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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

〈連絡先〉
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〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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いつも見ている星占いサイトにて。
誕生月を迎える最初の週の占いにこんなことが書かれていた。
「特別な星の時間」という表現を
私はこの週報で、たまに用います。
今週はさそり座の人にとって
間違いなく「特別な星の時間」と言えると思います。

「特別な星の時間」は、たとえば
幾つもある星の時計が
一つの方向を強く指し示しているような、
そんなタイミングのことです。
ところが今年の11月は、スケジュール的にも気持ち的にも恐ろしく忙しくて、とにかく毎日のタスクをこなすので精一杯。
大きな行事の連なりが一段落してから、今月の主な出来事をつらつら振り返ると……

11月8日 地域でお祀りしている薬師観音の縁日。今年は自分の町内が準備当番にあたるので、町内の奥様方を募って接待用おでんと甘酒の準備。ハイレベルな主婦が集合したので、順調におでんは完成する。

11月17日 町内の有志が集まり芋煮会。今年はただ飲み食いするだけでなく、なにか披露できる芸を、と求められて娘を生贄(笑)に差し出し、ピアノ演奏(屋外なのでキーボード持ち出し)をさせた。準備は大変だったけれど結果オーライ。美味しい豚汁とうららかなキーボードの音で皆さん上機嫌。

11月22日 息子が通う中学校でPTA主催の餅つき&餅投げ会。全校規模で行うのでPTA委員(もちろん自分もその一人)は準備が死ぬほど大変。当日は大量のお手伝いスタッフをかかえ、予期せぬトラブルにも見まわれ、テンション上がりっぱなし。しかし、子どもたちは大喜び。立ち働いたスタッフはお腹も心も満腹に。

あとはなぜか女性セミナーに出ることになったり、地元の公民館主催の教養講座を受けることになったり。新美南吉をネタに読書会の開催もした。朗読会を開いた友人を応援しに遠出した。

もしも星占いが告げるように、11月の星回りが何らかの方向を示しているとすれば。
それは、少年漫画みたいだけど、仲間と何かミッションを成し遂げること。だと読んだ。

自分は本質的にマイペースで、自分にしかできない特別な作業、みたいなものをコツコツとこなすとが好きだし、そういうのが得意だと思っていた。……じゃなくて、思っている。

でも星回りによると、それはいったん脇に置いといて、他人と組んで何か面白いことをやってみたらどうよ、ということらしい。まあ、興味がないわけではないけど、そのことを考えると何だか、スカートをはいたままテレビ塔のてっぺんに立つような、足元がスースーする落ち着かなさを感じるのよね。
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自分の趣味全開でテンプレを選ぶことができる。
いや、表のブログだと一応、不特定多数のお客様が来るので、できるだけ色んな人に読みやすく、がモットーなのよ。例えば読みやすいフォントのサイズとか、配色とかね。

ハロウィンに何もしないのは寂しいので、今年は裏のテンプレを変えてみた。最初はカボチャとかオバケとか魔女が出てくるものを探していたけれど、近年はあまり良い物が見当たらないので、ダークで幻想的な雰囲気のものにまで検索範囲を広げてみた。それで、コレ。

ダークサイドオブザムーンという言葉もあるし、なにより密やかな月の光は人の心の裏側を照らしだす気がして、昔から月のモチーフは好きだったから。

せっかくだから掌編でもひとつ上げようか。
ちょっと早いけれど今年の夏のまとめをしてみよう。
いやね、なんだか今年の夏はクソ暑かっただけで、「夏を遊んだぜぃ!」という感触が皆無なので、じゃあいったい何をしているうちに夏が過ぎたのか振り返ってみることにした。
ここで言う「夏」は7月と8月を指すものとして――


表のブログで書いたように、先日、ワーグナーの歌劇「パルジファル」の全曲版を聞いてきた。演奏会そのものについての感想は表ブログで書き綴ったが、パルジファルという劇そのものについての考察は別枠で書いたほうがいいだろうと思い、とりあえずはここに書く。
えー、この話題は今表に出すには差し障りがあるので、裏でひっそりと吐き出してみる。

