心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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台所の排水パイプがつまって、自分の手におえなくなったので、業者を呼んでつまり解消&掃除をしてもらった。すっきり流れるようになるまで約三日間。長かった~。
その間、料理時に出る排水はバケツの中へ。食べ残しは極力避ける。使う食器の数はできるだけ減らし、洗い物は洗面所で。その不便さはまるでアウトドアキャンプ。
いやはや、排水システムは偉大だ。日ごろ、いかに無造作にいろんなものを流していたかをあらためて知った。
以前「SOUL EATER」というコミックを読んでいたとき、彼氏を作っても振られてばかりの女性キャラが「わたし、便器と結婚する。だって何でも受け止めて流してくれるじゃない」と真顔でつぶやくシーンがあって大笑いしたんだけど、今になって結構洒落にならないかも、と思う。トイレにストライキされた日にはえらいこっちゃ。
で、脳内の詰まりもとれないかなぁと悩む今日この頃。書きかけの物語がなかなか進まないし、おかげで読書にも身が入らない。
その間、料理時に出る排水はバケツの中へ。食べ残しは極力避ける。使う食器の数はできるだけ減らし、洗い物は洗面所で。その不便さはまるでアウトドアキャンプ。
いやはや、排水システムは偉大だ。日ごろ、いかに無造作にいろんなものを流していたかをあらためて知った。
以前「SOUL EATER」というコミックを読んでいたとき、彼氏を作っても振られてばかりの女性キャラが「わたし、便器と結婚する。だって何でも受け止めて流してくれるじゃない」と真顔でつぶやくシーンがあって大笑いしたんだけど、今になって結構洒落にならないかも、と思う。トイレにストライキされた日にはえらいこっちゃ。
で、脳内の詰まりもとれないかなぁと悩む今日この頃。書きかけの物語がなかなか進まないし、おかげで読書にも身が入らない。
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今年の桜は早い。昨日今日みたいな異様な暖かさを体感すると、さもありなんと思うが。
で、桜の季節になると毎年物書きの虫が騒ぎ出し、「今手がけている話なんかつまらないから、もっと面白くて楽しいのを書こう」と悪魔のごとくささやきかけてくるのが恒例。
昨日も、長編を早く仕上げたくて唸りながら手を入れていたのに、お昼にパスタを茹でていたら、新しい話の構想が頭の中でたちまち広がった。忘れないうちにメモを、と思い、書きとめていたらパスタがのびた。……のはまだいいほうで、長編に割くべき時間がすっかり食われてしまった。(なにしろ子どもが帰ってくるまでが勝負なので)
今日も春たけなわの陽気だ。桜や花見の話が書きたくて仕方がない。そんなことしてたら、某公募の締め切りを落としてしまうのに。(>_<)
毎年春の光は恨めしい。
で、桜の季節になると毎年物書きの虫が騒ぎ出し、「今手がけている話なんかつまらないから、もっと面白くて楽しいのを書こう」と悪魔のごとくささやきかけてくるのが恒例。
昨日も、長編を早く仕上げたくて唸りながら手を入れていたのに、お昼にパスタを茹でていたら、新しい話の構想が頭の中でたちまち広がった。忘れないうちにメモを、と思い、書きとめていたらパスタがのびた。……のはまだいいほうで、長編に割くべき時間がすっかり食われてしまった。(なにしろ子どもが帰ってくるまでが勝負なので)
今日も春たけなわの陽気だ。桜や花見の話が書きたくて仕方がない。そんなことしてたら、某公募の締め切りを落としてしまうのに。(>_<)
毎年春の光は恨めしい。
タイトルは「くまのプーさんと大嵐」より。
今日はなぜか行事がやたらと集中した一日。あんまり見事なので書き留めてみる。
大雑把に書き出すとこんな具合。
・娘が友だちとバスツアーでスペイン村にでかけた(朝の7時出発・夜の7時帰着)
・午前中は息子の金管バンド部が「6年生を送る会」を開催(手伝いにいかなくてはならない)
・午後は息子の習い事の送迎
・夜はオーケストラの練習。(指揮者来団日なので遅刻も欠席もしたくない)
あとは当然のこととして家事一式。土曜の夕食は、いつもなら娘にまかせるのだが、今日はそれができない。ちなみにダンナは仕事。
まあ、忙しいとかいいながら息子といっしょに「銀魂」をちらちら見て大笑いしたり、手すき時間に本をパラパラめくって読んでいたりしたけどね。
ああ、世間ではホワイトデーなんだって?
