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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

〈連絡先〉
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〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
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朝、目覚ましがわりに使っているラジオからこんなトークが聞こえてきた。「クリスマスだからこそ、今日一日は良い自分でいようというのが私の考えです」みたいな。
ああ、そういう考えもあるんだと感心しつつ、あまりピンとこなかった。

自分的には、J・レノンのクリスマスソングがイチ押しだ。
「白人も黒人も、黄色い肌の人にも、赤い肌の人にもメリークリスマス」という意味のフレーズがあって、そこがとても好きだ。ちなみに黄色い肌=アジア系、赤い肌=ネイティブアメリカン。ま、要するに世界中の人たちにメリークリスマスということなんだけど。

でもあれだね、この曲から連想するのは、自分が愚かでちっぽけな存在であるのとしたら、世界のあちこちに散らばっている人々だってみんなそうなんだ、だから馬鹿げた争いはやめよう、目くそが鼻くそを罵ってどうする、というメッセージ。もちろん、レノンが実際に目くそや鼻くそをイメージしたとは思えないけど(笑)、でも、否が応でも超越者としての神を念頭に置かざるを得ない欧米人なら、やはり「ちっぽけな人間」という発想が出てくるだろう。

で、どんなに情けない人間の上にも恩寵が降りてくるという意味でクリスマスはめでたいんだろうな。もし恩寵が人の姿をとるならば、それは赤い衣装に身を包み、トナカイのそりに乗ったおじいさん…かもしれない。

そして予想通りというか、治り切らない風邪にふりまわされてというか、お題の完走が間に合わなかった管理人だった。_| ̄|○ 
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最近小話ばかり続いていたので、このへんでしばし休憩。

12月に入ってから、自分的に大きなイベントが二つあった。ひとつは同人誌の合評会。12月は1年の総まとめなので、いつもと趣向を変え、現役作家を呼んで各々の作品について講評してもらう。
もうひとつは、クリスマスコンサート出演。もちろんびおら弾きとして。コンサートの中に楽器紹介コーナーがあり、びおらのソロを聞かせる場面があった。分量的にはほんの数秒のメロディだったが、決して少なくない人数の前で自分の音を披露するのだから、そのプレッシャーはいかに。

面白いことに両方のイベントで同じようなことを指摘されて「へぇー」だった。
それは、受け手、つまり観客や読み手に伝わるよう表現することの重要さ。どんな分野にしても、一定のレベルまで腕を上げたら、人に見せることを意識して技術を磨けるかどうかがプロとアマの違いなんだな。
ある児童文学会の講演会に行ってきた。この分野では大御所と言って間違いない方の講演。
講演のあとは、実作合評。
なんだかもう、収穫がありすぎるというか、いろんな知識と情報を詰め込みすぎて食傷気味。
でも、最近陥っていた「物語を作りたいのに作れない」状況を打ち破る手がかりがつかめたような気がする。
土日のバタバタが過ぎ去り、さあゆっくりPCの前に落ち着くぞ、と思ったのは洗濯が終わるまで。気づいたら、玄関の模様替えからクローゼットの棚ざらえからもう、あちこち穿り返してはいらないものを探し出すという片付け魔になっていた。

近々、近所の中古屋でインテリア・ホビー関係の品が買い取り開始になると知ったせいもあるけど、自分の場合、片付けに没頭するのは一種の逃避行為。しかも子供のころから直らない癖みたいなもの。

