忍者ブログ
心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ

〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
QRコード
アクセス解析
アナライズ
[285] [286] [284] [283] [279] [282] [281] [280] [278] [277] [276]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

母親や義理の父親が子どもを虐待する話は後を後を絶たず、そのたびに何が悪い、環境が悪い、社会のバックアップ体制が足りないとか話題になるけれど、本質的には子育てそのものに暴力的な何かが宿っているのだと思う。

母性愛とか父性愛が存在する一方で、子どもは親を搾取しながら育つという側面も持っている。
時間と労力を奪ってゆくのはもちろん、愛情という名の精神的なエネルギーの搾取が半端ない。
子どもというのは非常にわがままで、母親に対しては四六時中自分に注意を向けていて欲しいと思っている。それをはっきり主張する子もいるし、屈折した形で表現する子もいるけれど、心の底ではとにかく親に注目していてほしい。もう少しえげつない言い方で言えば、子ども(特に幼少時)は母がプライベートの時間を持つことを許さない。

虐待と言えば、身体を傷つける、食事を与えない、面倒を見ない、暴言を投げつけるなどが思い浮かぶけれど、子どもの立場からすれば、親に疎ましく思われていると感づいた時点で虐待が始まっているはずだ。

しかし、母親とて一人の人間であるし、現代は特に、女性に対して「自分を持つ」ことを強く促す風潮が強い。だから結婚しようが子どもを持とうが、母ではなく一人の人間として活動したがる女性が多い。

その結果、子どもに時間やエネルギーを搾取されたくないという気持ちが大きくなりすぎて自分でもコントロールが効かなくなれば、子どもを好ましく思うよりも疎ましく思う気持ちの方が大きくなるし、そこから虐待へはほんのわずかな距離であり、母たちは、いつ自分が本格的な虐待に走るか、戦々恐々としながら育児をしていると言ってもいいぐらいだ。

この危うさはとても微妙だし、いくら周りの人たちが協力してくれるといっても、子どもが最終的に頼りにするのは母親なので、母親にかかる精神的負担の重さは周りの人に比べて比較にならず、実際に子育てをしたことのない人にはとてもわかりにくいだろうなと、絶望的に思う。

なんかね、子どもを一人持つたびに十字架を一つ余分に背負い込んだような気になるのだけど、それは自分の母はもちろん、ずっと上の世代もそうだったはずだし、ゆくゆくは自分の娘もそうなる可能性があるわけで。だから、文句を言うなら、女性に生まれてきたことに対して言うべきなんだろう。
PR
忍者ブログ[PR]