今日はなぜか行事がやたらと集中した一日。あんまり見事なので書き留めてみる。
大雑把に書き出すとこんな具合。
・娘が友だちとバスツアーでスペイン村にでかけた(朝の7時出発・夜の7時帰着)
・午前中は息子の金管バンド部が「6年生を送る会」を開催(手伝いにいかなくてはならない)
・午後は息子の習い事の送迎
・夜はオーケストラの練習。(指揮者来団日なので遅刻も欠席もしたくない)
あとは当然のこととして家事一式。土曜の夕食は、いつもなら娘にまかせるのだが、今日はそれができない。ちなみにダンナは仕事。
まあ、忙しいとかいいながら息子といっしょに「銀魂」をちらちら見て大笑いしたり、手すき時間に本をパラパラめくって読んでいたりしたけどね。
ああ、世間ではホワイトデーなんだって?
先日書店で、新訳版の「移動祝祭日」と短編集3(「蝶々と戦車」/「何を見ても何か思い出す」)を買ってしまった。移動祝祭日は原書を持っているので、まずはそれを読了してから日本語版を読むとして、今日は短編を二つ読んだ。
本物のハードボイルドだとため息が出た。あんまりカッコよくて、しばらく意識が現実世界に戻ってこれなかった。昨今のラノベやアニメのバトルシーンなんか足もとにも及ばない迫力と真実味。
それも当然だろう。ヘミングウェイは従軍記者として戦争を取材している。人が撃たれて死ぬ場面を何度もリアルに見ているし、命の危険を感じたこともたびたびあったに違いない。想像の世界でなく、実際の経験を元に書いているので、リアリティや文章の重みが全然違うのだ。
生と死がせめぎあう世界を見てきたからこそ、無頼漢な主人公をごく自然に描き出せるわけだし。
迫力満点の海釣りのシーンもまたしかり。実物を知ってる人しかあの描写はできないな。あんまりリアルなんで、ホエールウォッチングの時に乗った船のことを思い出して船酔いしそうになったぐらい。
学生の時、卒論を書かなくてはいけないので必死で短編集やら「日はまた昇る」や「老人と海」を読んだりしたが、その時はどう頑張っても内容を消化し切れなかった。もちろん、消化しきれないなりに影響は受けたらしく、それに気づいたのは、ものを書くようになってからだった。
たぶん、今ならかなり味わい深く読めるはずだ。
本物のハードボイルドだとため息が出た。あんまりカッコよくて、しばらく意識が現実世界に戻ってこれなかった。昨今のラノベやアニメのバトルシーンなんか足もとにも及ばない迫力と真実味。
それも当然だろう。ヘミングウェイは従軍記者として戦争を取材している。人が撃たれて死ぬ場面を何度もリアルに見ているし、命の危険を感じたこともたびたびあったに違いない。想像の世界でなく、実際の経験を元に書いているので、リアリティや文章の重みが全然違うのだ。
生と死がせめぎあう世界を見てきたからこそ、無頼漢な主人公をごく自然に描き出せるわけだし。
迫力満点の海釣りのシーンもまたしかり。実物を知ってる人しかあの描写はできないな。あんまりリアルなんで、ホエールウォッチングの時に乗った船のことを思い出して船酔いしそうになったぐらい。
学生の時、卒論を書かなくてはいけないので必死で短編集やら「日はまた昇る」や「老人と海」を読んだりしたが、その時はどう頑張っても内容を消化し切れなかった。もちろん、消化しきれないなりに影響は受けたらしく、それに気づいたのは、ものを書くようになってからだった。
たぶん、今ならかなり味わい深く読めるはずだ。
↓でつぶやいていた、中学生主人公の長編が、今日どうにか脱稿。ばんざい。
結局90枚になった。当初の設定から考えるとこんなもんだろうという長さ。
同人誌のメンバーに送ったので、あとは合評会というまな板の上でミンチ(?)にされるのを待つばかり。
成型肉じゃないが、一度ミンチにならないと、練れた作品に仕上がらないのだ。ま、麦踏み(ひょっとして死語?)みたいなもので。
今日はこれでお仕事終了かと思えば、まだやっかいなものが残っていた。
「息子への手紙」だ。
