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心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake

〈趣味〉 創作とクラシック音楽

〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで

〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。

〈連絡先〉
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〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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大学オケの顧問の先生がこの2月に亡くなり、今日はOB・OGによる追悼演奏会だった。
参加者募集のメールが届いた時、乗ろうかどうしようか迷い、結局練習予定日がいつになるかわからなかったので、見る側にまわることにした。
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この春にちょっと変わった出会いをしまして。

普段は聞き役にまわる自分が、聞いてもらう立場になりました。家族以外では初めてです。

「聞いてもらう立場」って意外と恐ろしいものだと知りました。自分の心の中をさらけだしちゃいますからねー。さらけ出した上で万が一否定されたりしたら、もう逃げ場がないわけです。スカートはいて崖っぷちに立つようなスースー感がありました。

でも、その怖さを乗り越えるとか、慣れるとかすると、新しい人間関係の形が見えてくることもわかりました。新しい自分の姿も見えます。今まで通りに自分を否定しながら生きてゆくスタイルがどんなものかもよく見えます。すると、否定にも肯定にも好きな方に回れるので便利です。選ぶ自由が一つ増えて、また「道化師の蝶」レベルが上がったかも。

もうね、自分は欠落を傍らにおいて生きる生き方を選択してしまって、それがすっかり心身ともに馴染んでしまったというのが、嫌でもわかりましたね。だから自由度が高いんですが。

ホームオケの本番が終わって一週間後、もう一つのオーケストラの練習に顔を出す。ブルックナー8番の練習。
その日は仕事がどうしても休めず、午前のみの出席になってしまう上、ろくにさらってもいないのだが、弾けても弾けなくても音楽の中に身をおくことは大事だし、せっかく本番前の(やけくそ的な)猛練習でエンジンがかかってきた腕や手を怠けさせたくないもので。

しかし、行ってみれば出席率はあまりよろしくない。たまたま近隣のオーケストラで来団練習が何件かあったようで、掛け持ちしている奏者はそちらに行ってしまったらしい。特にビオラとかチェロとか1プルートです。ベースは無人だったし。

それでも壊滅的にならない中低弦。弾ける人がちゃんといて支えていたからだった。全然できない組の自分は、ブル8は2回めだというビオラトップとチェロの大先輩に挟まれて、非常に美味しい思いをしながらなんとか3楽章をしのぐことができた。

弾ける人の隣に座るととても楽。ピッチや呼吸はすべて合わせればいいし、合わせながら弾き方や音程もマスターできるし、同じ2時間の練習でも得られる情報量は普段の倍、もしくはそれ以上になる。他の楽器も上手い人が多いせいか、スムーズに音楽の中に入れてとても楽しい。

実は、いつもホームオケでは弾いても弾いても不完全燃焼の感があって、なんでだろうとずっと疑問に思っていた。先日の練習と比較して思うに、音楽がバラバラしていて一体感が得られないからなんだろうねえ。これは技術の問題もあるけれど、やはり合わせようという意志が足りなかったり、全体の中の一部分を演奏している、という意識が少なかったり、そもそも音楽が一体となった美味しい瞬間をあまり体験してないせいもあるんじゃないかと思った。
例えば、本番で弾いたベートーヴェンの8番。お客さまの反応はともかく、団員の中では「弾いていて楽しかった」という声が聞こえて、ああいう楽しさが合奏のたびに味わえたら、そりゃ練習に熱も入るというもの。




二日前に娘さん、今日は息子くんの入学式が終わり、怒涛のダブル受験シーズンがとうとう終息した。今日、式典会場だった体育館が恐ろしく冷えていたせいもあるのだろうが、式が終わったらどっと疲れが出て、もうひたすら桜の花を眺めつつ眠りたい感じ。

今抱えている雑用は、子どもたちの進学関係だけではなく、町内会引き継ぎの後始末、オーケストラのお仕事、新しく参加することになったもうひとつのオーケストラのための譜読み作業、読書会の手配、新しくインターネット回線を引くことになった実家のお世話などなど、たくさんあるので、本当はゴロゴロ寝ている場合ではないのだけど。まあ、実際に寝ているわけではないが、どうも体の動きが鈍くてなかなか作業がすすまない。

一方で、昨年末の女性セミナーをきっかけに知り合った方のFB投稿を見ていると、毎日が、仕事と勉強と家事育児とで、とても充実していてすごいなーと思う。あんなに動いて燃料切れを起こしたり燃え尽きたりしないのかなって。

もちろん彼女の方が自分よりは若いので、体力的な差はあるのだろうけど、一番大きな差は「やりたいことをやっているか」どうか、なんだよね。よく言われていることだけども、好きでやっていることはたとえ死にそうに忙しくてもどうにかしのげるし、精神的に消耗することもない。でも今の自分のように頼まれ仕事とか、本当はやりたくないけどしがらみで受けてしまった作業などに圧迫されているとダメだね。体力以上に気力が削がれる。