子どものころ、学校の図書館に唯一置いてあった漫画、それが原爆体験を描いた「はだしのゲン」だった。当時の同級生たちはまず好奇心で手を出し、「実は結構コワイ」「グロい」(今風の言葉を使えば)、などと言いつつ、逆にそういう話を聞くと「ホントにコワイの?」と幽霊屋敷に勇んで入るような心持ちでその漫画を手に取ることもあったと記憶している。そしてそれが決して怖かったりおぞましかったりするだけの描写ではないことを感じ取っていったはずだ。自分も含めて。

その「はだしのゲン」について、過激な描写を理由に某市の教育委員会が市内の全小中学校に閉架措置を求めた。そして市内の全校が応じた。さらに教育委員会は児童生徒への貸し出し禁止も要請していたという。

最初は虚構新聞かと思った。そのぐらいナンセンスな話だ。食べ物で例えるなら子ども向けのメニューから唐辛子やゴーヤーをすべて除去してしまうようなもので。

でもこの件については、まともな人たちがSNSなどでさんざん非難しているので、今は動向を見守るのみ。

実はこれに近い経験が身近で起きたので、その話が書きたい。
先週は訃報だらけの一週間。
二年と三ヶ月にわたってうちで世話してきたイヌが、飼い主のもとへ返却された翌日に死んでしまったのがトップで、その三日後にはイヌの初代飼い主さんが亡くなり、同じ日に町内の方が亡くなられた。
お通夜→葬儀→お通夜(ダンナ氏のみ出席)→葬儀のコンボでへとへと。
その翌日からも容赦なく予定が詰まっているし。

たしか先週の前半は、ペットロスをなめたらイカンと思い知った日々であり、鬱々としていたところ、その後、超絶に忙しかったおかげで、はっと気づけば一週間たっており、イヌと一緒に生活していたのがはるか昔のことのよう。むしろ、イヌがいなくなったおかげで清潔で静かな環境が戻ってきて、今はとてもほっとしている。

また、老いた人が亡くなることは、確かに失うものは多いし悲しいことではあるのだけど、世代交代を円滑に進めるためにはどうしても必要なんだよね。特に若い世代が独り立ちするためにね。葬儀を2件立て続けに見てそう感じた。

ちょうど一年の折り返しにあたるこの一週間、各方面で区切りとなる出来事があったのだなあと、感慨すら覚えている真っ最中。
先日、古い友人と温泉デートをした。
彼女とは、1年~半年に1回のペースで会うのだけど、合うたびに、彼女が私に対して抱いてる印象と、実際の自分の象が微妙にズレたままなのがわかる。
恐らく彼女の中にいるのは学生時代の私であり、あれから私の中身は、以前の自分がどうだったかよく憶えていないほど変わってしまったせいもあって、更新が追いついていないのだと思う。

逆もまた然りで。というか、学生時代、私がきちんと彼女の本質を捕まえていたのかというと、かなり怪しい。自分の見たいものを見たいようにしか見てない年頃だったからね。今、この歳になってようやくありのままの彼女を見つけようとしている。まるで新しく知り合ってゆく友人のように。

私たちはいったい誰を、何を相手にしゃべっているのだろう。ときどきわからなくなる。
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
をようやっと読み終えた。
本当は4月中に読み終えているはずだったのが、ありがたいことに某方面から大量に本を貸していただき、そっちの消化で忙しかったのだ。それにヤボ用もたくさん入ったし。

で、春樹ファンとして、期待に満ちて(だって、いかにもそそるようなタイトルw)読み進めたのだが。

途中まではいつもの調子でなかなか面白かった。
ところが最後のクライマックスがあまりにも直球すぎて、物語としての面白みが削がれてしまったような気がする。
これまでの作品では具体的な描写が省かれてきた「暴力」(魂を損ない、人生を曲げてしまう大きな力)について、この作品ではかなりはっきりとした形で描かれている。だから暴力によって傷つけられた主人公たちの回復の手順も比較的わかりやすい。美しい大自然の中、はっきりとした言葉の応報によって傷を受け入れる準備ができる。これがほかの作家なら感動できていたものを、なまじ村上ファンなので物足りなさを感じる。これまでの村上作品は、暗示的でわかりにくさが多かった分、言葉ではどうしても届かない闇の境地へ導かれる感覚があったのに、今回はそれがあまりなかったので残念。