今月5日に授業参観がある。そのとき、息子のクラスでは10歳を記念して1/2成人式というイベントをする。生まれたときや幼い頃のエピソード、名前の由来などを自分で調べた上でレポートにまとめ、発表するというもの。
それで、授業の最後に親からの手紙を子どもたちに渡すそうだ。手紙を担任に渡す締め切りが明日。そう、明日の朝には子どもに持たせなくてはいけない。
(もちろん茶封筒に密封して)
しかし、毎日顔を合わせ、叱ったり文句を言われたり、笑ったり笑われたり……を繰り返している我が子相手に、改まって何を言ったらいいのやら、
マジで困っている。あまりにシンプルな手紙を書いても、がっかりするだろうし、名づけの本当のエピソードなんて絶対にばらせないし。
まあ、一番の問題は、何を書いてもこっ恥ずかしくて仕方ないという、親側の心理にあるわけで。一週間で長編を仕上げろと命じられるほうがまだマシかもしれない。困った困った……(以下エンドレス)
結局90枚になった。当初の設定から考えるとこんなもんだろうという長さ。
同人誌のメンバーに送ったので、あとは合評会というまな板の上でミンチ(?)にされるのを待つばかり。
成型肉じゃないが、一度ミンチにならないと、練れた作品に仕上がらないのだ。ま、麦踏み(ひょっとして死語?)みたいなもので。
今日はこれでお仕事終了かと思えば、まだやっかいなものが残っていた。
「息子への手紙」だ。
今月5日に授業参観がある。そのとき、息子のクラスでは10歳を記念して1/2成人式というイベントをする。生まれたときや幼い頃のエピソード、名前の由来などを自分で調べた上でレポートにまとめ、発表するというもの。
それで、授業の最後に親からの手紙を子どもたちに渡すそうだ。手紙を担任に渡す締め切りが明日。そう、明日の朝には子どもに持たせなくてはいけない。
(もちろん茶封筒に密封して)
しかし、毎日顔を合わせ、叱ったり文句を言われたり、笑ったり笑われたり……を繰り返している我が子相手に、改まって何を言ったらいいのやら、
マジで困っている。あまりにシンプルな手紙を書いても、がっかりするだろうし、名づけの本当のエピソードなんて絶対にばらせないし。
まあ、一番の問題は、何を書いてもこっ恥ずかしくて仕方ないという、親側の心理にあるわけで。一週間で長編を仕上げろと命じられるほうがまだマシかもしれない。困った困った……(以下エンドレス)
本当にささやかな小ネタです。
ミクシをやっていると、あちこちで懐かしい顔に出会う。基本的に出会いを促すSNSだから当然といえば当然かもしれない。
それで学生の頃の先輩や後輩とマイミク関係になったりして、メッセージをやり取りしたり日記にコメントをつけに行くことになる。
普段はHNで呼び合い、大人の付き合いをしているところへ、完全にプライベートな通信で昔のように「先輩」と呼ばれたりすると、それはそれはくすぐったくてくしゃみが出そうになる。それも埃っぽい空気を吸ってムズムズ……というよりは、太陽を直視しようとして目から鼻にかけてくすぐったくなる、あの感覚に似ている。
今日はそれだけ。山なし落ちなし意味なし。(ちょっと違うか/汗)
ミクシをやっていると、あちこちで懐かしい顔に出会う。基本的に出会いを促すSNSだから当然といえば当然かもしれない。
それで学生の頃の先輩や後輩とマイミク関係になったりして、メッセージをやり取りしたり日記にコメントをつけに行くことになる。
普段はHNで呼び合い、大人の付き合いをしているところへ、完全にプライベートな通信で昔のように「先輩」と呼ばれたりすると、それはそれはくすぐったくてくしゃみが出そうになる。それも埃っぽい空気を吸ってムズムズ……というよりは、太陽を直視しようとして目から鼻にかけてくすぐったくなる、あの感覚に似ている。
今日はそれだけ。山なし落ちなし意味なし。(ちょっと違うか/汗)
三が日も過ぎようかというころになって、やっとこの場所に来れた。人付き合いの少ない表のブログでも、やはり挨拶に出向きたい常連さんはいるわけで、その方々への書き込みをすませたのがついさっき。
