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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ

〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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同人誌の打ち上げ会。今年も新刊を出せて良かったと、会員+講師でお祝いをする。今年で9号か。来年は節目の10号。10年たったら(マンネリ化防止のため)同人誌はいちど解体させた方がいいという先生もいたなぁ。そうするなら10号刊行の際には打ち上げ花火的な派手な何かをしたいかもしれない。

覚悟をしていた同人誌の役員は再来年に繰り越しとなった。今年の役員さんが来年も引き続き続けてくれることになったからだ。その代わりに「その分作品をしっかり書いてね」だって。はい、書きますとも。

「あなたは書き続けていれば必ず本になるから」と二人の講師&大先輩に言われて、やっと書き続けるモチベーションを得る情けなさ。もし本を出したら出したでその後がもっと大変できつい日々になるだろうけどね。





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ある時期の子どもには全身全霊で不思議を信じる力が残っているという話。

児童文学作家の富安陽子さんの講演会を聞きに行ってきた。この方は児童文学畑ではベストセラー作家として名の通った方で、もともと大学で日本の文学(中世だったかな? 妖怪の出てくる物語関係)を専攻し、学生時代からすでに物語を書いて投稿していただけでなく、生まれて最初に物語を書き始めたのが10歳だったという、生粋の作家だ。
書くだけでなく、読書量もたいそうなもので、小学校に上がる前から家族に物語を読み聞かせしてもらい、字が読めるようになってからは主に海外の有名どころの児童文学作品を片っ端から読んでいたそうで、中高生になってからは一般向けの作品を次々に読破していったことはいわずもがな。
昨夜、寝る前にベランダに出た。窓を開けたとたん、南の空に輝くオリオン座が目に飛び込んできた。夜中の2時。部活の役員引継の時期になったので、そのための書類を準備して、目がさえてしまったので少し読書して睡魔が襲ってくるまで待っていたら、そんな時間になった。
一日降り続いていた雨がすっかり止んで、大気がきれいに洗われたせいか、星の数は多く、いつもより輝きが明るい。星明かりで空が明るくなる夜なんて、滅多にない。
しばらく夜空を見上げていたら、尾を引いて流れる流れ星を二つ見た。この日は獅子座流星群の極大日で、一番多く流星が見られるのが明け方の4時くらい。あと2時間頑張れば流星雨が見られるかもしれないと思いつつ、夜空があまりに綺麗なのでそれで良しとする。
星は綺麗なだけでなく、この世界が確実に宇宙とつながっている証拠でもある。ファンタジーやSFの世界設定としてではなく――つまり人間の想像力の中にではなく、リアルな現実の中に宇宙がある。その事実だけでお腹いっぱいな気持ちになった。


昨日、伊藤計劃の「ハーモニー」を読み終えて面白かったと感想を書いた。→http://violafreak.blog.shinobi.jp/Entry/978/

そこから派生した、横道にそれた感想をここに記してみる。

ヒロインのひとり、高校生の御冷ミァハが「この身体は全部わたしのものだって証明してみせる」と友人たちに向かって宣言する。その証明手段は栄養の消化吸収を妨げる錠剤を飲むこと。
彼女たちのいる社会では身体の管理は専門家やコンピューターを介して行われるものであり、不摂生はしたくてもできないどころか、あらゆる病気が予防される、あるいは兆候が発見されると同時に治療されてしまう場所だった。人々はすべて健康であることを強制される社会。だから自分で自分の身体を傷つけられるという証明=自由の証明となる。

自分がまだまだ青くて若かった頃をちょっと思い出した。あの頃はずいぶんと自虐的傾向が強かった。拒食や過食、リストカットには及ばなかったけれど、憧れは感じていたし、なぜか小さなころから何かに集中すると、無意識のうちに爪をかむとか髪の毛を一本ずつ引っ張ってはぬくとか、鉛筆のおしりをかじるとかやっていたから、もともとその傾向を持って生まれたにしても、自分で自分を傷つけたくて仕方なかったのは、やっぱり周囲に対する反発だったんだろうなぁ。その気持ちが外に向けば悪さをして学校に呼び出されただろうし、内側に向けばさまざまな形の自傷行為だ。
でも、こんなの誰もが通過する道だよねぇ。

今は、学校も親もすっかりゆるくなっちゃって、子どもたちは反抗する対象すら持てない。ある子はパワーだけを持てあまし、ある子はとんでもないところへぶつかりにゆき、またある子は反抗することを放棄する。
って、管理人がつぶやくようなことじゃないですが。

でもここに書き込みたくなるネタが、この3ヶ月ばかりほとんど浮かんでこなかったのが自分でも不思議で。
毒吐きの必要がないぐらいストレスフリーの生活をしていたのか(あり得ない)ストレスを随時消化/昇華する術を身につけたのか、ストレスを感じる神経がフリーズしていたのか。

