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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
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〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

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びおら弾きの微妙にズレた日々
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前作の後半戦(中身ともいう)きました〜(>_<)
旧作とほとんど変わっていません。ということは相変わらず小難しいことを語っている……? のかもしれません。いいんです。かみ砕く練習です。

不思議なのは、当時も今もいったい自分のどこからこんな話が湧いて出来たのかということです。まるで最初から音無さんという人がそこにいたような気がするほど、するすると紡ぎ出されてきたのです。




Soil and Soul

 日曜の昼下がり、静まり返った工房で、音無は桃香と然也を相手に淡々と自分のことを語り始めた。

 妻の名は陽花と言いました。6月に生まれたので紫陽花(あじさい)から名前をもらたったのだと、本人は言っていました。植物にちなんだ名、というのは確かにありふれてはいますが、そういう名づけ方は悪くなと思いますよ。特に、今のような時代は。私たちも、もし子どもが生まれたら、きっとそうしたでしょう。結局その必要はありませんでしたが。
 陽花は、もともと陶芸をやっていました。彼女にとって、自分の手で粘土の塊を何か形あるものへと変えることが楽しくて面白くてしかたなかったようです。また、その技を人に教えることにも熱心でした。自宅の一室を陶芸用の作業場にし、作品を焼くための窯も手に入れて、小規模ながらも陶芸教室を開いていました。
 その頃の私は音響デザイナーとして働いていました。イベントや商業施設で使う音をデザインする仕事です。BGMから防犯センサーの警告音まで、とにかく一つのイベントや建物に関する音全般の設計をしました。
 当時、仕事の依頼は次から次へと舞い込んできて、実質的な休日なんて月に三日もあればいい方でしたね。仕事をこなしながらも、私は不思議でした。なぜ仕事の8割には『心に優しい音を』という注文がつくのか。その結果、どこへ行っても似たような雰囲気の音しか耳にできなくなるというのに。もっとも、それは音に限らずここ、つまりドーム内のデザインすべてがそういう空気を持っていますね。
 世の中がどうであれ、陽花も私も、自分の仕事にやりがいを感じ、忙しく充実した日々を送っていました。
 変化は突然に訪れました。ある時を境に何もかもが変ってしまうという、まさにそれでした。いや事実は『ある日突然に』ではなく、ただ私がその兆しに気づかなかった、というだけなのでしょう。
 その日──ちょうど、今日みたいに曇りがちで蒸し暑い日のことでした。仕事を終えて家に帰ってくると、家の中に人の気配がしません。室内は出かける前とまったく同じで、掃除や洗濯どころか食事をした形跡すらありませんでした。その日の陽花は、出かける予定もなく、教室もなかったはずでした。
 『家出』という単語が頭をよぎり、私はすぐに家中を探し回り、次に作業場をのぞきました。そこに妻の姿を見つけてほっとしましたが、今思えば、家出の方がどれだけ良かったかと思いますよ。
 陽花は外に出るどころか、ずっと陶芸の作業場にこもって延々と土を練っていたんです。日が暮れても電気さえつけず、私がそばへ寄っても、まるで気づかない風で、ひたすら土をこねていました。何度か名を呼んでやっと彼女は顔を上げました。
 その瞬間、私はぞくりとしました。彼女の目はうつろで、空っぽで、とにかく普通ではありませんでした。私はすぐさま、彼女を明るい部屋へ連れてゆき、手を洗わせ、作業着をぬがせ、食事をとらせました。その間、彼女は一言もしゃべらず、私は言いようのない恐怖にとらわれていました。まるで彼女の中身が恐ろしい何かに喰われてしまったような気がしてたまらなかったのです。
 それは、例えば作業場のすみ、光が決して届かない場所で沈黙を食らいながら潜み、我々を暗くて深い場所へと誘惑し、捕らえようしている何かです。決して目に見えるものではありませんし、ただの幻覚とも違います。陽花はそういうものに捕らわれてしまったのです。
 なぜ人々が過剰なまでに光や音を求めるのか、私はようやく理解しました。しかしそういう暗い存在に気づき、すみに追いやろうとすればするほど、逆にそれは存在感を増して迫ってくるのです。

 音無はここで言葉を切り、しばし、手の中のグラスをもてあそんだ。アイスコーヒーが入っていたそのグラスは空で、氷はとうに溶けきっている。桃香たちはじっと続きを待った。
 再び語り始めた音無の口調は、「淡々」を超えて、機械的ですらあり、表情の変化が見えない顔は能面のようだった。それでも語れるだけ、まだいいほうだと桃香は知っている。

