていた。なにしろ、今監督は一昨日までごく普通にツイッターでつぶやいていたのだから。
(もちろん今になって再読すると、ああ、あのつぶやきはそういう意味だったのか、と悲しく納得することが多いのだが)
ずっと伏せられていたのだが、今監督は今年の5月に末期ガンを宣告され、自宅で最期を迎えたいと半ば強引に病院を出てきて自宅療養に切り替えていたという。7月下旬に一度ピンチを迎えたが、その時は奇跡的に乗り切って、自宅に戻ってからツイッターを開始したようだ。たぶん、その頃に遺言をしたためたのだろう。

今日の夕方になって公式ブログに「さようなら」というエントリーで今氏の遺言が掲載された。あらかじめそういう段取りが組んであったようだ。
遺言の内容は、病の経緯とそれを伏せて置いた理由のほか、まわりの人たちへの感謝と、己の人生に対する満足感でいっぱいだった。決して長くはないけれど、完全燃焼の人生だったことがうかがわれる。
この遺言は、遺言であるにもかかわらず、人生に対する希望が溢れそうになっている。きっと、生きる勇気をもらった人が大勢いるに違いない。

自らの死でさえイベントとしてプロデュースできてしまう今監督の職人意識はすごい。あるいは、そうでもしなければ、47歳の働き盛りに人生に格好良く別れを告げるなんてできなかったのかもしれない。
今度は桃香視点のバージョンなわけですが、この期におよんで新しい人が登場してしまうという……。しかも、最初からそこにいたかのように、ごく自然に姿形が見えてきたので自分で笑ってしまいました。
物語というのは最後まで書いてみないとわからないものです。

時々、コレいいなと思って自分の楽しみのためだけに読むコミックがある。

お気に入りのキャラがいたりすると、彼とか彼女に会いたくて読むわけだけど、そういう時って、作り手の思うつぼにはまってるんだよなー、手のひらで遊ばせてもらってるんだよなー、どうせ人気が出るように計算して作られたキャラだし、と後から醒めた頭で思う。

遊園地といっしょだよね。現実を忘れてひととき夢を見させてもらう、みたいな。

ただね、いったん醒めだすと、どんなにいい話(泣ける話や感動できる話)を読んでもしょせん作り物だからと、つまらなく思えてきて、もうコミックや物語を読むのやめようかなという気分になる。

「いい話」とかカッコいいキャラの出てくる話を読んでると、その場は楽しいんだけど、心におやつを与えているだけのような気分になって後味が悪い。そういう話が売れるということは、心のおやつを欲する人たちがそれだけ多いということになるなぁと思い至って、もちろんそういう話を読むのは悪いことではないんだけど、店頭に並ぶ量を見るとなんかやばいなぁとか思ってしまうのだった。
前編と後編の間にはさまる間奏曲みたいなものです。

とうとう来るべきものが来たって感じです。
一番核になる部分なので、思いの外長くなりました。それで三分割しました。

ええ、ブログのタイトルはこの小話から引っ張ってきました。
ここはそういう場所なんです。
ええと、ここからが新しく作り直した話ですね。

一度は主人公たちにに遠いところへ飛んでもらわないといけないので、ちょいとアクシデントを起こしてみました。
実際の生活ではこんなに都合よくことは運びませんが、それはそれ、物語ですから。
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