心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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「地獄の釜のふたが開く」などと言うが、キリスト教の神についてたっぷり考える羽目になった。読んだものは「原典 ユダの福音書」とヘルシングの8巻。両者に共通するのはイスカリオテのユダ・13番目・人間世界の不完全/醜悪さ。
苦しいときの神頼みだなんて、日本ではよく言うけれど、どうやってその実在を確かめるのか。
人間の認識を超えた存在があるとして、それをどうして人間が正確に知ることができるのか。
結局のところ、神というのは、道徳・倫理(時として戦争)を発動させるための装置にすぎないのではないか。
苦しいときの神頼みだなんて、日本ではよく言うけれど、どうやってその実在を確かめるのか。
人間の認識を超えた存在があるとして、それをどうして人間が正確に知ることができるのか。
結局のところ、神というのは、道徳・倫理(時として戦争)を発動させるための装置にすぎないのではないか。
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今回の「宴」とは、某児童文学セミナーのこと。毎年恒例の夏祭りみたいなものだ。
もちろん、ゲームや屋台が出るわけではないが、珍しいものを見聞きして刺激を受けるという意味ではお祭りだといってもいい。
講師は、プロとして活躍中の作家や大手出版社の編集者、児童文学評論家など。受講生は遠くから新幹線で来ている人、すでに作品を本にして出している人など、いろいろなタイプの人たちが混ざっている。講師一人につき、10人ぐらいの受講生がついて、互いの作品を批評しあう。ロムというか、オブザーバーもOK。
そんな中に果敢にも突っ込んでいったわけだが、自分の作品がボロボロなのは百も承知なので、とにかく他人の作品から学べることは学ぼうと思った。
うん、世の中いろんな視点と切り口があるんだな。今思うのはとりあえずそれだけ。
もちろん、ゲームや屋台が出るわけではないが、珍しいものを見聞きして刺激を受けるという意味ではお祭りだといってもいい。
講師は、プロとして活躍中の作家や大手出版社の編集者、児童文学評論家など。受講生は遠くから新幹線で来ている人、すでに作品を本にして出している人など、いろいろなタイプの人たちが混ざっている。講師一人につき、10人ぐらいの受講生がついて、互いの作品を批評しあう。ロムというか、オブザーバーもOK。
そんな中に果敢にも突っ込んでいったわけだが、自分の作品がボロボロなのは百も承知なので、とにかく他人の作品から学べることは学ぼうと思った。
うん、世の中いろんな視点と切り口があるんだな。今思うのはとりあえずそれだけ。
今日は、件の児童文学セミナー当日。ダンナに駅の近くまで送ってもらった。コンビニで昼食用のおにぎりを買い込み、さて、駅はどこかなと探すと、店を出てすぐ横に改札が。その向こうには赤いS電が待っていた。
実は、この駅を利用するのは生まれて初めてだったりする。なのにこの懐かしい雰囲気は何?
その一番の理由は、階段がないということ。路面電車のごとく、道路と同じ高さにレールが敷いてあるのでホームへ行くのに階段は必要ない。
発車した電車は初めのうちは川沿いを、やがて家々の軒が連なる中をまったりと走ってゆく。まるで昭和にタイムスリップしたみたいだ。
その電車も郊外から都心部へ近づくにつれ、線路の高さが上がり、いつしかビルの群れを見下ろしている。かと思えば、いつの間にか地下にもぐり、窓の外は真っ暗。すると目的の駅。
駅を出ると、またまぶしい夏の光が降ってくるし、まわりの木立ちには見覚えがあって、それなりに懐かしくはあったけれどやっぱり現実感が強いんだな。
実は、この駅を利用するのは生まれて初めてだったりする。なのにこの懐かしい雰囲気は何?