 次の日、陽花はベッドから起き上がることができませんでした。それを無理に病院へ連れて行くと、重度の鬱病だと診断されました。
 鬱病とひと口に言っても、いろいろなタイプがあります。投薬やカウンセリングで比較的早く回復するものもありますし、何年経っても変化がみられない、あるいは重くなったり軽くなったりを繰り返すものもあります。もちろん症状の現れ方にも様々なパターンがあります。
 しかし、陽花はどのパターンにも当てはまらないように思われました。実際、どんな治療を試みても、彼女はほとんど食事をとらず、口もきかず、ただひたすら疲れ果てて動けなくなるまで、土を触っているだけなのです。とうとう衰弱が激しくなって入院することになりましたが、それは、結果的には最悪の選択となりました。
 病院に入ってからの彼女は、ほとんど眠ってばかりで、起きている間は窓から空ばかり見ていました。入院から数日たったある日、陽花の様子にいたたまれず、私は問い掛けてみました。
「空の向こうには何が見える?」
 答えが返ってくるとは期待していません。ただ、自分の気持ちを紛らわしたかったにすぎません。すると、驚いたことにかすれた声で返事が返ってきました。
「黒い鳥が一羽……。こっちに飛んでくるわ」
 私には何も見えませんでしたが、久しぶりに聞く彼女の言葉に嬉しくなりました。
「そうか、鳥が見えるんだね」
「お願い、私をここから出して」
「もう少し良くなれば出られる」
 すると陽花は弱々しく首を横にふりました。
「それじゃ間に合わない。今すぐ、この檻から出して!」
「檻?」
「あの空を破って、本当の、空と大地があるところへ……。連れて行って」
 その言葉を言い切ると、彼女は大きく息を吐き、目を閉じました。まるで眠ってしまったようでした。あまりにあっけない最期でした。
 医師の診断では、急激な衰弱による心不全でした。あるいは薬の副作用も考えられると。しかしそんな医学的判断は私にとって意味を持ちません。一度闇の声を聞き入れてしまった陽花の魂は、ドームという檻だけでなく、身体という檻をも破って出て行ってしまったのです。
 葬儀が済んでからずっと、私は陽花がいなくなってしまった理由について考え続けました。作業場に入り、あるときは彼女がしていたように土をこね、あるときは自分でもよくわからない何かを形作る。
 土を触っていると、彼女の肌触りを思い出しました。彼女がすぐそばにいるような錯覚も起しました。たとえ錯覚だとわかっていても、ずいぶん救いになるものです。土をこねていると、彼女が心の中でささやきました。
 ──その土には、もう生命がないわ
 ──どういう意味だい?
 ──本当の空と土があるところへ行けばわかる
 陽花が亡くなってから30日目のこと、私は作業場をあとにし、ドームの外に出てみました。そして一見荒れ果てた風景の中で、空を眺め、大地に触れました。そして陽花の言葉を理解しようとしました。

