心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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この夏、思い切って親知らずを3本抜いた。20代のときにすでに1本抜いてたので、これですべて抜いたことになる。どれもこれも問題児で、まともに生えていたものは1本もないというあたり、宿主というか持ち主に似ている。
20代に抜いた左下は、詳細は忘れたが何かのトラブルを抱えていたのは確かだし、先週抜いた左上は、歯の根と骨が完全に癒着して骨ごとむしりとるかたちに。さらにその2週間くらい前に抜いたのもひどくて、右上は根っこがカギ状に曲がり、右下に至っては、水平方向に生えているうえ、頭がでていなかったので、切開手術。オーマイガー。
総合病院の口腔外科で処置してもらったので、予後は順調だけども、痛いことに変わりはない。傷口の痛みが酷い時は、痛み止めでおさまるのだが、連鎖反応的にめんどくさいことがいろいろある。
という話を、オケ友のTちゃんに話した。
「私も親知らず抜いたよ」とTちゃん。
「大変だったよねー」
「痛いだけじゃなくってさ、精神的にどっと疲れがでない?」
「うんうん」
「体の一部がなくなるとさ、変な虚脱感てあるよね?」
「ああ、あるある!」
「今まであったのが、『あれ? ない!』て感覚」
「わかるー!」
たとえ歯の一本であっても身体的な喪失を精神的な虚脱感として感知するTちゃんすげー、と口には出さなかったけれど、軽く感動すら覚えた。やっぱりこの人とは根っこのところで分かり合えると認識する。
ただ、自分の場合、少し変だなと思うのは、右側上下の親知らずに関してはTちゃんの言うような虚脱感を感じつつも、もともと相方を失っていた左上の歯を抜いた時には妙にスッキリと、あたかも憑き物が落ちたかのような爽快感さえ感じていたりするのだ。やっと抜けたね、みたいな。
実は、この逆のバージョンもある。というか実際に体験している。
生まれつきなかったものが後から付け足されたケース。たとえば、生まれつき開いていた心臓の壁の穴にパッチを当てて塞いだら。
自分の場合、その手術以来、喪失感とは逆方向の感覚を抱えるようになった。充足感とも違って、中二病を恐れずあえて言葉にするなら全能感。穴あきバケツを修理してやっとまともに使えるバケツとなりました、どうだヒャッハー、みたいな感じ。だけど、穴あきバケツだった頃がふと懐かしくなったりするのだ。すーっと風が穴を通り抜ける感覚はもう味わえない。
この話もいつかTちゃんに語れるといいな。
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