心のつぶやきを吐き出す裏ブログです。
ブログのプロフィール
〈管理人名〉 O-bake
〈趣味〉 創作とクラシック音楽
〈主な内容〉
創作に関する覚書
ごくたまに掌編を掲載
テリトリーは童話からYAまで
〈お願い〉
時々、言葉が足りないために意味不明な文章があったり、攻撃的な文章がありますが、ここは毒吐き場なので、どうぞ見過ごしてやってください。
〈連絡先〉
管理人へのメッセージは、こちらのフォームからどうぞ
〈本家ブログ〉
びおら弾きの微妙にズレた日々
(一方通行です)
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今年はぶっちゃけ、大変に忙しい年だ。
町内会長がまわってきた。町内のお世話係だ。こういう自治会関係の組織は土地によって随分違うので、「会長が大変」といってもピンとくる人は少ないだろうし、あまり細々説明することもしないが、まさに「お世話係」という言葉がぴったり来るぐらい雑用が多い。イベントがあればその手配。出席者の取りまとめ、弁当や懇親会の準備・買い出し、会費集め、自治会からのお知らせを回覧板でまわす、苦情受付などなど。
大変だけれど、最近犬の散歩中にふと「町内のお世話をさせてもらっている」という考えが浮かんだ。それから、勤め先の掃除のおばちゃんの「人様の役に立つっていいことだねぇ」という口癖。だんだん実感として身体に染みてくる。自分が動くことで世の中の歯車の一部が回っていることを感じると、軽く快感を覚える。いわゆる「やりがいを感じる」というやつだ。
家に引きこもり、ひたすら物書きに邁進していた頃と比べると、仕事に出ていることや犬の世話をしていることもプラスされてずいぶん日常生活の雑務が増えたなと思う。オケ活動を休止したのでなんとか回っている感じ。もっとも、ピアノの練習にもそれなりに時間を割くので、ビオラをピアノに変えただけ、という話もあるし、何のはずみか読書会まで始めてしまった。
この二年でたくさんの人と知り合い、経験値は大幅に上昇した。これからもこなさなければいけない「お仕事」がそれこそ津波のように押し寄せてくるのがわかる。それらを何とかかい潜りせっせと働き、一段落した先には何があるのだろうか。そもそも「一段落」が来るのだろうか。
経験値がそのまま物書き力に反映されれば言うことないんだけどなー。
町内会長がまわってきた。町内のお世話係だ。こういう自治会関係の組織は土地によって随分違うので、「会長が大変」といってもピンとくる人は少ないだろうし、あまり細々説明することもしないが、まさに「お世話係」という言葉がぴったり来るぐらい雑用が多い。イベントがあればその手配。出席者の取りまとめ、弁当や懇親会の準備・買い出し、会費集め、自治会からのお知らせを回覧板でまわす、苦情受付などなど。
大変だけれど、最近犬の散歩中にふと「町内のお世話をさせてもらっている」という考えが浮かんだ。それから、勤め先の掃除のおばちゃんの「人様の役に立つっていいことだねぇ」という口癖。だんだん実感として身体に染みてくる。自分が動くことで世の中の歯車の一部が回っていることを感じると、軽く快感を覚える。いわゆる「やりがいを感じる」というやつだ。
家に引きこもり、ひたすら物書きに邁進していた頃と比べると、仕事に出ていることや犬の世話をしていることもプラスされてずいぶん日常生活の雑務が増えたなと思う。オケ活動を休止したのでなんとか回っている感じ。もっとも、ピアノの練習にもそれなりに時間を割くので、ビオラをピアノに変えただけ、という話もあるし、何のはずみか読書会まで始めてしまった。
この二年でたくさんの人と知り合い、経験値は大幅に上昇した。これからもこなさなければいけない「お仕事」がそれこそ津波のように押し寄せてくるのがわかる。それらを何とかかい潜りせっせと働き、一段落した先には何があるのだろうか。そもそも「一段落」が来るのだろうか。
経験値がそのまま物書き力に反映されれば言うことないんだけどなー。
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今日読んだ文庫本はそんな話だった。好みといえば好みだ。
他人のうちにある虚空に触れると、それが自分の中にある虚空と共鳴しあうのでそれとわかる。