ところが、自分がいったい何から逃避しているのかよくわからない。
あまり気乗りしない細かい用事が山積しているせいかな。いや、そうじゃない。大物がどこかに潜んでいるはずなんだけど。(そろそろ長編を書き始めなくちゃ、とかその前に資料本を読まなくては、とか/苦笑)
いじめを苦にして自殺してしまう中学生の記事が、最近よく目に付く。
まるで、そうすれば自分の訴えが届くといわんばかりに。
実際、数年前よりも今の方が学校や世間がまともに取り合ってくれるようにはなっているみたいだけど。だからといってやたらに命を投げすのもどうかねぇ。そりゃ、死んでしまったほうが生き続けるより楽かもしれないけど、ずるいなあという気がする。
カーヴァーの短編にはまったあとは、ヘミングウェイが読みたくなり、古い変色しかかった文庫本を取り出してみた。学生時代、ゼミで取り上げた「殺し屋」を読み直してみる。本当は原文がよかったけれど、あいにく日本語訳しかないのでそれを読む。
昨日は同人誌完成の祝賀会だった。会員は全員主婦なので、昼の部、アルコールなしの宴会。
皆さんお茶で酔えるクチなので、話は盛り上がったが。

実は肝心の新刊が届いていなかったりする。印刷屋の担当者が変わったので、「例年のように」はことが進まず、到着はなんと、一日後れの今日だった。たぶん今ごろは代表さんの家にダンボールが何箱も運び込まれているだろう。

さらに、これまでの在庫を片づけようということで、何十冊と余っていた過去3年分の既刊本を会員で適当に分けた。そしたら、見事にきれいさっぱり片付いた。自分は3号から5号まで2冊ずつ引き受けたものの行き先は未定。当分うちの押入れで眠ることになるだろう。


それで、こちらをご覧になっている方に。
どなたか、児童文学の同人誌に興味のある方、読んでみませんか。管理人の作品も入っていますし、それ以上に面白い作品もばんばん入ってます。お代は結構ですので。

3号…「白いハトに願いを」
4号…「ひびきの森と静謐の海」
5号…「くるみとみるく ~流れる時間と変わらぬ思いと~」

あ、よかったら新刊も(こらこら)
6号…「ナサリ ―ぼくの相棒」(手塚ワールドにまともに影響を受けた話・ロボット登場します)

もっと詳しい話を、という方は←のフォ-ムから
なんでも、村上春樹が今年のノーベル文学賞の候補にあがっているらしいので、レイモンド・カーヴァーの短編集を図書館で借りてきた。なぜなら春樹氏とって創作上の手本がカーヴァーだからだ。
図書館へ行き、子供たちに「好きな本を借りていいよ」と言ってしばらく放っておいたら、息子が動物図鑑のようなものを渡しにきた。タイトルは「そして動物たちは消えた アジア・アフリカ編」というもの。最近彼は、「昔はいて、今はいなくなってしまった生物」に興味がある。
子供向けなので、大きな挿絵やシンプルな地図が入り、解説文は必要最低限。取り上げられている生物は、哺乳類や爬虫類、昆虫も含めて14種類で、18世紀~19世紀にかけて絶滅したものが取り上げられている。場所は、ヨーロッパ諸国が植民地として開拓したところがほとんど。
人間が乱獲に走ったり、農地や居住地の開発のために生態系をこわしてしまったのが原因だ。なぜそんなことを、と思うが、大きな要因は無知と恐怖だろう。
今でこそ、さまざまな生物の生態やその貴重さが重んじられるようになったけれど、でも開発という名のものに人間以外の動物の住処がどんどん少なくなっていることに変わりはない。
この先、地球上で最後に生き残るのは本当にゴ×ブリかもしれないな。さらにはそのゴキが進化して知能を持つようになり、やがては一大文明を築くにいたり……。なんて、ここから先はあり得ないSF話になるから止めよう。
昨日はまる1日、曇りがちのはっきりしない天気で、夕方から雷がゴロゴロ鳴り続けていた。夜中になってやや激しい雨が降り出した。どうやら、その間、大雨警報が出ていたという。
朝、少しひんやりした空気の中で目がさめた。秋が来たな、と直感的に思った。外は良い天気だったが、日ざしはもう柔らかいし、影も長い。あとは、気温さえもう少し下がってくれれば、冬眠から覚めた動物みたく活発に動き回れるのに。
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