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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

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〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
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昨日は、今年初の同人誌例会。
子どもたちの冬休みに付き合って自分もすっかり休みモード。風邪を口実に必要最低限の外出しかせず、とにかくぐうたら養生していたら、5日に息子の飼育当番があったのに、親子そろって見事なまでに忘れていた。それを息子が思い出した時は青ざめた。ボケすぎ。

で、まず6日に読書という形で脳みそをたたき起こす。続いて始業式の7日も同人誌の作品を読み、感想をまとめて脳みそを活動させる。子どもたちの習い事の送迎が始まり、心身ともに日常のペースに戻す。

……戻したはずが、まだ微妙に休みボケはぬけていなかった。
8日、つまり昨日例会に出て4作品分の批評を聞いたらそれだけで疲れ、早々に引き上げてきた。人のペースに合わせ、話に集中するのがきつい。しかも言い残しや言い忘れが多く、あとから何人かのメンバーにメールを送る羽目に。

どれだけぐうたらしてたんだ、脳みそよ。これから数週間、がしがし書く予定なのに。
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三が日も過ぎようかというころになって、やっとこの場所に来れた。人付き合いの少ない表のブログでも、やはり挨拶に出向きたい常連さんはいるわけで、その方々への書き込みをすませたのがついさっき。

なんだか今年のお正月は忙しかった気がする。家事と子どもたちの世話にいつも以上に追われていたような。
双方の実家へ行くのは例年のことなのでいいとして、思い返してみると、諸悪の根源は風邪だ。というか、正確には風邪を口実にぐうたら眠り、食後の休憩が長くなったことだと言うべきか。
ただ、実際にしんどくて動けなかったのは確かだし、たっぷり眠ると気分が安定するというのもよくわかった。無理は効かない年なんだなあ。

さて、当ブログの今年の予定は。
なにはともあれ、連載中の小話シリーズをきちんと終わらせなくてはいけない。ひょっとすると、来年に延びることがあるかもしれないが、とにかく納得のいくように書いて終わらせたい。
修行のために書き綴っている小話だけど、それが確かに栄養になっていると、表用の作品を書いているとよくわかる。
あとは、他の作品の進み具合に応じて進行状況などちょぼちょぼと書きついていけたらいいと思う。毒吐きなひとり言は気の向くままに。


表は普段のテンプレに戻しましたが、こちらは更新が続く都合上、お正月明けまでこのままでいきます。
といいますか、ずっとこのデザインでもいいなあと思い始めた今日この頃。いえ、ちゃんと戻しますから。

これも、昔サイトに載せていた新年小話のバージョンアップ版です。
新年に先駆けてちょっとだけフライング。

ところが同じイベントを扱っているとはいえ、2倍に膨らんだ上に語り手の視点が変わってしまったので、むしろバージョン違いと言った方がいいかも。
今日、ネットを立ち上げ、ニュースサイトを見たら「名古屋港で恒例の花火大会」という記事が目に入った。昨日は仙台の大イルミネーションの話題。電飾に見とれる人々の写真もある。
その少し下には、いわゆる派遣切りで職を失い、年末年始に行く当てのない人々が急激に増えたとの記事。そういう人たちにとって、やたらに輝きまくるこの時期のイルミネーションはどう映るのかなぁと考えてしまった。

子どものころはただ楽しみだったクリスマスが、成長するに従い無関心あるいは他人ごとになり、子どもを持つようになると重荷になった。今ではなんだか凄く不自然さを感じる。
だって、日本の伝統として、由緒正しい年越し&お正月の行事があるのに、何でわざわざ欧米の年越し&新年のお祝いの習慣(=クリスマス)を取り入れなきゃいけないのか。
日本のクリスマスがモノを売るためのイベントと化しているのは、日本人にとって、クリスマスはもともと余分な年中行事だから?という気がしてしかたない。