昔は生々しかったそも、今となっては、そういえば自分の中にもそういうものがあったっけ、的な感触になってしまったが、あるものはある。いや、ないものがある、というべきか。
でも、ふだんはほんとにもう自分の中の虚ろを意識しなくなってしまい、かつてそこを占めていたものがあったという記憶すらなくなってゆく。自分が何者であったかの記憶があやふやになってゆく。この忘れっぽさはあの蝶みたいだ。人の思考に卵を産むという架空の蝶。
他人のうちにある虚空に触れると、それが自分の中にある虚空と共鳴しあうのでそれとわかる。
昔は生々しかったそも、今となっては、そういえば自分の中にもそういうものがあったっけ、的な感触になってしまったが、あるものはある。いや、ないものがある、というべきか。
でも、ふだんはほんとにもう自分の中の虚ろを意識しなくなってしまい、かつてそこを占めていたものがあったという記憶すらなくなってゆく。自分が何者であったかの記憶があやふやになってゆく。この忘れっぽさはあの蝶みたいだ。人の思考に卵を産むという架空の蝶。
その昔、アメリカ文学をかじる学生だったころ、ゼミで教授が「オー・ヘンリーの作品は文学ではない」と宣ったことがあり、その時は深く考えることもできず、そういうものなのかと記憶に留めおくだけだった。
今、Facebookにしばしば現れる「いい話」を読んでいると、ああそういうことだったんだな、と、教授の意味するところが腑に落ちるようになった。
シェアされて回ってきたり、あるいは企業広告の前振りとして「ちょっといい話」は少なくとも3日に一回の割合で目撃する。白い方の都市伝説とでもいうべきこれらの話は、どれも一種の匂いみたいなものを振りまいていて、それは某2ちゃんねるの「泣ける話」とか、いい話のコピペ板とかとよく似てる。
最初は本当に事実としての「いい話」があったかもしれないが、それが人から人へと伝わるうちに尾ひれ背びれがつき、フィクションとして完成度を高めつつ、またバージョン違いを生み出しつつ、あちこちに広がる。
「イイネ」はその時の気分によって押したり押さなかったり。その話が事実かどうかなんて関係なく、精神にとってはお菓子やジュースの類といっしょで、一時的に気分が良くなるだけのものだからね。
オー・ヘンリーは、確かにニューヨークで売れっ子になった。彼はきっと、どんなふうに「ちょっといい話」を作れば人々に受けるのかがよく分かっていたのだろう。それは「イイね」が欲しくて感じのいい記事をせっせとネットに上げる行為、あるいは人寄せをするためにいい話を利用するコマーシャル的投稿と根っこの部分で通じている。
別にそういう清涼飲料水みたいな話はあっていい。ただ、文学とは違う、というだけのことだ。
今、Facebookにしばしば現れる「いい話」を読んでいると、ああそういうことだったんだな、と、教授の意味するところが腑に落ちるようになった。
シェアされて回ってきたり、あるいは企業広告の前振りとして「ちょっといい話」は少なくとも3日に一回の割合で目撃する。白い方の都市伝説とでもいうべきこれらの話は、どれも一種の匂いみたいなものを振りまいていて、それは某2ちゃんねるの「泣ける話」とか、いい話のコピペ板とかとよく似てる。
最初は本当に事実としての「いい話」があったかもしれないが、それが人から人へと伝わるうちに尾ひれ背びれがつき、フィクションとして完成度を高めつつ、またバージョン違いを生み出しつつ、あちこちに広がる。
「イイネ」はその時の気分によって押したり押さなかったり。その話が事実かどうかなんて関係なく、精神にとってはお菓子やジュースの類といっしょで、一時的に気分が良くなるだけのものだからね。
オー・ヘンリーは、確かにニューヨークで売れっ子になった。彼はきっと、どんなふうに「ちょっといい話」を作れば人々に受けるのかがよく分かっていたのだろう。それは「イイね」が欲しくて感じのいい記事をせっせとネットに上げる行為、あるいは人寄せをするためにいい話を利用するコマーシャル的投稿と根っこの部分で通じている。
別にそういう清涼飲料水みたいな話はあっていい。ただ、文学とは違う、というだけのことだ。
同じ職場の人から自宅のパソコンの修理を頼まれたので、道具や機器類を用意して出かけた。予め下調べをしておいたせいか、予定通りにうまくなおすことができて、その後お茶をしながら、旅行の話とか子どもたちの話などよもやま話をして帰る。後でメールもらって、「今度は○○しようね」と、次に会う約束の原形ができる。彼女の家にお邪魔したり何気ないメールをもらったりするのは初めてじゃないんだけどね。