ただ、魂の癒しというテーマは確実に読者の心に届くだろう。深い傷をいかに乗り越えてゆくか、が丁寧に描かれていて、ある種の人たちにはクリティカルヒットに違いないと思わされる。特に主人公と同じか、もう少し若い人たち。十代のころにやらかしてしまったあれこれで、魂に傷がついてしまったままなすすべもなく過ごしてきた人たちにはちょうど良い本なのでは、と思う。
あるいは震災(阪神や東北)で図らずも傷ついてしまった人たちへのエール。作者にしてみれば、いつもの文体をある程度犠牲にしてでも伝えたいテーマだったのかもしれない。

これからインタビュー記事その他に目を通してゆくので、村上氏の思惑が多少はわかってくるかもしれない。
愛読している星占いサイトにて、今週のさそり座についてこんなことが書かれていた。

先週も「人に会う」ことを書きました。
今週も、「出会い」の気配が続いています。
今週は特に、
特別な縁を感じるような出会い、
そこから特別な物語が始まるような出会い、
深く意味を考えたくなるような出会い、
新しい自分を引っ張り出されるような出会い、などの気配が濃厚です。


日頃から引きこもり大好きの自分が、この時期は出会いの季節になるだろうと占いに出ているのを見て、いやいやいやそんなになるわけがないと思っていたが、振り返ってみれば本当に怒涛の出会いだらけだった。

この一週間というもの、普段から付き合いのある人もない人も関係なく、濃い出会いとか語り合いとかが何件も発生した。家族(広い意味での)、職場の人、買い物をしたお店の人、共通の趣味を持つ人などなど。そのたびにMP(RPGで言うところのマジックポイント、つまり魔法を使うための精神力)を激しく消費し、復活するまでに時間をくったわけだが、総合的に見ると何か新たなパワーみたいなものが心の底に蓄積されてゆく感じで悪くない。

でも少し引きこもってこれまでの出会いをきちんと消化したいんだけどな。たまったレシートを丁寧に家計簿につけてゆくみたいに。

それから。はやく物書きができる環境を整えなくては。
今年はぶっちゃけ、大変に忙しい年だ。

町内会長がまわってきた。町内のお世話係だ。こういう自治会関係の組織は土地によって随分違うので、「会長が大変」といってもピンとくる人は少ないだろうし、あまり細々説明することもしないが、まさに「お世話係」という言葉がぴったり来るぐらい雑用が多い。イベントがあればその手配。出席者の取りまとめ、弁当や懇親会の準備・買い出し、会費集め、自治会からのお知らせを回覧板でまわす、苦情受付などなど。

大変だけれど、最近犬の散歩中にふと「町内のお世話をさせてもらっている」という考えが浮かんだ。それから、勤め先の掃除のおばちゃんの「人様の役に立つっていいことだねぇ」という口癖。だんだん実感として身体に染みてくる。自分が動くことで世の中の歯車の一部が回っていることを感じると、軽く快感を覚える。いわゆる「やりがいを感じる」というやつだ。

家に引きこもり、ひたすら物書きに邁進していた頃と比べると、仕事に出ていることや犬の世話をしていることもプラスされてずいぶん日常生活の雑務が増えたなと思う。オケ活動を休止したのでなんとか回っている感じ。もっとも、ピアノの練習にもそれなりに時間を割くので、ビオラをピアノに変えただけ、という話もあるし、何のはずみか読書会まで始めてしまった。

この二年でたくさんの人と知り合い、経験値は大幅に上昇した。これからもこなさなければいけない「お仕事」がそれこそ津波のように押し寄せてくるのがわかる。それらを何とかかい潜りせっせと働き、一段落した先には何があるのだろうか。そもそも「一段落」が来るのだろうか。

経験値がそのまま物書き力に反映されれば言うことないんだけどなー。
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