なんだか今年のお正月は忙しかった気がする。家事と子どもたちの世話にいつも以上に追われていたような。
双方の実家へ行くのは例年のことなのでいいとして、思い返してみると、諸悪の根源は風邪だ。というか、正確には風邪を口実にぐうたら眠り、食後の休憩が長くなったことだと言うべきか。
ただ、実際にしんどくて動けなかったのは確かだし、たっぷり眠ると気分が安定するというのもよくわかった。無理は効かない年なんだなあ。
さて、当ブログの今年の予定は。
なにはともあれ、連載中の小話シリーズをきちんと終わらせなくてはいけない。ひょっとすると、来年に延びることがあるかもしれないが、とにかく納得のいくように書いて終わらせたい。
修行のために書き綴っている小話だけど、それが確かに栄養になっていると、表用の作品を書いているとよくわかる。
あとは、他の作品の進み具合に応じて進行状況などちょぼちょぼと書きついていけたらいいと思う。毒吐きなひとり言は気の向くままに。
なんだか今年のお正月は忙しかった気がする。家事と子どもたちの世話にいつも以上に追われていたような。
双方の実家へ行くのは例年のことなのでいいとして、思い返してみると、諸悪の根源は風邪だ。というか、正確には風邪を口実にぐうたら眠り、食後の休憩が長くなったことだと言うべきか。
ただ、実際にしんどくて動けなかったのは確かだし、たっぷり眠ると気分が安定するというのもよくわかった。無理は効かない年なんだなあ。
さて、当ブログの今年の予定は。
なにはともあれ、連載中の小話シリーズをきちんと終わらせなくてはいけない。ひょっとすると、来年に延びることがあるかもしれないが、とにかく納得のいくように書いて終わらせたい。
修行のために書き綴っている小話だけど、それが確かに栄養になっていると、表用の作品を書いているとよくわかる。
あとは、他の作品の進み具合に応じて進行状況などちょぼちょぼと書きついていけたらいいと思う。毒吐きなひとり言は気の向くままに。
表は普段のテンプレに戻しましたが、こちらは更新が続く都合上、お正月明けまでこのままでいきます。
といいますか、ずっとこのデザインでもいいなあと思い始めた今日この頃。いえ、ちゃんと戻しますから。
といいますか、ずっとこのデザインでもいいなあと思い始めた今日この頃。いえ、ちゃんと戻しますから。
今日、ネットを立ち上げ、ニュースサイトを見たら「名古屋港で恒例の花火大会」という記事が目に入った。昨日は仙台の大イルミネーションの話題。電飾に見とれる人々の写真もある。
その少し下には、いわゆる派遣切りで職を失い、年末年始に行く当てのない人々が急激に増えたとの記事。そういう人たちにとって、やたらに輝きまくるこの時期のイルミネーションはどう映るのかなぁと考えてしまった。
子どものころはただ楽しみだったクリスマスが、成長するに従い無関心あるいは他人ごとになり、子どもを持つようになると重荷になった。今ではなんだか凄く不自然さを感じる。
だって、日本の伝統として、由緒正しい年越し&お正月の行事があるのに、何でわざわざ欧米の年越し&新年のお祝いの習慣(=クリスマス)を取り入れなきゃいけないのか。
日本のクリスマスがモノを売るためのイベントと化しているのは、日本人にとって、クリスマスはもともと余分な年中行事だから?という気がしてしかたない。
さらに最近では、ただモノが行き来するだけのイベントであることが後ろめたいのか、クリスマスに何らかの意味を与えようとする動きが強くなっているように思える。何らかの意味を与える、というのは平たく言えば「思い出作り」。個人的に意味のある日にしよう、しなくちゃいけないという世間の風潮。具体的には、家族あるいはカップルで何か心に残ることをする日、みたいな空気。とにかくキリスト教やユダヤ教的な「神」の入り込む余地はない。
どうもそういう流れが自分的に居心地が悪くて、余計にクリスマスは家に引きこもりたくなるし、実際は出歩く暇もないのだが、ふと思う。「嘘から出たまこと」いう諺にあるように、もしも何百万人もの人々が「この日を記念日にしたい」と願って、そうなるように行動したなら、その日がたとえ、本来特別な日でなくても、記念日にふさわしい特別な空気をまとうのだろうな、と。