そのメールを読んだあと、じわじわと明るく温かいものが胸のあたりに生まれる。
これは一体何なんだろうと訝しみつつ、もしかすると友情と言われるものが生まれる瞬間かもしれない。
そのメールを読んだあと、じわじわと明るく温かいものが胸のあたりに生まれる。
これは一体何なんだろうと訝しみつつ、もしかすると友情と言われるものが生まれる瞬間かもしれない。
我が家にお犬様が来てから2年たった。ということは東北の大地震からも2年たったということだ。
「復興」は進んでいるようで進んでいないし、彼の地の原発はくすぶり続けているし、この国の政府は原発を廃止しない方向へ舵を切った。
あれから2年後の世界の中で、自分はどこにどんな風に立っているんだろう、あるいは立つべきなんだろう。
ほぼ日サイトはこんな企画をアップした→★
あの時の思いを、子どもとの関連で綴ってもらった読者さんからのメールがたくさん掲載してある。それだけで、「ご冥福を」とか「がんばろう」とか前向きな言葉も後ろ向きな言葉も無い。なんだけど、事実というのは、たとえ一つ一つが些細なエピソードだとしても、たくさん積み重なると大きな存在感を持って世界の片鱗を表してくれる。
あの時、大勢の親たちが子を思い、子は親を思った。互いの年齢がいくつであろうと。まだこの世に現れていない命さえ母に守られ母を支える。
その人間のあり方の根本みたいなものがむき出しになった時--ヒラサワ語法を使うなら「時代」--があの震災だったのだと強く思う。
その時代は収まったかにみえて、実はまだ続いていて、私たちはどんな選択を重ねてゆけばいいのか時代に試されている最中なのだ。
今日のお犬様は、男子中学生が食べ残して居間に放置した栗ぼうろを勝手に食べ散らかし、夜中になってやたらに興奮している。
「復興」は進んでいるようで進んでいないし、彼の地の原発はくすぶり続けているし、この国の政府は原発を廃止しない方向へ舵を切った。
あれから2年後の世界の中で、自分はどこにどんな風に立っているんだろう、あるいは立つべきなんだろう。
ほぼ日サイトはこんな企画をアップした→★
あの時の思いを、子どもとの関連で綴ってもらった読者さんからのメールがたくさん掲載してある。それだけで、「ご冥福を」とか「がんばろう」とか前向きな言葉も後ろ向きな言葉も無い。なんだけど、事実というのは、たとえ一つ一つが些細なエピソードだとしても、たくさん積み重なると大きな存在感を持って世界の片鱗を表してくれる。
あの時、大勢の親たちが子を思い、子は親を思った。互いの年齢がいくつであろうと。まだこの世に現れていない命さえ母に守られ母を支える。
その人間のあり方の根本みたいなものがむき出しになった時--ヒラサワ語法を使うなら「時代」--があの震災だったのだと強く思う。
その時代は収まったかにみえて、実はまだ続いていて、私たちはどんな選択を重ねてゆけばいいのか時代に試されている最中なのだ。
今日のお犬様は、男子中学生が食べ残して居間に放置した栗ぼうろを勝手に食べ散らかし、夜中になってやたらに興奮している。
インタラ話の続き。
さすがヒラサワ師匠、サプライズはまだある。ライブの舞台(本来ならオッサンと電子機器ばかりw)に華を添えるゲストの登場だ。物語では彼女、ツンデレ系の魅力満載な女性だったのだけど、ふとスカートの下を見ると、硬質な輝きを放つ右足がちらりと見える。美しい形の義足だった。
今回のインタラクティブライブの背景となる物語には、"amputee"という名の種族が登場する。狂言回し的な役目を果たす彼らには、物語が生まれ待機するという"source"に体の一部を置いているために特別な力が備わっているのだという。
"amputeeを辞書で調べると「身体切断者」と出てくる。事故や戦争で手足その他を失った人々を指すその言葉を、「身体の一部を"Source"と呼ばれる空間に存在させることによって我々には不可能な事を成しえる能力を持っている」と、ヒラサワ氏は自らの物語の中で定義しなおした。それはたぶん、今回のゲストを活かすためだし、彼女の後ろにいるであろう同様の人々に対してのメッセージでもあるのだと解釈したい。失われた身体の一部は、「ある」と「ない」が同居し、あらゆる物語が待機するSource空間を漂いながら、持ち主に特殊な力を送っているのだ。
