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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ

〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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6月末に、無事某公募へ作品を送り出したのち、間をおかずに次の作品にとりかかっている。これは公募用ではなく、持ち込み用で、以前とりあえず書き上げたけれど、どうも納得のいく仕上がりにならなくて頭を抱えていた作品をきっちり書き上げてみることにした。

そして予想以上に難航。手に負えるかどうかギリギリの題材とテーマだからなあ。検索しいしい、頭をしぼりながら書いている。なんとかラストが見えてきたけど、最後の一山が大変。

しかし、こうして全力で頑張っているうちがいちばん楽しいのだろうなあ。

頑張っているうちに、ぼや~んと次のステージが見えてきた。物語を書いては人目にさらすことを仕事にするなら、今までよりもう少し遠くを見ながらアンテナを張り資料を集め、もっと深く考えながら作品を組み立てなくてはいけない。

ちょうど新月だし、あたらしく願い事を書きだすにはよいタイミングだと思う。
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楽しみにしていた作家さんの新刊が届いたので、喜び勇んでページをめくり始めたところ、ショボーン(´・ω・`)という感じ。こうなってしまった場合、言うに言えないもやっとした気持ちをどうやって表現したものでしょうかね。
6月末締め切りの公募、今年もめげずに出してきましたよー。

いつもは作品を送り出すと2~3日はハイな状態が続くのだが、今回は郵便局から帰ってきた直後から燃え尽き症候群に陥っている。心のなかは空っぽで空っぽを埋める気力さえわかないという(´・ω・`)

そんな状態で、某来日オーケストラの演奏会を聞きに行き、曲目はモルダウと運命とドボ8で、燃え尽き症候群の緩和にはいい具合だった。
色彩豊かな歌心にあふれた演奏を聞きつつ、やはり書き終えたばかりの作品のことを思い出し、ああ、自分は物語にオーケストラ的な要素を無意識のうちに取り入れていたんだなと感じた。

さまざまな音色がそれぞれの役割を持ちつつ、ひとつの音楽の中に統合されるさまと、さまざまな個性を持ったキャラクターが、それぞれの役割をきっちり果たした上で物語世界に組み込まれているさまがよく似ているなあと。
実際に自分の書く物語がうまく出来ているとは言えないが、方向性としてはそういうことだ。

はい、無事に授賞式から帰ってきましたよー。収獲をどっさり持って。
出版社で編集を担当している方々と直接話をするのは初めてで、口から飛び出しそうな心臓を押さえつつ、あることないこと適当にしゃべりまくった感がある。うん、よく喋った。自分で言うのもなんだが、B型の底力を見た、と思う。
いよいよ明日が授賞式であります。

普通に考えれば、会場に行って少しだけさらし者になって帰ってくれば済む話だが、諸事情がからまって、自分にとっては人生の一大イベントになってしまった。この先本が出版されたとしても、今回ほど大騒ぎにはならないと思う。
職場を変わってしまった友人とランチデートをしてきた。
日本茶専門店で、美味しいお茶付きランチを頂いたのち、新緑の中をドライブし、隣市の自然公園まで出かけて散策コースを歩く。
一年間受講していた創作講座の最後の添削原稿が帰ってきまして。
いつものように数日寝かせたあと、おもむろに開封して中を確認した。
内容的に突っ込まれたのはほぼ予想通りの箇所だったけれども、それ以外に自分の文章の粗さに驚いた。同じ表現や単語をほんの数行内で何度か繰り返してしまうというクセがあって。気をつけさえすればかなり防げるのだが、話の筋を追いかけて書くことに夢中になっていると、ついやらかしてしまう。提出する前に見なおしたつもりだったが、相当数残っていた。
長らく人生をやっていると、様々な友人と関わりを持つ。
ア◯◯o◯やってたりとか、特定の宗教に帰依していたりとか。あるいは宗教と言えないまでも思想を同じくする集団に属している人とか。
友人がどんな思想に共鳴していようが、その思想が常識の範囲内であり、普通に人付き合いができるなら問題はない。ただ、彼らが何かいいことを言った時に、それが何らかの教義のコピーであったりすると、とたんにがっかりする。本人はコピーしているつもりはなくても、教義が完全に内在化されているだけ、という場合もあって、そういうことに気がつくと、残念感が半端ない。

人生には面倒臭いことがたくさん転がっていて、それらをやっつけながらを生き抜く時、ありがたいHOW-TOがそこに転がっていれば、つい手に取りたくなるだろう。頼りたくもなるだろう。一時的に頼るのは十分アリだとおもうが、完全に寄りかかってしまうと思考停止を引き起こす。「今の自分の考えは本当に正しいんだろうか」と疑い迷うことがなくなってしまうと、思考は生命力を失い、干からびた形式的なものになってしまう。

などと考えてしまう自分は「自分の頭で考えろ」信者なのかもしれないな。同類としては哲学者がいる。たぶん。





そのお知らせはペラペラの薄い封筒とともに届いた。宛名が筆名だったので、恐らく公募の結果だろうと察しがついた。
これまで公募の結果といえば、ほとんどが2次にも通らないという悲しいものばかりだったので、内容を確認するには、かなり勇気をかき集めなくてはいけなかった。しかし、時期的に半端だし、宛名は手書きだし、これはひょっとしてひょっとするかも……と妄想すること約二日。
今日書きたいことは、タイトルそのまんま。

現在、ある長編に取り組んでいるのだけれど、それがもう楽しくて楽しくて。たまたま雑用の少ない時期で、世俗のことに邪魔されず、家事と仕事以外の時間を物書きに投入できる。しかも、書いた作品がそれなりにモノになりつつある。

これって長年追い求めてきた至福の時間じゃね?

と思ったとき、今の環境に至るまで道筋をつけてくれた何者かに対して、強烈に感謝したくなった。でもどこにむけて手を合わせればよいのやら。
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