百年後の日本のクリスマスは、いったいどうなっているんだろう。現状と大して変わらないのか、消えてしまっているのか。ひょっとすると宗教性を帯びた儀式へと進化しているのかもしれない。
その少し下には、いわゆる派遣切りで職を失い、年末年始に行く当てのない人々が急激に増えたとの記事。そういう人たちにとって、やたらに輝きまくるこの時期のイルミネーションはどう映るのかなぁと考えてしまった。
子どものころはただ楽しみだったクリスマスが、成長するに従い無関心あるいは他人ごとになり、子どもを持つようになると重荷になった。今ではなんだか凄く不自然さを感じる。
だって、日本の伝統として、由緒正しい年越し&お正月の行事があるのに、何でわざわざ欧米の年越し&新年のお祝いの習慣(=クリスマス)を取り入れなきゃいけないのか。
日本のクリスマスがモノを売るためのイベントと化しているのは、日本人にとって、クリスマスはもともと余分な年中行事だから?という気がしてしかたない。
さらに最近では、ただモノが行き来するだけのイベントであることが後ろめたいのか、クリスマスに何らかの意味を与えようとする動きが強くなっているように思える。何らかの意味を与える、というのは平たく言えば「思い出作り」。個人的に意味のある日にしよう、しなくちゃいけないという世間の風潮。具体的には、家族あるいはカップルで何か心に残ることをする日、みたいな空気。とにかくキリスト教やユダヤ教的な「神」の入り込む余地はない。
どうもそういう流れが自分的に居心地が悪くて、余計にクリスマスは家に引きこもりたくなるし、実際は出歩く暇もないのだが、ふと思う。「嘘から出たまこと」いう諺にあるように、もしも何百万人もの人々が「この日を記念日にしたい」と願って、そうなるように行動したなら、その日がたとえ、本来特別な日でなくても、記念日にふさわしい特別な空気をまとうのだろうな、と。
百年後の日本のクリスマスは、いったいどうなっているんだろう。現状と大して変わらないのか、消えてしまっているのか。ひょっとすると宗教性を帯びた儀式へと進化しているのかもしれない。
この12月から息子の部活の世話役を引き受けることになり、他のお母さんたちと世間話をする機会が増えた。息子の学年は、母同士のつきあいがあまりないので、新鮮な情報がいっぱいだが、驚くこともある。
先日「○○君のお母さんが亡くなったこと、知ってた? もう1年ぐらい前だけど」と聞かれた時にはびっくりした。名前ぐらいしか知らないが、娘の同級生のお母さんだ。癌と診断され、一年の闘病生活ののちに亡くなったそうだ。
また、一ヶ月ぐらい前に、やはり娘の同級生のお父さんが亡くなっている。こちらは事故のよう。
これまで、近所で人が亡くなる話といえばたいていどこかの家のご隠居さんだったのに、同世代の人が亡くなる話をたびたび耳にすると、身近に感じすぎてちょっと凹む。成長途上の子どもたちを残して人生の盛りに逝くのはさぞ無念だろうと想像する。
真っ当に生きることから逃げるのは卑怯この上ないなーと珍しく殊勝な考えを起こした数日間なのだった。
先日「○○君のお母さんが亡くなったこと、知ってた? もう1年ぐらい前だけど」と聞かれた時にはびっくりした。名前ぐらいしか知らないが、娘の同級生のお母さんだ。癌と診断され、一年の闘病生活ののちに亡くなったそうだ。
また、一ヶ月ぐらい前に、やはり娘の同級生のお父さんが亡くなっている。こちらは事故のよう。
これまで、近所で人が亡くなる話といえばたいていどこかの家のご隠居さんだったのに、同世代の人が亡くなる話をたびたび耳にすると、身近に感じすぎてちょっと凹む。成長途上の子どもたちを残して人生の盛りに逝くのはさぞ無念だろうと想像する。
真っ当に生きることから逃げるのは卑怯この上ないなーと珍しく殊勝な考えを起こした数日間なのだった。