その一番の理由は、階段がないということ。路面電車のごとく、道路と同じ高さにレールが敷いてあるのでホームへ行くのに階段は必要ない。
発車した電車は初めのうちは川沿いを、やがて家々の軒が連なる中をまったりと走ってゆく。まるで昭和にタイムスリップしたみたいだ。
その電車も郊外から都心部へ近づくにつれ、線路の高さが上がり、いつしかビルの群れを見下ろしている。かと思えば、いつの間にか地下にもぐり、窓の外は真っ暗。すると目的の駅。
駅を出ると、またまぶしい夏の光が降ってくるし、まわりの木立ちには見覚えがあって、それなりに懐かしくはあったけれどやっぱり現実感が強いんだな。
児童文学セミナーが近づいてきたので、送られてきた実作合評作品を読んだ。短編長編合わせて7作。そこから自分の分をぬいて6作を二日間にわたって読んだ。ふだんの同人誌の集まりとは違う顔ぶれだし、レベルは高いが、「うわあ、面白いv」なんて楽しんでいるばかりでは済まないので厳しい。
一気に読んだせいか、頭の中でいくつもの物語が交錯していて、料理の途中にふっと手を止め、「このシーンは誰のどんな話の中にあったかな」と悩むこともしばしば。
それはいいとして、何よりしんどいのが、アラを探す作業。ぶっちゃけ、どこがどう物足りなかったを自分なりに考えていけばいいのだけど、その前にまず、作者はどんな傾向があり、何を言おうとしてその話を書いたのか、そこを読み取らないと使える批評ができないし。初対面にも等しい書き手の話をそうやって深く読み込んでいくのは、面白いのと同じくらいしんどい。それを6作分かい!
神経すりきれそうだけど、自分がそんなに柔な神経の持ち主でないこともわかっているからなぁ。
一気に読んだせいか、頭の中でいくつもの物語が交錯していて、料理の途中にふっと手を止め、「このシーンは誰のどんな話の中にあったかな」と悩むこともしばしば。
それはいいとして、何よりしんどいのが、アラを探す作業。ぶっちゃけ、どこがどう物足りなかったを自分なりに考えていけばいいのだけど、その前にまず、作者はどんな傾向があり、何を言おうとしてその話を書いたのか、そこを読み取らないと使える批評ができないし。初対面にも等しい書き手の話をそうやって深く読み込んでいくのは、面白いのと同じくらいしんどい。それを6作分かい!
神経すりきれそうだけど、自分がそんなに柔な神経の持ち主でないこともわかっているからなぁ。
昨日は宴会だった。同人誌で活動している仲間が、ある公募で大賞をとったので、そのお祝い。
佳作や奨励賞ならともかく、大賞をとるって大変なことなんだなあと実感した。本人の努力や運は言わずもがなで、驚いたのはお祝いのしかた。
本人よりむしろ周囲がすごい騒ぎで、お祝いのプレゼントは当然だし、予定外に宴会を開くことになるし、幹事を引き受けた人の働きぶりは素晴らしいというほかなく。受賞されたご本人も、宴会の席ではお返しの品を用意していたりして、すごい気遣いの嵐だと、自分はドラマでも見ている気分でことの成り行きを見ていた。
万が一にも自分が何かの賞を取ることがあったら、できるだけ内緒にしておきたいなあと思う。まあ、こういうのを、取らぬタヌキの何とかと言うんだけど。
佳作や奨励賞ならともかく、大賞をとるって大変なことなんだなあと実感した。本人の努力や運は言わずもがなで、驚いたのはお祝いのしかた。
本人よりむしろ周囲がすごい騒ぎで、お祝いのプレゼントは当然だし、予定外に宴会を開くことになるし、幹事を引き受けた人の働きぶりは素晴らしいというほかなく。受賞されたご本人も、宴会の席ではお返しの品を用意していたりして、すごい気遣いの嵐だと、自分はドラマでも見ている気分でことの成り行きを見ていた。
万が一にも自分が何かの賞を取ることがあったら、できるだけ内緒にしておきたいなあと思う。まあ、こういうのを、取らぬタヌキの何とかと言うんだけど。
年のせいか、この春からいろいろな役目が降ってきて、脳みそがオーバーヒートを起こし、ネジが数本吹っ飛びそうな日々が続く。
試しに「お仕事」を数え上げて見ると……
(ここから先はいくぶん退屈な日常の話です)
試しに「お仕事」を数え上げて見ると……
(ここから先はいくぶん退屈な日常の話です)
・いつもの洗濯+昨日使った子供たちの浴衣の洗濯
・昨日のエレクトーンフェスティバルで使った小道具の片付け
・子供がちからしたままの玩具の片付け
・ダンナが使ったまま置きっぱなしにしてあるカメラや本の片付け
・ストーブはしまったのに、まだ出したままだった灯油缶の片付け
・ためこんであった資源ごみを、びん、かん、不燃ゴミ、紙資源に分けて処分。
・洗面台と洗濯機のすき間を掃除。(何ヶ月ぶり?)