 音無は再び言葉を切った。そして桃香と然也に視線を向けた。
「あなたがたには、わかりますか? 陽花の訴えようとしていたことが」
 桃香は答えようがなかった。音無が求めているのは、いわゆるセラピストが答えるような内容ではなく、もっと違うもののはずだった。
 その横で然也がつぶやく。
「土をさわっていると、どうしようもなく深い闇とつながってしまいそうになることがある……」
「そう、始まりはそこです」
 音無は然也を同志のような眼差しで見る。
「闇と生命は深いところでつながっている。それに気づくことは危険なんですよ。特に今のような環境で暮らしているとね」
 桃香は思い出した。以前会社の帰りに、道で横たわる薬物中毒者に足を引っかけたことがある。あの時彼は「ここから出してくれ!」と叫んでいたはずだ。彼の言う「ここ」が陽花の言う「檻」と同じだとしたら。
「それは、わたしたちの生活すべてがドームに囲われているからですか?」
 音無はうなずいた。
「たとえ、今の私たちに他の選択肢がないとしても、ここでの生活はあまりに人為的すぎます。いっそ過保護というべきかもしれません。空気も水も、天候も、何もかもがコントロールされた場所で暮らすうち、我々は荒々しい自然のエネルギー、つまりむき出しの生命力から遠ざかってしまいました。彼女は土に触れるうち、そのことを強く意識するようになったのです」
「でも、それは陽花さんの他にも、気づいている人はたくさんいます」
「かもしれません。しかし、たいていは、ぼんやりとした感覚でしか感じていないでしょう。それを陽花は、精神的な飢えとしてはっきり自覚していたはずです。だからこそ土を形作ることで、遠のいてしまったエネルギーを取り戻そうとした。ついにはそのことに夢中になるあまり、闇に引きずりこまれてしまった。そう思い至った瞬間、私は激しい後悔に襲われました。もう少し早く気づいていれば、彼女を失わずに済んだかもしれないのにと」
「そんな話、無茶すぎる!」
 然也が頭を振る。
「そんなことを言ったら、工房で仕事をしている連中はオレも含めて、とっくにどうにかなってますよ」
「だから、さっきも言ったようにたいていの人々はぼんやりとしかわかっていないんです。陽花は不幸にも感性が鋭すぎた上、自分の思いを形にする手段を持っていた。同じ風邪のウィルスに感染しても症状が出る人と出ない人がいるのと同じです」
「それはお気の毒としか言いようがないですね」
「……然さん!」
 挑発するような然也の物言いに、気が気でなくて、桃香はつい割って入ってしまう。
「いや、お構いなく」
 音無は桃香に向けて言った。
「彼が否定したくなるのは人ごとではないと思っているからでしょう。彼の感性は陽花に似ているのですよ」
 ああ、だからなんだと桃香は納得した。だから、音無は然也に関して本人が鬱陶しがるくらい気を配っている。そして今も然也はうんざりした顔で横を向いている。
「その後私は、陽花の遺した作業場を使って土笛、つまりオカリナを作ろうと思い立ちました。それがこの工房の始まりです。もっとも、もとの作業場は手狭になったのでここへ引っ越しましたが」
 音無は、手にしたグラスを傍らに置いた。だが話はまだ終わっていない。両手を組み、言葉を探すかのように視線を彷徨わせている。桃香は静かに音無を見守る。
 ようやく目を上げた音無がつぶやいた言葉に、桃香は息を飲んだ。
「ただ、それが復讐の意味を含んでいるとは誰も想像すらしないでしょうね」
 音無は薄い微笑みさえ浮かべている。諦めと悲しみの入り交じった、こんなに背筋をぞくりとさせる笑みは見たことがなかった。
「結局、陽花が逝ってしまったときに、私もまた闇に喰われたのです」
「いえ、違います!」
 桃香は思わず立ち上がった。良き聞き手としての立場なんて、もうどうでもよかった。すっかり感嘆した然也が桃香に見とれているのだが、それにも気づかず、ただ、一人の人間として音無に言いたいことがあった。
「あなたはちゃんと生きてます」
「私の半分は、もうここにはないというのに?」
 音無は自分の胸に手を当てた。桃香は胸がしめつけられたが、それ以上に言葉が大波のように押し寄せてくる。
「それでも、こうして人を集めてオカリナを焼いていますよね。出来上がったオカリナを買う人がいて、それを演奏する人がいて、その演奏に感動する人がいますよね」
 感情を映し出さない音無の目が、じっと桃香を捕らえている。
「たとえ、あなたが半分しか生きていないとしても、そのオカリナがどんな理由で作られたにしても、その音で心が癒される人がいるんです。だからそんな哀しいことを言わないで下さい」
「いえ、だからこそ復讐なんですよ。どうにもならないこの時代、この世界に対しての」
「そんな……!」
 桃香はベンチにすわり、顔を覆った。
 閉じられた世界によって最愛の人を奪われた男がいる。彼の作り出した楽器が、同じく閉じられた世界で生きざるを得ない人々の心を癒すという皮肉。これを復讐と呼ぶ音無を見ていると、どうしようもなく切なかった。言葉の代わりに涙があふれてきそうだった。
「やはり話すべきではなかったのかもしれない。すまなかった」
 音無は立ち上がって、あとを頼むとでも言うように、然也の肩を軽く叩いて工房へ戻ってゆく。
「待ってください!」
 桃香が叫んだ。
「話すべきではなかったなんて、そんなことはありません。絶対に」
 音無は肩越しに振り返った。
「そうですか……。少しでも私の話が役に立てばそれで充分だったのですが」
「だから音無さん。オレは大丈夫ですから」
 然也が憮然と言い放つ。
「私ではなく、桃香さんが納得しているかどうかです」
 音無の返答に、桃香の心臓がトクリと音を立てた。桃香の最も恐れていること――然也がいつか闇の向こうへ行ってしまうかもしれないという恐怖が見抜かれているのだろうか。
「置いてゆく方、置いてゆかれる方、どちらの立場にしても、無くしたあとで真実に気づいても遅いんですよ」
 そう言い残して、音無は工房の中に消えた。
「桃さん、ここを出よう」
 然也が出口へと歩き始める。明らかに不機嫌なその背中を桃香は追った。桃香も混乱していないと言えば嘘になる。留学は思いとどまった方がいいという警告ではないと、それはわかってた。どちらかといえば、問題があるならそれまでに解決しておくように、という忠告。
 玄関を出たところで、制服姿の配達係とすれ違った。デリバリーサービスの者だろう。でも然也はそれをまったく無視して進む。
――チリン
 桃香の背後で澄んだ玄関チャイムが鳴った。音無が計算して選んだに違いない、小さくてもよく通る濁りのない音だった。今はそれが空しくひびく。
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