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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

〈連絡先〉
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〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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先日、5年間努めていた職場を退職した。昨年度が最後の契約更新の年だったからだ。
率直に言おう。5年間、相性の合わない仕事によく耐えた。今だからバラすが、この職場に入って三日目で「これは無理」と思った。……思ったが3日で辞めるのはさすがに根性がなさすぎると思い、後少し、もう少し、と粘っているうちに簡単には辞められなくなり、しがらみに負けて結局5年間続けてしまった。

向いていない仕事とわかっていながら、そして他の人材を自分のポジションに据えたほうがうまく仕事が回るだろうにと思いつつも自分なりに頑張った5年間、辞めるときになってみれば「戻ってきて」という声を(お世辞だとしても)たくさん聞けたのがご褒美と言えるだろう。

社会勉強はこれでもかというほど、させてもらった。仕事を進めるにあたってはコミュニケーションが重要であること(それ以前に「コミュニケーションとは?」というレベルだったので)、人には誰しも表の顔と裏の顔があること、本人が意識しているかどうかにかかわらず、相手により、また状況により180度反対の態度を取ってしまうことがあるということ、上司との付き合い方(&認められ方)、人の噂話や悪口の行方など、ある程度人数が多くて込み入った組織でないとわからないことをたくさん知ることができた。

得るものが多かった一方で、あと少しで自分が潰れてしまうところでもあった。もともと賑やかな環境では集中できないor集中すると周りの物事がいっさい目に入らなくなるという性質のため、書類ひとつ作るにも難儀したし、電話が嫌いなので、業者さんとの連絡は遅くなることがよくあった。そこを気合で乗り切ろうとしたので、MPの減りの早いこと!

この春から職場を変え、ライターとしての仕事も始めてみて思ったのは「ここが私のフィールド(戦場)だ!」。もともと好きでやっていた分野のライティングは、面倒なことが多々あったとしても楽しいとしか言いようがなく、これが魂の求めていた仕事なのね、と納得することしきり。魚を元気に泳がせておくには、水を合わせるのが大事。
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変に今風のタイトルだけども、中身は京都まで見に行ったウォーホル展の話。
ここでは要点のみ書く。

展覧会の印象は主に2点。
・それぞれの作品は美しいし、大量生産品をイメージさせるにもかかわらず、独自性が極めて強い。なのに存在感が薄い。
・「素顔の」ウォーホルは誰かに似ている。ミュージシャン平沢御大とか、作家サリンジャー氏とか。前者は白髪のウィッグを使っていたことのみならず、現代社会における大量生産&大量消費のからくりを見抜いて自身の作品に反映させていること。後者は東方教会の経験な信者だったことからの連想(なぜ東方教会なのかは、『フラニーとゾーイ』を読んだら分かる)と、非常に繊細な(ガラスの、と言い換えてもよい)セルフイメージ。

ウォーホルはセレブたちに囲まれた生活をしていたけれど、それは自身に対するコンプレックスの裏返し、見たいな話はもうみんな知っていたよね。それとは別に、作品作りに関してはいつも本気モード。本気で取り組んでいたら非常に洗練されたポップなモノが生まれて時代の寵児。でも、彼は決してその事実に溺れることはせず、波を上手く乗りこなしていた感がある。
真面目に不真面目なゾロリ先生の仲間だったのかも。
一年の抱負に代えて、星占いの年報について書くのが毎年恒例となっているが、毎年続けていると、当たるかどうかより、こういう気持ちの持ち方で過ごしたらいいんじゃない?的なアドバイスとして読むようになってきた。

だから、2023年の占いの中でも、これを覚えておきたい、と感じた一節をここに乗せておく。以下に出てくる「絶対」というのはこの一年で蠍座が得るであろう絶対的な指針のようなもの。
「絶対」に縛られて不自由になる人は、その「絶対」が「ゴマカシ」「偽り」である可能性があります。
自分で自分に嘘をつき、納得している振りをしている場合、その「絶対」は確かに、本人を苦しめます。
そうではない、真に自分の心に根ざした「絶対」を持っている人は、その「絶対」を空気や重力のように享受し、自分の自由の支えにできるのです。
2023年のあなたが手にする「絶対」は、ある意味において「自由へのチケット」と言えるのです。

これまであちこちフラフラしていたのは自分の中に「絶対」を持てなかったから、なのかもしれない。いや、正確にはあったのだけれどもここ数年は更新中だった、という方が近い。更新が終われば、然るべき方向に向かって走り出せるのだろう。
先日、奇妙なくせに妙に生々しい感触の残る夢を見た。

大勢の人が行列を作っている。行列は2本ある。自分と友人も列に並ぶが、本能的にそっちは行ったらダメなやつ、とわかっていてあえて並ぶ。列は進んでおやつが振る舞われたが、いよいよヤバみが増してきたので友人ともども逃げ帰ったわけだが、その後がエグい。逃げ帰ってから「あのおやつはヤバかったね」とかいいながら持ち帰った食べ物をほんの一口味見をする。するとそれが得も言われぬ不味さ。口の中でグニュっとつぶれてあとは空気のように消えてなくなり、あとに残るのは死臭のような嫌なにおい。夢の中でにおいを感じるのも珍しい。それほどにリアルな感触の夢だった。
最近、お風呂に浸かっている時や運転中にヘンなネタを思いついたので、忘れないうちにここに書き留めておく。
(どこに書くのがいちばん思い出しやすいか悩んで結局ココ)
(「その1」は一年前にあります)
最後の3行が見事にあたった前年に引き続き、今年の年間星占いをまずはここに置く。
別名「嬉しい悲鳴」

先日、平沢師匠の新しいCDが届き、いそいそと開封してマイスピーカーでガンガン鳴らしてみた。マイスピーカーというのは、ふだんはクラシック音楽館をできるだけ質の良い音で聞くためTVともつないであり、もちろんCDプレーヤーともつながっていて、ふだん鳴らすのはやはりクラシック系の音楽だ。
久しぶりにオーケストラの本番に乗ることになり、お手伝いをする楽団へ出向いたら、知り合いが多数いて、ホームオケにいるような錯覚を起こしたのが約2ヶ月前。

特にビオラパートなんて全員が過去に一度は一緒に弾いたことがあるばかりか、学生時代の先輩後輩もいて、プチ同窓会状態だったというね。

そんな中で弾いて楽しくないわけがない。なんなら魂の居場所へ帰ってきた感満載と言ってもいいが、楽しい時間を過ごしたあとは、またまたアウェイ感だらけの職場へ戻らなくてはならないのがツラくて、毎回精神のバランスを取るのが大変だ。
先日、あるSFをコミックで読んでみて、割と面白かったのだけれど、設定で?と思うところがいくつかあった。割と最近書かれた閉鎖空間もので、現代のリアル社会を反映した社会制度の設定が面白い一方で、物語の着地点はかなり古典的だったので微妙な残念感があり、自分ならどうするか考えてみた。
じつは、最近まともに眠れた日がとても少ない。
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