振り返って次は自分の身体の話。
さすがヒラサワ師匠、サプライズはまだある。ライブの舞台(本来ならオッサンと電子機器ばかりw)に華を添えるゲストの登場だ。物語では彼女、ツンデレ系の魅力満載な女性だったのだけど、ふとスカートの下を見ると、硬質な輝きを放つ右足がちらりと見える。美しい形の義足だった。
今回のインタラクティブライブの背景となる物語には、"amputee"という名の種族が登場する。狂言回し的な役目を果たす彼らには、物語が生まれ待機するという"source"に体の一部を置いているために特別な力が備わっているのだという。
"amputeeを辞書で調べると「身体切断者」と出てくる。事故や戦争で手足その他を失った人々を指すその言葉を、「身体の一部を"Source"と呼ばれる空間に存在させることによって我々には不可能な事を成しえる能力を持っている」と、ヒラサワ氏は自らの物語の中で定義しなおした。それはたぶん、今回のゲストを活かすためだし、彼女の後ろにいるであろう同様の人々に対してのメッセージでもあるのだと解釈したい。失われた身体の一部は、「ある」と「ない」が同居し、あらゆる物語が待機するSource空間を漂いながら、持ち主に特殊な力を送っているのだ。
振り返って次は自分の身体の話。
先週末はヒラサワ氏のライブ@渋谷公会堂。これが普通のライブと違って、UST中継ありーの、ネットと会場の参加者、それぞれの行動の結果がライブの筋書きを変えてしまうしまうというインタラクティブライブであった。もちろんツイッター中継もアリ。
なんとも奇妙な話で、松の内が過ぎて間もない、とある夜中のことだった。仕事から帰ってきて家事をすべて終え、ゆっくり風呂に浸かり、ツイッターをチエックし終わった静かな時間に、買ってきたばかりのハンドクリームを、ゆっくりと自分の手に塗りこんだ。
総括が済んだら、次はこれからのことを考える。
予定は未定とはいえ、そして書くだけなら簡単とはいえ(つまり実行できるとは限らない)、ヴィジョンは大事。
やりたいことは主に2つ。
1. 物語を最低1つは書き上げる。投稿できるレベルのものを。
2. 児童書読みのための読書会を開く。
これは、平日の昼間に開くと決めているし、すでに二人に声をかけていて、あと問題なのは場所の設定。どこか地元で感じのよい店を借りてお洒落な雰囲気で、できないものだろうか。
あとはね、子どもたちがそろって受験生になるのと、仕事のシフトが恐らく昼間になるだろうということで、生活をまわすだけで精一杯だと思う。
問題は年々衰えつつある体力だねー。最近夜中に頑張りがきかなくて、気がついたらパソコンの前で居眠りしてるし、昼寝大好きだし。
予定は未定とはいえ、そして書くだけなら簡単とはいえ(つまり実行できるとは限らない)、ヴィジョンは大事。
やりたいことは主に2つ。
1. 物語を最低1つは書き上げる。投稿できるレベルのものを。
2. 児童書読みのための読書会を開く。
これは、平日の昼間に開くと決めているし、すでに二人に声をかけていて、あと問題なのは場所の設定。どこか地元で感じのよい店を借りてお洒落な雰囲気で、できないものだろうか。
あとはね、子どもたちがそろって受験生になるのと、仕事のシフトが恐らく昼間になるだろうということで、生活をまわすだけで精一杯だと思う。
問題は年々衰えつつある体力だねー。最近夜中に頑張りがきかなくて、気がついたらパソコンの前で居眠りしてるし、昼寝大好きだし。
総括シリーズも4回目だし、そろそろおしまいにしよう。
今回は実家が消えた話。
昨年はダンナ氏の実家が焼けてなくなってしまったが、今年は自分の生まれ育った家がなくなるという事態に直面した。立ち退きだ。
うちの実家はずっと一軒家の借家で、両親としては最後までいられるものと思っていたようなのだが、大家さんが道を通すかあるいはマンションをつくりたいと言い出してあえなく立ち退きを申し渡された。
今回は実家が消えた話。
昨年はダンナ氏の実家が焼けてなくなってしまったが、今年は自分の生まれ育った家がなくなるという事態に直面した。立ち退きだ。
うちの実家はずっと一軒家の借家で、両親としては最後までいられるものと思っていたようなのだが、大家さんが道を通すかあるいはマンションをつくりたいと言い出してあえなく立ち退きを申し渡された。