さらに最近では、ただモノが行き来するだけのイベントであることが後ろめたいのか、クリスマスに何らかの意味を与えようとする動きが強くなっているように思える。何らかの意味を与える、というのは平たく言えば「思い出作り」。個人的に意味のある日にしよう、しなくちゃいけないという世間の風潮。具体的には、家族あるいはカップルで何か心に残ることをする日、みたいな空気。とにかくキリスト教やユダヤ教的な「神」の入り込む余地はない。

どうもそういう流れが自分的に居心地が悪くて、余計にクリスマスは家に引きこもりたくなるし、実際は出歩く暇もないのだが、ふと思う。「嘘から出たまこと」いう諺にあるように、もしも何百万人もの人々が「この日を記念日にしたい」と願って、そうなるように行動したなら、その日がたとえ、本来特別な日でなくても、記念日にふさわしい特別な空気をまとうのだろうな、と。

百年後の日本のクリスマスは、いったいどうなっているんだろう。現状と大して変わらないのか、消えてしまっているのか。ひょっとすると宗教性を帯びた儀式へと進化しているのかもしれない。



この12月から息子の部活の世話役を引き受けることになり、他のお母さんたちと世間話をする機会が増えた。息子の学年は、母同士のつきあいがあまりないので、新鮮な情報がいっぱいだが、驚くこともある。

先日「○○君のお母さんが亡くなったこと、知ってた? もう1年ぐらい前だけど」と聞かれた時にはびっくりした。名前ぐらいしか知らないが、娘の同級生のお母さんだ。癌と診断され、一年の闘病生活ののちに亡くなったそうだ。
また、一ヶ月ぐらい前に、やはり娘の同級生のお父さんが亡くなっている。こちらは事故のよう。

これまで、近所で人が亡くなる話といえばたいていどこかの家のご隠居さんだったのに、同世代の人が亡くなる話をたびたび耳にすると、身近に感じすぎてちょっと凹む。成長途上の子どもたちを残して人生の盛りに逝くのはさぞ無念だろうと想像する。

真っ当に生きることから逃げるのは卑怯この上ないなーと珍しく殊勝な考えを起こした数日間なのだった。
珍しく色気を出してテンプレをクリスマス用に変えてしまいました。
スケルトン天使って結構好きなんです。
でも下のほう、画像と重なって文字が読みづらいですね。すみません。テンプレのスタイルシートをいじって改良してみますが、基本的には期間限定と言うことで大目に見てやってください。

その昔サイトに載せていたクリスマス小話がバージョンアップして帰ってきました。
このシリーズを続ける羽目になった元凶発端となった話です。
本当にあの時は何を血迷ったんでしょうねぇ……。

で、この話を書き直しながら、タイヤに刺さったクギを思い浮かべていました。刺さったクギは下手に抜くと、タイヤの空気がすっかり漏れてぺしゃんこになって車を動かせなくなっちゃうんですよね。
10月に完成した同人誌を会の外から招いた講師に批評してもらう。
今年は会の役員なので、細々とした事前準備があってそれで12月に入ってからというもの、気がぬけなかった。それも今日で終わりだ。ひゃっほー!


さて、各作品について批評があったあと、最後に総評を頂戴した。
同人も長くやっていると、良くも悪くも自分の作品について突っ込まれどころがわかってしまうので、ついつい予防線を張ってしまうようになる。それが良くないとのこと。そういう作品は確かにきれいにまとまっているが、作者の本当に描きたいことがストレートに出なくなってしまい、力のない作品になる危険があるからだ。

それはある程度活発に活動を続けている同人グループならどうしても起きる現象なので、超えなくちゃいけない壁というか、トラップなんだろうと思う。
自分が何を書きたいのか、しっかり見定め、人の批評は片耳で聞きつつ雑念を払いのける強さとしなやかさが必要だな。

でも自分の場合は、基本的に書きたいように書いているので、もう少し人の言うことに耳を傾けてもいいんじゃない? て気がする。
最後はOパート。杏樹ちゃんの視点です。「花より団子」を地でいってます。
でもSideOって何なんでしょうね(汗)
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