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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

〈連絡先〉
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〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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先日、久しぶりに懐かしい公園を訪れた。過去、様々な状況で様々な関係の人と訪れた場所。
子ども時代を過ごした地域は壊滅的に変わってしまったけれど、その公園は昔の面影をたっぷり残したまま現在に至る。心の故郷のひとつだ。

その公園を、今現在大切にしている友人と歩けることの幸いをひしひしと感じた。

その数日後、ちょっと調べたいことがあって、昔の写真を引っ張り出した。OL時代とか中高生時代とか、ほぼ黒歴史時代の写真だ。そこに写る若くてきれいなお嬢さんを見て思わず「あんた誰?」と呟いてしまった。自分ではないか…。自分で自分が好きになれず、鏡を見るのが怖くてもがいていた頃の姿だ。

今でも鏡は正直苦手だ。でもあの頃よりは幾分マシな気持ちで自分の姿を見ることができるし、自分の姿にも違和感を感じなくなっている。オバサン特有の開き直りが身についてきたと言われればその通りかもしれないし、多少は人生の荒波を越えてきたという自覚がそうさせているのかもしれない。

何はともあれ、多少草臥れてはいるが(白髪とシワが増え、肌の張りは失われ…)、今の自分の姿の方が好きだし、そう思えるだけの内容を伴った年月を重ねることができてホッとしている。

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本日の記事は完全に毒吐き。だいぶ疲れてます。
油断してたら再び広告が出ていた。どんだけ放置プレイが好きなのか。
(別に好きでやっているわけじゃないですが)

今回は庭木の話。
基本的にお仕事というのは、面倒くさくて大変で、そのくせ見返りはほとんどないという代物(もちろんサラリーやボーナスという形では手にしているけれども)。だけど、ふっと気づくと「これがご褒美かも」という事態に遭遇したりする。ちょっとした言葉や気持ちのやり取りに和んだり、大変な事態が収束してホッと一息ついたり、仕事の合間にいいモノを見つけたり。

先日は、仕事をしていたからこそよい風景……というか「木」に出会った。
と、少しばかり仰々しいタイトルをつけてみたが、今年のハードさを考えれば、仰々しくもなんともない気がする。
この年末は2件の忘年会に出席。ひとつは(なぜか)前の職場の非公式ver忘年会。もうひとつは今の職場の忘年会(なんと幹事担当)。
今年は自分への誕生日プレゼント代わりに、某ステルスメジャーのコンサートを見に行くことにした。これまで何度も画面越しにライブの中継をみては「ふぉぉぉ」とうなっていたのが、ついにリアルの歌声を聞くことになったのだ。
あまり訳の分からない話ではあるが、数日前、いきなりパソコンが不調になった。
最初はネットにつながらない
→ダンナ氏にいじってもらい、とりあえず繋がるように
→OSのライセンス認証を求められるが、どうやっても認証できない
→クリーンインストール数回及びシステムファイルチェッカーで修復を試みる
→どうしてもライセンス認証に成功しない
→いっそ購入時の初期状態に戻すか、でもちょっと待て
→Win7時代のバックアップデータを使ってみよう
→成功\(^o^)/

成功と同時に立ち現れたデスクトップを見て、思わず震えが来た。クリーンインストールによって失われたはずのメールデータ、プリンターを含む各種デバイスの設定、物書きソフト等等が復活したのだ。しかも3年前の夏の日そのままに、アウトラインプロセッサを開けば、当時取り組んでいた物語が書きかけのまま残っている。バックアップデータの中には、文字通り当時の頭の中が凍結保存されていたのだった。

否応なく三年前の感情や記憶が呼び戻され、それは胸をえぐるような懐かしさと、ほんの少しの残酷さを連れてきた。頭の中では、瞬時に三年の間に得たものと失ったものを比較し、どちらに針が触れているか判定してしまう。

もしもこの偶然が、自分が本来進むべき方向を示唆しているのだと考えることができるなら、どれほど嬉しいだろう。それとも、考え方が逆で、自分の魂が進みたがっている道が目に見える形を取った、というべきだろうか。

折しも今夜は美しい満月の夜である。月の光は人の狂気を呼び覚ますという。物語を書くという行為は、ある意味、狂気をいかに人目に晒せる形にもってゆくかという戦いにほかならない。
もうムリとか無謀、とか思いながら今のオケで難曲に挑戦し続けている日々だが、その理由として、そこがホームオケとして感じられるようになったから、というのがある。ホームというからには居心地の良さがあるわけで、居心地が良いというのは、つまりそこに集う人たちと気持ちよく付き合えるということだ。

現在のビオラパートは概ねそんな雰囲気で、中でもとくに一人仲の良い人がいる。彼女とは今のオケで出会い、同じ画家が好きだということで、たちまち意気投合した。それ以来、ほとんど同じプルートで同じ楽譜をシェアして難曲に挑んできた。お互い、家庭事情の大変な時も重なっているし、いっしょに弾いたり、ご飯を食べながら悩みを聞いたり、学生オケ再び、みたいな雰囲気。

そんなノリで先日のボランティア演奏の折にも、休憩時間にお揃いのTシャツを着ている記念で、ふざけて一緒に写真を撮っていたら(二人で一つのハートを作るやつ)、ビオラトップに「ほんっとに楽しそうだねえ」と半分呆れ気味に声をかけられた。
「このオケに入ってから出会ったんだよね」
「うん」
「ずーっと前からの知り合いみたいに見える」
「ああそうか……相性じゃないかな」
「そういうの波長が合う、ていうんだよね」
「うん、出会っちゃった、みたいな(^^ゞ」

まるで男女の出会いみたいな言い方だけども(汗)もしかしたら、今の世に生まれる前にどこかで魂が繋がるような縁があったのかもしれないな、と思ったりもした。

ちなみに、同じように遠い昔に縁があったかもしれないと思える人たちには、ずいぶん前に違う場所、違うつながりで出会ったことがある。

まあ、前世が云々というのは確かめようもなく、単なる妄想かもしれないが、そうやって考えることで、縁の不思議さや重要性について思い巡らすことができる。自分の頭の中で想像する分には悪くないか、と思う。
本番が終わり、参加者の熱い感想が一段落したころ、演奏会のボスの反省コメントがSNS上にぽろりと出てきた。やっぱりヤバかったんだな、舞台上で感じていた危機感はホンモノだったらしい。運を味方につけてやっと渡りきれた綱渡り。

自分は運営にはノータッチだったので、そっち方面のヤバさはよく知らない。でも、演奏面だけとっても、綱渡りだったのは確かだ。熱量は十分すぎるくらいあったけれど、技術的な難易度は恐ろしく高いだけに、熱意だけではどうにもならない部分というのがあって、そこは用意周到に克服計画を立てないとムリだ。

そして、次の総仕上げとなる曲が、輪をかけて難しい。もちろん運営スタッフも技術スタッフも念入りな練習計画を立てていると思うけど、個人レベルでも作戦を練らないとダメだとひしひしと感じるし、その作戦の立て方も個人に任せておいては難しいことがあるので、やはり技術スタッフからのアドバイスが欲しいところ。

でもまずは自分の頭で考えようね。
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