これまでとにかく義務感に支えられてで気の進まない雑用を片付けてきたけれど、ひとつの区切りがついたことで、気持ちがふうっと緩んでしまったのだろうなあ。

ということで、心の中に満開の夜桜を思い浮かべてエアお花見。その桜の下ではたぶん、猫と死神が街を眺めている。
先だっての日曜日、妹家族+両親がうちの近くに遊びに来た。楽しめそうな施設を案内したわけだが、その時に妹が言うには「お姉ちゃんの雰囲気が前に会った時(昨年のお盆)とすっかり変わっていて、最初はわからなかった」という。そういえば母もほんの5メートル離れた人混みで手を振る自分の娘が認識できなかったようだし(普段はできる)、いったい自分に何がおきたんだろうと思う。

早いもので、我が家の二人の子どもたちはそれぞれ中学卒業・高校卒業という節目を迎えた。
それは同時に高校受験・大学受験という人生初期の受難を乗り越えることでもある。

下の息子はともかく、上の娘の最初の受難は三年前の高校受験の時だったなと懐かしく思い出した。ちょうどダンナ氏の実家が家事で焼けて、義父が亡くなり、老犬の世話を引き受けることになった大変な時期のことだ。老犬のお世話グッズを買いにペットショップに行った時、とんでもなく大きく長い揺れに遭遇したことはよく覚えている。今思えば、あの時の日本は物理的に揺れただけでなく、存在意義全体が大きく揺れ、フェイクだったものがすべて壊れたのだ。

無事に高校進学を果たした娘のことはさておいて、義父が亡くなった後の処理が大変なことになって、自分たちを含む残された家族は「遺産」にずいぶんと振り回されたものだ。ダンナ氏はしまいには神経が弱って専門医にお世話になる始末。

あれから三年経って、ようやく何もかもが落ち着いて「普通」に生活できるようになってきた感がある。でも完全に元通りというのはあり得なくて、新しい形が整ってきた、というべきか。

老犬は昨夏に初代飼い主のもとへ帰り(他界したともいう)、焼けた家から持ちだしたあれこれは、先日ほとんど処分を済ませた。子どもらは新しい進学先へ。ダンナ氏はゆるゆると調子を取り戻している。

自分はというと、オーケストラ活動は相変わらず、できるときにやるという微妙なスタンスを保ちつつ、一度は止まりかけた創作活動は少しずつ復活しつつある――それもかつて所属していた同人誌に復帰することはせず、違う道を模索する方向をとって。

そしてこの国の社会情勢は震災以降、新しい形が整う兆しもなく崩れたままだ。口当たりのいい言葉、威勢のよい言葉がリアル世界の表層をするりするりと滑り落ちるばかり。

今はただ、ひりひりする感情をなだめながら世界を見つめるのが精一杯で、黙祷もできなければ鎮魂の言葉を口にすることもできないのだ。

村上訳の「フラニーとズーイ」が刊行されたので、さっそく買って読んでみた。サリンジャーは今更という気がしないでもなかったけれど、春樹氏はどんな風にサリンジャーと格闘したのだろうと、その好奇心を満たすために読んだようなものだ。
読書会を開き始めてはや一年。
二ヶ月に一度のスローペースだけども、参加者の人達が楽しんでくれているのが嬉しい。

が、うまく参加者の感想を引き出すのは難しい。本の当たり外れ、というのも多少は影響するけれど、それだけではなく、誰もが持っているものの見方のクセ、のようなものが新しい気付きや視点の獲得を邪魔している印象を持つ。

今日はそのことをはっきりと意識した。
子供向けに書かれた物語を大人の視点・感性で読んでしまい「面白くない」と認識する人がいる。その一方で、面白いと感じ、自分の体験にひきつけて考えることのできる人がいる。前者の場合は大変にもったいない。童心に帰って、と言葉で言うのは簡単だけど、とにかくまっさらな先入観のない状態で作品と丁寧に向き合ってもらえたら、つまらないと思い込んでいたお話からも豊かな収獲が得られるかもしれないというのに。

できれば、思考の殻を打ち破る方向で働きかけができたらなあと思っている。

そのためには、どんな手段が有効なんだろう。
前もってこだわって欲しいポイントを設定するとか? 特定の内容についてあらかじめ意見をまとめておいてもらうとか?

少しずつ試してみるとしようか。


数日前から世間、特に音楽関係者を震撼させている作曲者詐称事件。

不謹慎ながら、自分的にはものすごい面白いワイドショーを見ている気分で、色々な記事を拾っては読んだ。
頑張って抱負を書いた一月。
多少は効果が出てきただろうか。

面白いぐらい出ました。
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