・風呂場の天井に現れたカビをようやく退治。
・すっかりにごった金魚の水槽の水かえ。
要するに、ひたすら掃除。
試しに、書きかけの原稿に手をつけてみたが、まるで文章が進まないので、メモ帳を閉じ、掃除再開。
自分でもどうしてそうなのかはわからないが、時々、散らかった机の上とか、部屋の中がものすごく気になって我慢できずに、やおら片付けを始めることがある。時間はないのにじっくりネタを練らなくてはいけない時や、やることが多すぎてイライラする時に、その傾向が強いらしい。
学生のころはテストが近づくときまって机の引き出しの整理をしたくなった。これは完全に現実逃避。まだPCが普及する前の話。
・昨日のエレクトーンフェスティバルで使った小道具の片付け
・子供がちからしたままの玩具の片付け
・ダンナが使ったまま置きっぱなしにしてあるカメラや本の片付け
・ストーブはしまったのに、まだ出したままだった灯油缶の片付け
・ためこんであった資源ごみを、びん、かん、不燃ゴミ、紙資源に分けて処分。
・洗面台と洗濯機のすき間を掃除。(何ヶ月ぶり?)
・風呂場の天井に現れたカビをようやく退治。
・すっかりにごった金魚の水槽の水かえ。
要するに、ひたすら掃除。
試しに、書きかけの原稿に手をつけてみたが、まるで文章が進まないので、メモ帳を閉じ、掃除再開。
自分でもどうしてそうなのかはわからないが、時々、散らかった机の上とか、部屋の中がものすごく気になって我慢できずに、やおら片付けを始めることがある。時間はないのにじっくりネタを練らなくてはいけない時や、やることが多すぎてイライラする時に、その傾向が強いらしい。
学生のころはテストが近づくときまって机の引き出しの整理をしたくなった。これは完全に現実逃避。まだPCが普及する前の話。
先日読んだ「やさしさの精神病理」をもとに、いろいろ考えてみた。
現代の「やさしさ」の特徴としては、次のようなことが挙げられていた。
まず、内面に踏み込まれることが大嫌い。踏み込むのも嫌い。
身内だけでなく、顔を知っているだけの他人にも「やさしい」気づかいをしようとする。
「やさしい」相手に愚痴をこぼすのは禁物。相手を嫌な気分にさせてしまうから。(だから精神科へ悩み事相談に来る)
理想の恋人は、同じ空間にいても、互いに気を遣わず別々のことができる相手。
で、今時のやさしさは、本質的には自分の心を傷つけないようにするための防御システムであるらしい。著者によれば、今の若者の心が恐ろしく傷つきやすいそうだが、それは、アレルギーにも似て、外界からの刺激に対して過剰に反応してしまうせいではないだろうか。
たとえば、花粉アレルギーは抗体が攻撃する相手を間違えてしまったがために起きる反応だ。その原因はいろいろあるが、一説によれば、寄生虫が駆除されるようになってから花粉症が増えたとか。(逆に寄生虫を飼えば、抗体の働きが正常になって花粉症がなくなるというが、さすがに実験する気になれない。)
親世代が子供の心をなるべく傷つけないようにと育ててきた結果、それこそちょっとしたことで傷ついてしまう若者が増え、その結果として、傷つきやすい者同士の人付き合いのマナー、すなわち今時の「やさしさ」が現れたのではないかと思う。
それはそれでいいんだけど、心をぶつけ合って切磋琢磨してきた、昔の人間には理解しづらいだろうな。
ちなみに、自分の場合を考えて見ると、やさしさの使い方においては、今時の若者に近いものがある。ただ、それをやさしさとは認識せず、人付き合いの緩衝材または自己防衛または逃避とはっきり自覚はしている。
現代の「やさしさ」の特徴としては、次のようなことが挙げられていた。
まず、内面に踏み込まれることが大嫌い。踏み込むのも嫌い。
身内だけでなく、顔を知っているだけの他人にも「やさしい」気づかいをしようとする。