ここに書き込むネタがない≒ここに書き込む小話も思いつかない

いよいよ物書き用の内面的なリソースが枯れてきたかと心配になってきた今日この頃。
それとも、あちこちに首をつっこみたがるB型ゆえに寄り道が多すぎて、一時的に違う方面に興味が向いているだけかもしれない。結構浮気性(お?)。
2年前に同人誌に発表した長編の書き直しにとりかかる。今日、改めて目を通して、あまりの下手さにびっくり。あの時は確かに時間的にきつかったけど、話の進行がぎこちなくて「あらすじ」と「物語」の中間地点を彷徨っている。これを何とかしてやらなくちゃいけない。
もう一つ大きな問題があって、幻想世界と現実世界をどうやってリンクさせたらいいのだろうと、その落としどころに悩む。パラレルワールドみたいに違う世界なんだけど、でも深いところでつながっている、という具合に持っていきたいけど、読み手の理解を得るのが難しいぞ。
北海道八日間の旅から帰って来たら、自分の家に違和感ありあり。まるでよその家に間借りしてるよう。二日たってもまだ微妙に馴染めない。

旅行前に生活していた時の感覚がどこかへ行ってしまった。何というか、魂の一部を北海道の原野に置いてきてしまった感じ。

この場所に限ってそんなわけありません。いつも休暇中みたいなものなので(汗)

今年の夏はいつまでたっても梅雨が明けず、空は毎日のように厚い雲に覆われている。太陽が顔を出すのは一日数時間? いい加減灰色の空にも慣れて、というか、むしろ変化に富んだ雲の表情を観察するのが趣味になりつつある。青空は綺麗だけどものっぺりしすぎている。

それと同時に、自分の脳内世界に広がる荒野の風景がどんどん濃くなってゆく。内と外が見事に呼応しているような。

書きかけの物語の断片がいくつも頭の中をよぎってゆく。すでに書き終わったものも、これから書き上げてゆくものも、千切れた映画のフィルムみたいにちらりちらりと現れては消える。


昨夜、七夕小話をアップしたあとで、続きをどうしようかつらつら考えていた。書きたい核の部分は変わらなくても、どんなエピソードを投入したらいいのかとか、人の動かし方とか、いろいろと考えるべき問題がある。ここは実験スペースなので、試したいことはいっぱいあるし。

で、深夜にパソコンの前で設定メモを見ながらうなること一時間。

少しだけ見通しがたったので、電源を落として戸締りをして家中の電気を消す。家族は皆ぐっすり眠っている。

そういえばリアル彦星と織姫のデートはどうなったんだろうと、ベランダに出た。南からしきりと雨雲が上がってきて、隠れていた満月が姿を見せたかと思うと、すぐに消えてしまう。星も同じこと。今年はかなり微妙なデートに違いない。会えるのか会えないのかはっきりせい!みたいな。

山も家々も明かり一つなく、静かなものだ。それでいて雲越しの月明かりがあたりをほのかに照らし出している。
あまりにいい景色だったので、しばらくベランダでぼんやり心を遊ばせていた。月と何を語ったかは内緒♪
定期演奏会が無事に終わった。今回は何かとトラブルが多くて綱渡りしながらの演奏会。
特に本番前日リハーサルの朝に娘が発熱したときはどうしようかと思った。万一娘が新型インフルエンザだったりしたら、自分も出演を自粛しなくてはならないのか?ただでさえ、不慮の事故ですでにVlaパートの人数が一人減っているのに?なんて。
結果的には娘はただの風邪でほっとしたのだけども、家事の手伝いはさせられないし、看病の手間がかかることには変わりない。気苦労も家事の量も1.5倍。楽しみにしていた終演後の宴会はパス。
もちろん家族を抱えながらオーケストラ活動をするなら、このぐらいの事件は覚悟の上だけども、時々思う。どう考えたって楽しい瞬間より苦労する時間の方が長いのにどうして続けているのだろうと。

話は代わって、今回の指揮者のこと。
要求がとてもシビアで、演奏中はのびのびと弾けず、絶えず緊張を強いられた。音楽的には至極当然な注文でも、音楽の表情の切り替えなど、実行する分には非常に集中力がいる。おかげでフラストレーションがたまるたまる。気を配らなくてはいけない箇所だらけで、とても音楽を楽しむどころではない。でもそれを乗り越えたところに、もう一段高い音楽の醍醐味というものがあって、それが指揮者を通じて僅かに見えてきた。

大変な思いをしなければ絶対に分からない種類の楽しみ、というか理想の境地、みたいなものがあるらしい。「もうダメかも」と思ったその先にあるもの。それはもの書きについても同じことなんだと思う。
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