「やさしい」相手に愚痴をこぼすのは禁物。相手を嫌な気分にさせてしまうから。(だから精神科へ悩み事相談に来る)
理想の恋人は、同じ空間にいても、互いに気を遣わず別々のことができる相手。
で、今時のやさしさは、本質的には自分の心を傷つけないようにするための防御システムであるらしい。著者によれば、今の若者の心が恐ろしく傷つきやすいそうだが、それは、アレルギーにも似て、外界からの刺激に対して過剰に反応してしまうせいではないだろうか。
たとえば、花粉アレルギーは抗体が攻撃する相手を間違えてしまったがために起きる反応だ。その原因はいろいろあるが、一説によれば、寄生虫が駆除されるようになってから花粉症が増えたとか。(逆に寄生虫を飼えば、抗体の働きが正常になって花粉症がなくなるというが、さすがに実験する気になれない。)
親世代が子供の心をなるべく傷つけないようにと育ててきた結果、それこそちょっとしたことで傷ついてしまう若者が増え、その結果として、傷つきやすい者同士の人付き合いのマナー、すなわち今時の「やさしさ」が現れたのではないかと思う。
それはそれでいいんだけど、心をぶつけ合って切磋琢磨してきた、昔の人間には理解しづらいだろうな。
ちなみに、自分の場合を考えて見ると、やさしさの使い方においては、今時の若者に近いものがある。ただ、それをやさしさとは認識せず、人付き合いの緩衝材または自己防衛または逃避とはっきり自覚はしている。
最近蜂が多い。ただ飛び回っているならいいが、家のまわりに巣を作る。庭のテラス下、2階のベランダ、車庫の中、サッシ窓枠の上、などなど。今年になってから、巣を作ろうとしているアシナガバチを、5匹退治した。きれいな八角形の巣を作りかけいて、中にはもう卵を産みつけてある部屋もあったが、わが身の安全のためには仕方ない。殺す作業そのものは、殺虫剤を吹きかけるだけだから簡単だが、殺すたびに後ろめたい気分になるのをどうにかしたい。
意外に気分がよかった。
子供が生まれてからというもの、基本的にお洒落服はNGで、他のお母さんたちと同じく基本はジーンズ。スカートじゃ家事育児はできませんわ。
いいかげん子供たちも手のかかる年頃ではなくなり、そろそろまともな服を着ろとダンナかせっつき始めたので、少しだけ財布のヒモをゆるめて自分のために投資する。
で、新しい花柄プリントの3段切り替えつきギャザースカート、新しいシャツ、中古だけど買ったばかりの綿ニットのベストを合わせて着る。おお、春のイメージそのまんま。自分まで新しくなったような気がする。
調子にのって次の日もスカート。今度は数年前に買ったけどめったにはいていない小花プリントのスカート。あわせたのは白が基調で胸元が大きくあいたブラウス。これも悪くない。
私も女性の端くれだったのね。
でも、スカートをはいてゴキゲンになれたのって、何年ぶりだろう。10年ぶり? あはは。(乾笑)
子供が生まれてからというもの、基本的にお洒落服はNGで、他のお母さんたちと同じく基本はジーンズ。スカートじゃ家事育児はできませんわ。
いいかげん子供たちも手のかかる年頃ではなくなり、そろそろまともな服を着ろとダンナかせっつき始めたので、少しだけ財布のヒモをゆるめて自分のために投資する。
で、新しい花柄プリントの3段切り替えつきギャザースカート、新しいシャツ、中古だけど買ったばかりの綿ニットのベストを合わせて着る。おお、春のイメージそのまんま。自分まで新しくなったような気がする。
調子にのって次の日もスカート。今度は数年前に買ったけどめったにはいていない小花プリントのスカート。あわせたのは白が基調で胸元が大きくあいたブラウス。これも悪くない。
私も女性の端くれだったのね。
でも、スカートをはいてゴキゲンになれたのって、何年ぶりだろう。10年ぶり? あはは。(乾笑)